学習院大学法学部教授 小塚荘一郎氏に聞く
(3)新しい権利と変わらない論理

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

著作権法のおよぶ範囲とは

インターネットの黎明期には、著作権の議論がよくなされました。映画が公開されて再び話題になっていますが、2000年ごろのネットユーザーの間ではWinnyを作成した「47氏」こと金子勇さんの裁判費用をカンパすることが流行っていました。

小塚  著作権侵害の幇助だというロジックでしたね。もともと、日本は著作権侵害の解釈がとても広いのです。Winnyの件は刑事事件での逮捕だったので非常にセンセーショナルに報じられましたが、日本は民事においてもそうです。たとえばカラオケ店がJASRACに加盟せずにカラオケを流して、お客さんがそれに合わせて歌ったとします。日本の裁判所は、その場合にお客さんではなく、カラオケ店が著作権侵害の主体だと判断しています。そのロジックは、お客さんの歌唱という行為を管理し、またそこから利益を得ているのはカラオケ店だというものでした。裁判官の考えたことはわかります。現に利益が発生しているのにアーティストにお金が入らない。お客さんの私的な歌唱としてしまうと著作権が及ばないので、それはおかしいということでしょう。しかし、このロジックを推し進めていくと、JASRACに加盟していないカラオケ店に機器をリースしたリース会社も、機器の所有者として歌唱行為を支配しており、著作権侵害の主体だということになりかねません。結果として、著作権侵害と言われる範囲がどんどん広がります。権利とはなにかを確立せずに結果の幸福だけ追求していくと、こうなってしまいます。日本の法律の弱いところですね。

JASRAQの話でいうと、音楽教室からも著作料を徴収することになると、音源を聴かずに、ピアノと譜面だけでつまらない練習をすることになってしまう。すると日本の音楽文化を諦めることになりかねません。

小塚  その通りではあるのですが、カラオケ店からは著作権料を徴収して、音楽教室は社会的に意義のあることだから著作権料は徴収しないと判断してしまうと、著作権の位置づけが変わってきます。著作権は、社会的に有用なことをしていれば主張できないけれど、夜の楽しみについては主張できるものになってしまう。もっとも、報道されているとおり、最高裁は「管理」や「利益」にこだわらず諸事情を総合考慮した結果だと言って、音楽教室で生徒が演奏するときは教室ではなく生徒の私的な行為であり、著作権侵害にはならないと判断しました。「総合判断」というブラックボックスの中で行為の社会的、文化的な意義を区別したようにも見えます。

たしかに文化の優劣を線引きすることになってしまいます。

小塚  レッシグは、アメリカの著作権法で定められたフェアユースをプラットフォーム側が規約で書き換えることを批判していました。日本で裁判官が著作権を書き換えると、もっと大変なことになります。学校教育を目的とするときや点字で書籍を複製するときなど、日本にも引用の例外はあります。これに、音楽教室やカラオケも加えて……と追加しはじめると収拾がつかなくなってしまいます。

以前の違法ダウンロードサイトは、申し訳程度に「研究目的」と記載していましたものね。

小塚  私もWinnyの件で金子勇さんを処罰したことがよかったとは思いませんが、著作権については一貫したロジックで説明できなければならないと思います。

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