京都学派×戦前ポストモダン思想を再検証
近代の超克とは何か
〈近代の超克〉という戦前思想の喪失
瀬川昌久の『ジャズで踊って』の文庫版付録に、蓮實の『伯爵夫人』についてのエセーがあるのだが、同じく文庫版付録にもっとわたしの興味をひく文章がある。タイトルは「戦中に共通する反知性──敗戦から71年の今」という。気になった一節を長めに引いておく。
京都学派の存在は私にとって知的な憧れの対象であり、教授個々の著作を探しては貪り読んだものだ。しかし、対する日本浪漫派の保田與重郎や影山正治を起点とし、浅野晃や蓑田胸喜を頂点とする神国日本至上主義者たちの相次ぐ批判により、京都学派の拠った『中央公論』と『改造』2誌はついに廃刊に追い込まれた。
わたしにはこれがどこか得心するような意外なような感じがする。京都学派も日本浪漫派、そして〈近代の超克〉も戦後にはひとしく批判されており、どちらも日本の戦争翼賛の思想として厳しい目に晒された。とはいえ、陸軍側のイデオローグであった日本浪漫派と海軍と関係の深かった京都学派は戦時中、とうぜん対立関係にあった。そのためもあって、戦後も両者の見え方はやや違う。それは反動的な陸軍に対し比較的リベラルなイメージを保った海軍との違いに通じている。〈近代の超克〉と京都学派は混乱して記憶されがちだが、〈近代の超克〉とは京都学派の一部の学者も参加した『文学界』の座談会のタイトルであり、そこで展開されたのは近代批判の名を借りた西欧批判であり、京都学派とは思想的にかけ離れた日本浪漫派寄りの亀井勝一郎、小林秀雄らもいる。だから〈近代の超克〉は京都学派の思想を象徴するものではない。日本浪漫派の代表だった保田與重郎は座談会への参加を一度は受けていながら、結局、欠席している。
むしろ、京都学派で戦争翼賛として戦後に批判されたのは雑誌『中央公論』で連続された「世界史的立場と日本」「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」「総力戦の哲学」(この3つは書籍にまとめられ1943年、中央公論社から刊行された)という座談会のほうだ。参加者は四天王と称された高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高である。西谷啓治と鈴木成高は〈近代の超克〉にも参加している。
京都学派にシンパシーを抱いていた少年、瀬川昌久は三島ら同窓生たちが美文を謳われた保田與重郎らに心酔するのを苦々しく思っていたようだ。『日本浪曼派批判序説』(講談社文芸文庫)で橋川文三が描いていたように、若者たちの保田への傾倒ぶりは非常に強いものだった。橋川は日本浪曼派の美意識がもつ悲壮なまでの感傷が若者を酔わせ戦争へ駆り立てたと論じる。日本浪曼派の「耽美的パトリオティズム」──それはナショナリズムのような政治性がないと橋川はいう──は、近代的な合理主義に古典的な美を対抗させ若者たちをして「私たちは死なねばならぬ(Wir mssen sterben)」という呪文をかけたと『日本浪曼派批判序説』の解説に井口時男は書いている。同書は戦後、黙殺されつづけていた日本浪曼派をとりあげた最初のものである。と同時に、もっとも早い段階で〈近代の超克〉論に触れたものでもある。
〈近代の超克〉座談会は、参加者の論文をまとめ、松本健一の解題と竹内好の批評を加えたかたちで『近代の超克』(冨山房百科文庫)として刊行されている。簡単に手に入るので目を通してもらうのが確かだろうが、日本浪曼派に近かった河上徹太郎、小林秀雄らの荒唐無稽な近代拒否、機械文明拒絶は今では滑稽なほどだ。京都学派の参加者で歴史学者の鈴木成高などはあまりにめちゃくちゃな議論に、文字通り閉口している。
竹内好はこんなふうに述べる。
「近代の超克」の最大の遺産は、私の見るところでは、それが戦争とファシズムのイデオロギイであったことにはなくて、戦争とファシズムのイデオロギイにすらなりえなかったこと、思想形成を志して思想喪失を結果したことにあるように思われる。
高坂正顕, 西谷啓治, 高山岩男, 鈴木成高, 呉PASS出版 (著)
呉PASS出版
ISBN:978-4908182891
橋川文三 (著)
井口時男 (解説)
講談社文芸文庫
ISBN:978-4-06-197619-1
河上徹太郎, 竹内好 (著)
冨山房
ISBN:978-4572001238


