新しい「大きな物語」のために
ヒューマニズムを更新する試み
大きな物語をイノベーションする
人新世の起源を1945年8月の原爆投下と明言しているのは平朝彦の『科学技術史で読み解く人間の地質時代 人新世』(東海大学出版会)である。この書籍は現状においてもっとも包括的で網羅的に、ある意味で非常に教養高く人新世について考察しており、わたしは個人的に心奪われた一冊でもある。
著者の平は地質学者であり、当然ながらその知見からさまざまに人新世が論じられるのだが、それ以上に生物学、生態学、経済学、イノベーション(平はそれを「創新」と訳す)にまつわる技術史から語られる。地質学の長いスパンの視野と、デジタル化が進んだ情報化社会の進展という地質学に比べたら極短期間への視野をあわせて論じられる。
平は人新世の起源を原爆投下におき、同時に人新世の第二フェーズをパーソナルコンピュータApple Ⅱの登場においており、それを「機械と人間の共生」の始まりとしている。個人の自由な発想で科学技術を更新し社会を変革する時代の契機となったからだ。私の考えを加えておけば、PCとインターネットが私たちを産業生態系の分解者にした。私たちは今や情報の生産、消費する(プロシューマーとして)だけでなく分解さえしている。一例をあげれば、SNSなどで私たちは微生物のごとく情報に群がり分解してしまう。
PCとインターネットによる情報化社会の定着にともない拡大する経済格差も止まることがない。このままテクノロジーは格差を広げるのだろうか。
コンピュータを支える半導体についてもムーアの法則はもとより地質学者らしく、金属状珪素(シリコン)の性質から解説し、同時にレアアースなど情報化社会で求められる鉱物資源の採取についても述べられる。人新世の莫大な資源採取によって地球環境がいかに変動したかを論じ、それによって排出されたCO₂が温暖化をもたらしたことが明確になっていることを指摘する。
情報化社会の根幹についても「電子工学と生物学は、その基本が情報の伝達と処理といった点で類似性が高い。」と述べている。注意しておきたいのは、平がここで述べる生物学とは合成生物学という近年登場した、従来の生物学とは逆のアプローチをする考え方に基づいている。
この本の通奏低音となるのは、ホモエコノミクス(合理的経済人)が築き上げた資本主義の社会と、それがもたらした現在の地球環境の未来を語り直すために、主人公と舞台を整え直そうということだ。平はそれを「大きな物語」という。
フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールのいう大きな物語とは若干の違いを感じるのは、平のそれは地球と人間を主人公として「大きな物語」を創新(イノベーション)せよというメッセージだからだ。リオタールの「大きな物語」における主人公は人間であった。リオタールは、その人間性(ヒューマニズム)の崩壊を訴えていたのだ。
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