東京大学大学院総合文化研究科教授 池上 高志氏に聞く
(2)心と生命、身体の新しい見取り図
桐原永叔(IT批評編集長)
生命と心がつながるレベル
認識論的に生命を考えることは、私たちの感受性のレベルでも処理できますが、先生は生命性において存在感(presence)を重視されています。
池上 意識の研究では多くの人が意識とは因果的なものだ、という捉え方をします。たとえば突然この場に大きな赤い壁が現れたら、動物は逃げます。しかし人間の場合は、赤の赤らしさというか、テクスチャーを知覚する。因果的なものと存在の確認というか、それが大事です。石黒先生とヒューマノイド“オルタ1”でそのあたり、いろいろなことを試しています。例えばオルタ3は人の行動を逐次的に模倣していくよう設計しているのですが、機械的な模倣とそうでない模倣を生成するプログラミングしています。
機械的でない模倣というのはどういうことでしょう。
池上 相手の行為の意図がわかるかどうか、です。マイケル・トマセロ2という認知科学者が、「猿は猿真似をするか」という論文を書いています。たとえばコップがあって人間がそれを飲んでいると、猿はそれを真似します。しかし飲むという行動は真似するけれど、コップの持ち方や動かし方、表情までは真似をしませんから、逐一真似するという意味の“猿真似”ではありません。彼は「猿は猿真似をしない」と結論づけるのですが、論文の最後には「人間に育てられた猿は猿真似をする」と書いているんです。動物には動作の意図のような、一見高度なシンボリックなことは認知できないと考えていますが、実は動物はそっちのほうが得意かもしれない。シマリスやハムスターにもシンボリックな能力はあると思うのです。オルターは逆に、猿真似しかできない。この猿真似を機械的な模倣と言ってます。逆にそこから猿真似ではないシンボリックな模倣を生成することを考える。そういうことです。
たしかに動物は、知覚と遺伝子のプログラムや、学習の積み重ねだけでは説明しがたい行動をとります。
池上 意識のレベルとは、シンボリックな能力だと思えます。私は、そのまま真似することのほうは、無意識のレベルに近いと思っています。映画「ブレードランナー 2049」には、自分がレプリカントなのか人間なのかがわからずに懊悩する主人公が出てきます。そして、その答えを探す旅の途中で、蜂の巣箱に手を突っ込むシーンがあるんです。普通は蜂に刺されることを恐れて手を入れなかったり、パッと手を離したりします。そうしたシンボル・プロセッシングは意識レベルですが、それは動物にもある気がする。無意識のレベルができるかどうか、それが人間の特徴だと思うのです。
前作では相手がレプリカントかどうかをテストするために「テレビを観ているとき体に蜂が止まったらどうする?」と聞きますよね。「握り潰す」と答えたことで、レプリカントだということがわかる。
池上 今作の主人公は、蜂の巣箱に手を突っ込んだ後、蜂のたかった手をじっと見つめるんです。これはシンボリックな感覚ではありません。「蜂が刺す」とか「怖い」といったことではない感覚――温かいとかそこにいるという感覚――それを持つことが無意識のレベルではないか。それを意図したシーンとして私は観ました。このような無意識をつくることが重要で、ChatGPTにもアンドロイドにも、そのレベルがありません。そのままの模倣が無意識的だといいつつも、それはアルゴリズムが可能にしていることです。シンボル化されているものと、シンボル化されていないものとを峻別して行動することができる生物は、さほど多くありません。マービン・ミンスキー3もシンボルの創造そのものは無意識のはたらきだと言っています。シンボルになる前の部分に注視して、そこにパターンを見出すのが生命的な知性だと思います。そこに取り組むことが、生命を技術にすることであり、ALifeの最終的な目的だと思います。そして、そこで生命と心がつながってくるのだと思います。
シンボル以前というのは、あくまで身体的なものですよね。
池上 言葉以前の世界。身体を使わないとどうしようもないレベルです。
意識と無意識ということでいうと、シンボル以前のものというのが無意識的なものになりますね。
池上 意識レベルに上ってこない記憶の断片や夢のパターンなど、莫大な記憶の束みたいなものが無意識だとすると、インターネット上にもそうしたものがたくさんあります。それが、何かのダイナミクスを持って動いて、実際の行動に反映すると面白いなと昔から思っていました。シンボルになってしまったものだと、ただ組み合わせを考えるだけになりますから。ChatGPTがつまらないものにならなかったのは、シンボルの組み合わせをしているにもかかわらず、コーパスがあまりにも巨大なので人間には予測不可能なことがたくさん見えてくるからです。予測不可能なのは、つまりは一般的な人間の知性の上限は、せいぜいいまのChatGPTレベルだったということでしょう。
“傀儡神楽 ALTER the android KAGURA “, Shibuya Stream Hall (MUTEK TOKYO), Tokyo, 2020