東京女子大学現代教養学部准教授・大谷弘氏に聞く
(2)言語コミュニケーションと「常識(コモン・センス)」を考える

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聞き手 都築 正明(IT批評編集部)/桐原永叔(IT批評編集長)

コモン・センスはどのように身につけられるか

都築 先生は、実践的判断の参照軸としての常識についても研究されています。

大谷 コモン・センスの概念は、アリストテレスまで遡ることもできますが、私はヒュームと同世代のスコットランド常識学派の哲学者トマス・リードについて研究しています。リードはコモン・センスという言葉を感覚ではなくジャッジメント、つまり健全な判断能力という意味あいで使っています。リードはおそらく、私たちの認識はコモン・センスなしには成り立たないと考えていて、一般原則のように「コモン・センスの第一原理」を定式化しています。私自身はそのような原理を明確に定式化できるとは思っていませんが、私たちの認識の枠組みとなるような判断能力は考慮しなければならないと考えています。私たちは、やはりある種の枠組みのもとで考えることしかできないだろうと。私の考えでは、コモン・センスには感受性や想像力の働かせ方、理性なども含まれています。このような人間が備えることが望ましい能力というものがあり、それを磨くことで物事を適切に判断できるという側面はみるべきだと思います。

都築 先生はウィトゲンシュタインも常識的であり啓蒙的だと論じていらっしゃいます。

大谷 ウィトゲンシュタイン自身はコモン・センスという言葉を使っていませんが、私たちの判断の枠組みや判断能力が大事だということは言っています。

都築 そうした能力は、経験から身につけられることでしょうか。

大谷 多様な学び方があると思います。他者とのやりとりから学ぶだけでなく、文学作品にふれることで他者に想像をめぐらしたり、さまざまな感情を抱いたり、日常とは異なる物語世界に浸ったりすることからも学びは得られます。私は『ウィトゲンシュタイン 明確化の哲学』(青土社)で、よく見ることが重要だと論じています。たんに「よく見る」というと観察者のような態度をイメージするかもしれません。しかし当事者研究などが示すように、想像力を巡らせて判断するためには、よく聞くことも大切だと思います。自分とは違う人の話に耳を傾けて理解しようと努めることによって磨くことができる感受性や判断力もあります。そうすることで、マジョリティ側にいるために素通りしてきたことに気づくことができるようになります──「コモン」という語感からは遠くなるのですが。

都築 利害が偏らないよう視野を広げる意味でのコモンを身につけることですね。

大谷 そこで人文学的なものが大切になってくるのだと思います。

都築 そういう意味での公共性を考えると、ロールズの正義論にも近い気もします。先生はウィトゲンシュタイン的な方法論に基づいてジョン・ロールズの政治哲学を考えられるとも書かれていますけれど。

大谷 私の場合はロールズの正義論というより、彼の方法論に関心があります。一般的にロールズの方法論は「反省的均衡」といわれます。これは、私たち個々の直観的判断と道徳原理とを突き合わせて調和がとれたときにはその原理が正当化されると考える一種の整合説です。私の場合は、個々の直観的判断が、1つの意味の秩序のもとに収まってくる側面を考えています。ロールズが用いたのは、バラバラだったことが1つの像に結ばれることを目指した説得方法で、そこにウィトゲンシュタインに近いものがあるのではないかと思うのです。

桐原 人間の持つべき健全さについて理解したり学んだりすることが、人間とAIとの差かもしれないですね。むしろAIは反省なんかはできないほうがよいのかもしれない。

大谷 倫理の部分については、人間がしなければならないでしょうね。コモン・センス的なものをChatGPTにデータとして与えるにしても、一律に読ませるのではなく、人間が意識の重みづけをフィードバックするべきだと思います。

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