国立研究開発法人産業技術総合研究所 人工知能研究センター長 辻井潤一氏に聞く
(1)人間の認知の仕組みへの興味からAI研究の道に

FEATUREおすすめ
聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

言語処理専門家として機械翻訳の国家プロジェクトに携わる

辻井 その当時、機械翻訳はフランスのグルノーブルのグループと京都のグループがやっていて、僕は1981年に交流のためにフランスに行きました。アメリカでは、「SYSTRAN」1という商用のシステムがあったのですが、研究自体はちょっと下火になっていた頃ですね。1982年に日本に戻ってくるのですが、そのときに長尾先生を中心にして国家プロジェクトがスタートしました。

桐原 第5世代コンピューターですか?

辻井 いえ。機械翻訳のプロジェクトを始めました。その当時、日本では第5世代コンピューターというプロジェクトが東京のグループで行われていて、電総研(電子技術総合研究所、現・産業技術総合研究所)がその中心としてやっていたわけですけど、京都のグループは「あんなのやってもしょうがないな」という目で見ていたような気がします。

桐原 冷めていたんですね。

辻井 京都のグループとしては、あるいは、私がということかも知れませんが、機械翻訳というもっと実体があることをやったほうがいいという感じでした。それが1982年から1986年まで4年間続く国家プロジェクトになりました。

桐原 面白いですね。東京側の方々から聞くお話とは、研究に対する歴史観が全然違う。

辻井 今はいろんな意味で情報の交流が活発なので、どこにいても同じような研究をしていて、各地域の個性はなくなってきたと思うんですけど、僕らの頃ってまだそんなに相互交流がなかったので、東京と京都ではかなり違った問題意識を持っていました。それから言語処理に関していうと、九州地区にやはり強いグループがいて、今でいうワープロの元になったような仮名漢字変換を先行してやっていました。九州のグループからすると、京都のグループも地に足が着いていないように見えたでしょうね。彼らのほうがもっと地道なことを、しかも大規模にやっていたと思います。

桐原 先生は、その後もずっと人工知能の言語まわりの研究をなさっていたわけですね。

辻井 そうですね。その後に1988年からイギリスに行くんですが、そこはCentre for Computational Linguisticsという、今でいう言語処理だとか計算言語学のセンターがマンチェスター大学にあって、そこのセンター長を務めました。それ以降、言語処理をずっとやっていたという感じですね。

1 2 3