脳の可塑性と自然の可塑性、または落語に救われた話

「尾籠(びろう)な話」という。もともとは、愚かで分別がないという意味の「痴(おこ)」という言葉に当て字してできた。なにが尾籠かといえば、排泄や排泄物と決まっているが、そのくせそういう話題の最初には、こんな洒落た言葉を使うというわけだ。
目次
脳の機能はつくり直せる
長い入院をしていたことがある。2018年8月から11月にかけてだから、もう4年半も前だ。どうしてそうなったかといえば、近所の銭湯で脳梗塞に襲われて昏倒したからだ。では、なぜ脳梗塞なんかになったかといえば、経営していた会社はうまくいかないし、1歳上の姉が自分の家族を残して自決しやがるしで、心労が祟って血圧が爆上がりして首筋あたりの血管の内側が剥離して詰まったのだ。脂肪や糖が原因の、いわゆる生活習慣病ではなくストレス由来だったのは、退院後の検査で詰まっていた血管がちゃんと再建していたのでわかった。
とはいえ、後遺症が残った。未だ首から下の左半身、顔の右側は温冷覚、痛覚が鈍い。もっともやっかいなのは、バランスを司る脳細胞が壊れてしまったことだ。そのせいで、いつも車酔い、船酔いのような状態だ。しかし脳というのは不思議な器官で、失われた機能を他の部位が代替したりする。これを「脳の可塑性」といったりするが、可塑性とはつまりつくり直せるという意味だ。粘土のような柔軟性があると考えてもいい。
脳の可塑性については、短命の天才医学者・塚原仲晃が書いた『脳の可塑性と記憶』 (岩波現代文庫)に当たりたい。古典といえるほどの名著だ。当時、脳神経学の研究で世界をリードしていた塚原は、学習や記憶が脳のシナプスの変化に表れることをつきとめ、脳が計り知れないほど驚異的な器官であることを一般に知らしめた。当然、現在の知能研究、AI研究の礎になっているのはいうまでもない。
急性期の病院に担ぎ込まれた最初の1週間は絶対安静を言い渡された。絶対安静だから、ベッドから起きあがることも許されない。食事は点滴だし、排泄は……とここが問題だ。いや、問題だった。看護師から差し出されたのは、お茶や水を注ぐには口が広すぎ、花を刺すには口が傾きすぎる容器だ。ボール紙でできていた。ははん、どうやら使い捨てらしい。
「桐原さん、用を足したくなったらナースコールしてください」
そう言われた。ナースコールでやってきた看護師は私にボール紙製の使い捨ての“尿瓶”を渡すと、しゃーっとカーテンを閉め、私やルームメイトのいる6人部屋から出て行く。私はふっと息を吐いて、尿瓶の口を急所に当てがい、なんとか力を抜いて排尿しようと試みる。私を困らせたのは、それからだ。いかな努力しても一向に排尿できない。尿意はあるのに既(すんで)のところでひっこんでしまう。
さてはて往生した。まったくなんともならない──。
脳の可塑性と記憶
岩波現代文庫
ISBN:9784006002374