長期主義は見えない未来を変えられるか
第4回 長期主義の限界と不老不死の夢──テクノユートピアは人間を救えるか?
長期主義に軌道修正をもたらした2つのできごと
『見えない未来を変える「いま」』(千葉敏生訳/みすず書房)のまえがきでは、2022年8月に刊行された原著ハードカバー版における「長期的な未来にプラスの影響を及ぼすことは現代の主な道徳的優先事項のひとつであるという考え方」という長期主義の定義を、2023年9月刊行のペーパーバック版において「未来の世代の利益を守るために、わたしたちのすべきことはたくさんあるという考え方」と再定義している。わずか1年少々の間に、定義を変えたのには、2022年に起きた2つのできごとが影響していると思われる。
1つは2022年11月30日にリリースされたChatGPTの急激な普及による、いわゆる“AIの民主化”である。マッカスキルはBingチャットの危険性を指摘しているが、複数の生成AIアプリが陸続とリリースされ、次なるAIサービスとして多くの企業や団体がAGI開発に照準を合わせているなかで、AIによる実存的リスクは後続世代に丸投げできる課題ではないものとして認識されている。
2つめは、ウクライナと紛争を続けているロシアのプーチン大統領による2022年9月30日クレムリンでの演説である。ここでプーチンはウクライナ東部にある4州を一方的に併合するとともに、アメリカをはじめとする西側諸国への敵対を明らかにした。核の使用も辞さないと言明されたことで、第3次世界大戦や核戦争も「今そこにある危機」としてのリアリティを増すこととなった。
見えない未来を変える「いま」――〈長期主義〉倫理学のフレームワーク
ウィリアム・マッカスキル (著)
千葉敏生 (翻訳)
みすず書房
わたしたちはユートピアに生きられない
ふたたびパーフィットを引くと、かれは世代間倫理の論理構造として、将来世代の人間は現在の人間のなした行為の結果を受け入れざるをえず、現在世代の選択に異議を申し立てることはできないとする「非同一性問題」を挙げる。
これを敷衍すれば、将来世代がわたしたちよりも優れた選択をするだろうと想定して、リソースを遺しつつも道徳的行為を先送りにすることは、結局のところ「先送りにする」という行為をなしたことになる。
わたしたちの周囲を見渡すだけでも、先送りにされたことのツケが多大になり、手がつけられなくなっている課題は山積している。
中国の作家・劉慈欣の著したSF小説『三体』(大森望 他訳/ハヤカワ文庫)は、三部作を通じた世界累計発行部数は約3000万部、日本国内でも100万部を突破したという法外なヒット小説だ。
人類が地球外生命体からの侵略の危機にさらされるという古典的なSF小説の枠組みではあるが、本作を面白くさせている要素の1つは、異星人の艦隊が太陽系に辿りつくのは4世紀後のことで、地球にいる科学者たちが400年後の脅威に向けて立ち向かうという壮大なタイムスケールである。
人類滅亡の危機というストーリーはわたしたちにカタルシスをもたらすし、人類の未来を言祝ぐのは耳ざわりのよい言辞だ。しかしながら、わたしたちはみな、個を超えて人類という種を生きることはできない。
功利主義における思考実験に戸惑いをおぼえるのは、それが共時的な場面での選択を強いるからである。
時間軸のなかで順番に、もしくは試行錯誤のなかで解決することを想定すれば、複数の困難を解決する希望もそこに生じる。
わたしたちは、はるか未来に約束されたユートピアではなく、分節化された「長期的には死んでしまう」現実を生きるしかない。
そしてわたしたちの生に意味をもたらすものこそ、その有限性と一回性にほかならない。(了)
劉 慈欣 (著)
大森 望, ワン チャイ, 光吉 さくら (翻訳)
早川書房

