京都学派×戦前ポストモダン思想を再検証
近代の超克とは何か
歴史の終焉と近代の超克
近代という大きな物語が失効するなかで、それを打ち壊し乗り越えようとする歩みには一方にファシズム、ナショナリズムがあり、もう一方にマルクス主義がある。この構図はしかし、一旦、消滅しかける。アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』 上・下(渡部昇一訳/三笠書房)が物議を醸したのもこの頃だ。ソ連の崩壊によるマルクス主義の失墜によって歴史が終焉するなどと言われた。しかし、先の構図が壊れたのは、それよりも先の浅田が言うような1980年代に多極化するなかで、社会にあった自明的な対立の構図が薄れゆくポストモダンの時代が現れたからというほうが今となっては正しいだろう。引用が多くなるが、柄谷が『〈近代の超克〉論』の解説に書いたことをみておきたい。
この時期[80年代]には、ポストモダニズムという、もともと建築様式からはじまった言葉がさまざまな領域でいわれはじめたころである。モダニティ(近代)とは、何かを達成すべく前方に向かう時間性であり、そのような理念や目的をもつことだとされる。そういう「大きな物語」が終わったというのが、ポストモダニズムである。「大きな物語」の代表はマルクス主義であり、あるいは生産中心主義的な思考であるとされる。
さらにそのうえで柄谷はわたしたたちは戦前の「近代の超克」問題をまだ乗り越えていないと言う。1980年代後半以降、ポストモダンと名を変えて近代への対峙は避けられることなく続いていた。先に挙げた京都学派の座談会をもとにした『世界史的立場と日本』で読める座談会のうち、いちばん最後の「総力戦の哲学」にはポストモダンの問題を先どりしたような議論もある。この点にわたしは通底するものを感じている。以下は西谷啓治の発言である。
ところで、今までのやうに自然科学といへば自然科学のアプリオリ、経済といへば経済のアプリオリといふ風にそれぞれが自分の領域だけを問題にしてゆくと、結局そこに出てくるのはその領域内部だけで斉合を求めることだ。即ち事柄自体に内在的な論理とか合理性とかいふものの追求だ。が、現在の総力戦が要求するのはさういふ合理性というふものではない。
西谷のいう「総力戦」に求められいるのは、ジャン=フランソワ・リオタールのいう〈大きな物語〉と考えてほぼ差し支えない。領域内ごとの与件的(アプリオリ)な論理のあいだの矛盾こそがヨーロッパの世界に対する矛盾であり、それが近代を行き詰まらせていると西谷は論じた。
リオタールは「ポストモダン」の語を流布させたその著作『ポストモダンの条件 知・社会・言語ゲーム』(小林康夫訳/水声社)において、科学と物語は絶えざる葛藤の関係にあるといいながらも、ポストモダンを近代に対抗する“新たな”大きな物語として論じはしない。リオタールは大きな物語にかわるものとして、多様で小さな物語がそれぞれのルールをもった言表──ヴィトゲンシュタインに倣い「言語ゲーム」として──を対抗させながなら寄り添うと論じた。これは西谷が指摘した第一次世界大戦後のヨーロッパの矛盾の原因といわれたものであり、現在のソーシャルメディアを手にした社会のあり方ともいえる。それぞれがそれぞれのクラスタ(タコツボ)のなかで、そのなかだけで通じる「内在的な論理とか合理性とかいふもの」でコミュニケーションをとりあっている。クラスタ間では言語ゲームのルールの違いからなんら生産性のない罵倒合戦だけが発生する。リオタールはこうした小さな物語、たとえば科学と宗教の言表は共約不可能と述べていた。つまり架橋させうるコミュニケーションのコードがないのだ。以前、とりあげたことがあるがヴィトゲンシュタインの言語ゲームは、対話者同士の生活を背景に成立するもので、その生活を把握できない言語は意味をもてない。建築現場の親方が弟子に「カナヅチ!」と叫ぶとき、それが金槌を手渡すことなのか、足元の金槌に注意することなのかは、この二人が生活(行動)空間を共有していなければ通じない。
大きな物語を失った時代のコミュニケーションには、互いに参照して共有できる正当性がないのだ。だから、互いにゆずることがない。行き着く先は中傷合戦でありブロックなのだ。
リオタールはポストモダンの正当性について、大きな物語(総力戦の哲学⁉︎)が担保していた理性や普遍性ではなく、多様で複雑な価値を認めることだと述べている。言い換えれば、テクノロジーを大きな物語(理性や普遍性)によって正当化するのは難しい。それはそのまま現在のAIにまつわる議論に通じている。
「近代の超克」の座談会で哲学者が神が死んだとか馬鹿なことばっかり言ってるけど。マルクス主義だけですよ、日本において絶対的な他者性をはっきりつきつけたのは。原理性みたいなものを初めてつきつけたのは、それも生きることにおいてそれをつきつけたのはマルクス主義だけです。
この柄谷の発言について大橋良介は前出の『京都学派と日本海軍』の註でソ連崩壊をもって「その発言の半年後に、観念の先行したマルクス主義社会体制は、現実の方から離縁された」と皮肉っていることを付記しておこう。
フランシス・フクヤマ (著)
渡部昇一 (訳・解説)
三笠書房
ISBN:9784837958000
フランシス・フクヤマ (著)
渡部昇一 (訳・解説)
三笠書房
ISBN:9784837958017
小林 康夫 (著)
渡部昇一 (訳)
水声社
ISBN:978-4891761592


