玉川大学文学部名誉教授 岡本裕一朗氏に聞く(2)
テクノロジーは人と共同体の内外に変容をせまる
中国にみる倫理と進化のジレンマ
桐原 加速主義の父とされるニック・ランドが中国に関心を寄せたことで、中華未来主義という考え方も生まれました。中国の国家資本主義体制のように、政治は共産党が独占して、テクノロジーに資源を集中する。そして国民は経済的自由と生活の利便性を享受できるようにすれば、ある意味での理想的な社会ができるかもしれません。個人情報や行動記録も国に把握されていて、信用スコアリングもなされているのに中国の人は不幸せにはみえないですよね。
岡本 私も、とある銀行でそうした話をしたことがあります。若くて優秀な人たちの集まりだったのですが、おっしゃるように中国のような体制に賛同する意見も多かったです。国家が経済についても企業を主導した方が、経済発展がうまくいくのではないかと。『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐・高口康太著、NHK出版新書)に書かれているように、監視や管理があっても、経済が発展して裕福な生活を保障されれば、自由競争で失敗するリスクを負うよりも社会はうまく回るのではないかと。
桐原 選挙に一喜一憂することもありません。
岡本 実際に、日本で選挙があっても、だれも期待しませんからね。
桐原 どのみち「自由からの逃走」のように権威主義的になっていきますしね。
岡本 そうです。戦争があったり国内が分断していたりといった厳しい状況にあれば難しいかもしれませんが、ある程度の経済発展が実現して、社会が平和に発展していくのであれば、個人の自由を多少制限されても国の監視を受け入れてもよいのではないかという考え方が、その若い社員さんたちにはありました。
桐原 戦後民主主義にたいする諦念の裏返しなんでしょうか。
岡本 銀行の方たちだったので、日本の経済がもう何十年も落ち込んでるのにたいして、中国の経済が非常に上向いているからという理由からだと思います。
桐原 競争を強いられる自由よりは管理された豊かさのほうがよいということでしょうか。平等になればなるほど競争相手が多くなり、苛烈な競争を強いられることを考えると人口の多い中国では安定のほうが求められる。
岡本 そうですね。
桐原 加速主義の悪しき側面として、生命倫理を顧みずにゲノム編集をしてしまうような事例1もありますよね。
岡本 中国の方針として、生命倫理はさほど問題にしていなかったと思います。私が、ある経済団体の講演でバイオテクノロジーの話をしたときに、製薬会社の方から中国ではゲノム編集の事例は何百とあることを指摘されました。
桐原 中国では近代化が進むなかで科学に対する倫理観が抜け落ちているんでしょうか。
岡本 そもそも倫理観を問題にしていないのだと思います。私はむしろ、中国当局がゲノム編集をした双子を生み出した研究者を罰したことに驚きました。それまでの中国でいえば、研究者を 3 年間拘束したというのは例外的です。中国の論理からすると、それを禁止する理由はありません。世界中から非難を浴びたことに対する政治的なパフォーマンスだったのでしょう。人間の受精卵にたいするゲノム編集は、最初に中国が行いました。そのときは日本を含めて全世界が批判したのですが、その後、世界のどこでも行われるようになりました。
桐原 反対しつつ、様子を見るということがあったわけですね。
岡本 テクノロジー全般にいえることですが、最新事例に表面上反対することが、反対しつづけることとイコールではありません。1 つの国で禁止したとしても、他の国で行うことができれば意味がありません。すると世界的に禁止するしかありませんが、ほぼ不可能です。
桐原 ナチスが原子爆弾を開発しているのではないかという疑いがアメリカのマンハッタン計画を加速して原子力爆弾が完成させたように、倫理観が歯止めにならないような状況が起きうるということですか。
岡本 テクノロジーの競争を倫理で止めることは非常に難しいです。ドイツでは優生学的な懸念からバイオテクノロジーについての制限が非常に強かったのですが、その結果、製薬会社が外国に移転して国際競争力が削がれてしまいました。制限が解かれたときに、挽回できないほど差が開いていることもありますから、技術に歯止めをかけるような倫理というのは考えづらいです。
桐原 なるほど。個人情報保護でもヨーロッパでは少し強固で、APECではそれより緩いですが、実質的には AI が人々を管理している中国に追随するようになるでしょうね。政治と思想とテクノロジーが密接に関連する現代において、これからIT業界で生きていく人たちは、どんな観点を持つべきなのでしょう。
岡本 現代の戦争の形態は、軍事的な火力だけでなく、サイバー戦や情報戦を利用したハイブリッド戦争といわれるものになっています。ウクライナはロシアにたいして、軍事的な兵力は 3 割程度しか使っておらず、残りはその他の手段で交戦しています。そう考えると、テクノロジーは経済だけでなく国家権力にも関わることになります。今までのようにテクノロジーが製品を開発されることに完結するということはなく、そこからどう社会に影響を及ぼすのかを想定しなければなりません。