何故なしに生きるということ
「PERFECT DAYS」と神秘主義

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

労働という祈り

ビルの床清掃をして糊口をしのいでいたことがある。大学を出てすぐのことだ。就職活動というものをいつはじめて、どうやってやるものか知らなかったのと、どんなに口が曲がってもお愛想のひとつも言えなかったせいで、バブル崩壊直後とはいえまだそれほど冷えんではいなかった就職市場で見事に迷子になった。あわてて安物のスーツを買って学生課の募集をみて何社か面接にいった。面接で「御社の取り組みは……」云々とやっているうちに気分が悪くなって、面接に行った会社を出て路上に嘔吐した。それほど心にないことを話したことがなかったという未成熟さのせいなのだが、すっかり就職を諦め就職活動をやめてしまった。

仕方なくアルバイト雑誌を開いて平日昼間に働ける仕事を探した。それがビル清掃だったというわけだ。

当時のバイト仲間はバンドマンや小劇場の役者ばかりだった。みんなロックが好きだった。だから、現場に向かうミニバンの車内ではいつもロックが鳴り響いていた。ストリーミングサービスどころか、MDさえない時代だったから、カーステレオはカセットテープだった。

映画「PERFECT DAYS」で主人公がカセットをカーステレオに差し込むのを懐かしく思っていたし、当時、現場へ出発する朝はみんな缶コーヒーだった。映画とちがうのはくわえタバコだったことと、カセットはレンタルレコードからのダビングだったから、maxellやTDKのノーマルテープだったことだ。

バイト仲間が、床清掃に非常な熱心さを傾けるわたしに「きれいにすることよりきれいに見えることだよ(そのほうが効率がいい)」とか「バイトはお金になればいいんだから(それ以上、がんばっても意味ない)」と言ったことも、今回、「PERFECT DAYS」を観て、主人公の仕事仲間(柄本時生)の振る舞いから、わたし自身の強烈な記憶として思い出した。

わたしといえば、嫌なことばかりの毎日のなかで清掃に打ち込むことぐらいしか気が紛れることもなかったし、生まれた禅寺で「不浄の掃除は心の浄化」と言われ育ったためもあってお金以上に何かを求めているところもあった。とはいっても、まあまあの頻度でサボっていたが。

ビル清掃の現場は月に1度ぐらいの頻度で訪問するわけで、「PERFECT DAYS」の主人公のように毎日、同じ現場を回ることはなかった。ただ、やはりトイレなどの清掃は高齢者の方たちが毎日、同じ現場に出勤していた。雇い主の会社は同じであるから、挨拶するぐらいの仲になる人もあった。

そうした年寄りたちはみな丁寧に懸命に清掃していた。きっとそういう姿をみてわたしも熱心さを傾けるようになったのだろう。後年、海外のニュースで新幹線の清掃員や空港の清掃員のプロフェッショナルぶりが取り上げられるのをみて、妙に嬉しかったのはこの経験のためだったかもしれない。

わたしは当時から、丁寧に懸命に清掃に励む年寄りたちの姿がなにかに祈る姿に似ていると思っていた。それは畑仕事に励む農家の方たちや、土木現場で働く人たちにも同じく祈りのオーラを感じることがあった。

だから、「PERFECT DAYS」のトイレ清掃員の姿に感動したのは、祈りのオーラを役所広司が身に纏っていたからだ。それは、欧米の批評とはまた別の禅の姿であったと思う。

「PERFECT DAYS」のパンフレットに次のことばを見つけたときは同じ感覚があると思った。

清掃の仕事を見ていると、修行する僧侶のように見える。

「PERFECT DAYS」パンフレット

これは共同で脚本を手がけた高崎卓馬がヴェンダースに宛てたシノプシスの冒頭に書かれた言葉だという。ただ、この後につづく「他人のために生き、それをひたすら繰り返す。」には合点のいかないものがある。このパンフレットで対談をしている小説家、川上美映子の発言にも同じく違和感を抱く。長いが引用する。

いっぽうで、彼が責任を負うのは自分の生活だけです。[中略]今はもう、他人の人生にかかわることじたいが贅沢というか気が知れないというか、自分ひとりが生存するだけで精一杯で、他人の責任を負うことなんてできるわけがないと感じている若い人たちが本当に多い。持てる人たちが「平山さんの生活は、静かで満たされていて美しくて素晴らしい」というのは、そりゃ彼らは豊かな観察者だからそれはそう思うんでしょうけれど、肉体労働をしていたり、相談できる人が誰もいないという若いひとたちがこの映画を観てどんな感想を持つか、非常に興味あります。

「PERFECT DAYS」パンフレット

わたしたちは戦争直後から松竹ヌーベルバーグ期にかけての小津安二郎に対する若者たちの批判を知っている。曰く、「戦後の混乱で労働者たちが食うや食わずで生きているなか、鎌倉あたりの中流家庭の娘の嫁入りなんぞにどんな現実があるというのか」と、多くの若者たちが小津を無視した。戦後の小津にも「a href=”https://amzn.to/44hvdF3″ target=”_blank”>東京暮色」のような映画はあったが、かえって現在では評価が低い。この「PERFECT DAYS」に対する川上美映子の考えは、当時の若者たちのそれとほぼ同じだ。その点でも「PERFECT DAYS」が小津映画に似ているとすれば皮肉めく。

この映画を、ある種の現代都市のファンタジーとして消費することも、そのファンタジーをファンタジーとしてリアリズムの視点で批評することも、わたしにはとても貧しいことに思えてならない。というか、そんなことは誰でも言えそうなことで、そんなことなら何も言わないほうがいいのではないかと思う。松竹ヌーベルバーグの若手監督たちの小津批判がなんら普遍性をもたなかったように。

劇中で主人公・平山の姪ニコ──これらの名は小津映画へのオマージュでもなく、ヴェルベット・アンダーグランド関連のそれでもないと雑誌「SWITCH」2023年12月号のなかで高崎卓馬が答えている──が平山にねだって借りていくパトリシア・ハイスミスの『11の物語』(小倉多加志/早川書房)の「すっぽん」のヴィクターのように、歪んだ世の中を見せて歪んだ子どもが生みだされることのきっかけはこういう誰でも言えそうな言説のもっともらしさがもたらすものだと考えてしまう。ニコがヴィクターにシンパシーを感じるのは、大人たちが決して自分で生み出したわけではない、他者の視線から学んだ軸でしかが判断しないからではないか。狂っているのは子どもか大人か。川上が批判的に指摘するように、平山がみせる子どもっぽさがかえって重要だと、わたしは考える。

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