脳の可塑性と自然の可塑性、または落語に救われた話

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

トイレと想像力と文豪

さあ、困ったぞ。またまた尿意がやってきた。明け方の排尿はなんとか江戸前の力で乗り切ったが、今度はどうしたもんだ?

そこで私は考えた。「しょうべんしよう、しよう」と力むからかえってよくない。床でやっちゃうやつは寝小便だったりするのだ。たいていは、眺望のいい丘のうえかなんかに立ってズボンのジッパーを下ろしてなんて夢見して、明くる朝には布団が冷たくなってる。

これだ。私は閃いた。ボール紙製の使い捨てをあそこへ押し当て、夢を見ればいいのだ。眺望のいい丘なんかよりは、ちゃんとトイレに入る夢を見よう、と。とはいえ、もちろん寝てしまっては心許ない。尿瓶の口が外れたら事だ。渡し船の馬の小便ではかなわない。

そこで私は私が生まれた家の古いトイレを思い出していた。それはトイレというより便所、厠、雪隠というべきところで、私が生まれたのは禅寺だから「東司(とうす)」と呼ばれていたそこを母屋からの渡り廊下、建て付けの悪い引き戸、柱の一輪挿しの南天なんかを夢見のように頭のなかに再現していった。ところが、である。いざ想像の男性便器の前に立ったところで尿意は引っ込んでしまった。ああ、惜しい。

古い厠を想像していると、私はふと谷崎潤一郎に「厠のいろいろ」というエッセーがあったことを思い出した。たしか奈良かどこかのうどん屋の厠が川のうえにあって、便器を跨いで下を覗くと遥か下方に河原が見えたという冒頭だ。排泄物が虚空を舞うなんて、文豪は書く。たしか便所にまつわる古今東西の話、都鄙(とひ)の違いといったことを悠長な文体で述べていくのだ。こんなエッセーがかの名高い「陰翳礼讃」のあとに入っているのだ。続けて読むと、昼間でも薄暗い日本間を抜け出して、虚空に輝く便器に向かうような趣がある。そのときの私もベッドのうえでそんなことを連想した。そうして、また腰の前あたりが温くなり──。今度も、なんとか首尾よく済んだ。

谷崎潤一郎のこれはいろいろに収録されているが、新潮文庫の『陰翳礼讃・文章読本』が昔から変わらぬ装丁で良い。

陰翳礼讃・文章読本

谷崎潤一郎 著

新潮文庫

ISBN:978-4-10-100516-4

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