東京大学 先端科学技術研究センター 吉村 有司氏に聞く
(1)ビッグデータ活用で実現する市民参加型のまちづくり

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

MIT でアーバン・サイエンス研究を深化させる

MIT(マサチューセッツ工科大学)に赴任されたのは、どういった経緯からでしょう。

吉村 フルタイムで赴任したのは 2017 年からですが、MIT との関係は以前からありました。最初に行ったのは、2012 年のことで、ビジティングとして 6 カ月ほど滞在しました。僕のいた MIT のセンセーブル・シティ・ラボ(Senseable City Lab)の所長はカルロ・ラッティというイタリア人建築家なのですが、彼がいきなり「なんかルーヴルで面白いことやってるじゃないか」という趣旨のメールを僕宛に送ってきたんです。「一度ちょっと話さないか」というように。面白そうだったので話をしてみて、そのままビジティングに来ないか、という誘いを受けました。6 カ月ぐらいなら行ってみよう、と思って行ってみたところ、ボストンの街が思いのほか楽しかったんです。6 カ月のビジティング期間を終えて一旦はバルセロナに戻ったのですが、すぐにまたメールが来て、もう一度来ないかと誘われました。そこで、また 1 年後ぐらいに 6 カ月のビジティングに行ったところ、いくつかのプロジェクトが立ち上がりました。それ以降は必要に応じて行ったり来たりしていたのですが、2017 年からはフルタイムの研究員として、本格的に移住しました。

MITグレート・ドームでの伝統的な学生のイタズラ(吉村氏撮影)

MIT での研究は、他の方と共同で行うことも多かったのですか。

吉村 MIT には、自分のプロジェクトを勝手にしている人もいましたし、所長のカルロ・ラッティのように、ラボ単位でプロジェクトを動かしていて、他の研究員に依頼する人もいる、というように、さまざまなタイプの研究者がいました。僕はデータを活用したプロジェクトを、色々な人を巻き込みながら、チームを作って研究していました。

『アメリカ大都市の死と生』を翻訳された山形浩生さんはインタビューで、MIT の不動産センター修士課程でのことを、不動産屋さんのおじさんに 2 次方程式の解き方を教えたりする一方で、その方が身体に叩き込んだ都市設計の何たるかを教えてもらったりした、と述懐されていました。

吉村 不動産センターは僕が勤めていたDUSP (Department of Urban Studies & Planning)のなかに入っていますが、そういう風土があるんですよ。日本では MIT というとメディアラボばかりフューチャーされることが多いのですが、都市計画やまちづくりに関しては、僕の勤めていたDUSP(建築・都市計画学部)が中心です。いろいろなバックグラウンドを持つ専門家が集まってさまざまな研究をしていましたし、異分野の研究者との交流も多く、非常に魅力的な学部でした。MIT には研究員として、約 3 年間勤務しました。

その後、現在の東京大学の先端科学技術研究センターに招聘されて帰国されるわけですね。

吉村 はい。2019 年に日本に戻ってきて、共創まちづくりや社会連携研究部門市民共創型スマートシティといった分野での研究を進め、現在に至ります。

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