『メタバースとは何か』著者・岡嶋裕史氏に聞く
(1)オルタナティブな日常が与えてくれる“大きな物語なき現代”の幸福

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

人は本当に多様性を求めているのか

桐原 出社自粛だとか通学がなくなるだとか、人がリアルに集まることの意味が薄まって、それこそ東京一極集中も終わると言われたりする。時代を先取りする企業は早々にオフィスを解約するようなことが起きました。コロナは都市の機能や構造を考え直すタイミングになったのは間違いないですし、それがメタバースの隆盛と重なる気がします。

岡嶋 そうですね。やはり人が集まることの優位性や意味、価値は大きいと思うんです。東京に一極集中がよくないねというのは、もうずいぶん前から言われていることです。でも、実現しない。みんな過疎地に行けばいいかというと、それは利便性が大きく損なわれてしまう。やはり二律背反があって、どうしても両方は達成できないと思われていたのが、仮想世界でいいのなら密ではあるけれど一極集中を緩和できるような構造にできる。それが産業や学業の部分で実現したということが言えると思います。私は所管が文科省なので、そちらの話になりますけど、一極集中はよくないと「東京23区にこれ以上大学つくらせないぞ。地方に人を、若者を分散させるんだ」といったさまざまな施策を打ち出してきました。しかし23区を禁止しても横浜に人が集まってくる。結局のところ、人は集まるし、そこに利便性がある。そんな状況のなか、コロナで今度こそ東京に人が来なくなると言われはじめ、実際に学生は来なくなった。地方の学生が上京して受験してくれなくなった。どこに集まっているのかというと、地元の大学ではなくて、通信制で海外の大学のコースをとるといったほうにシフトした気がします。

桐原 イノベーションというのは多様な人が集まるからこそ都市で起きてきたのに、都市への集中がなくなると新しい文化を生み出す機能が落ちるのではないかという考えもあります。その代替としてインターネットが多様な人々の交流の場としてイノベーションの契機になるという反論もある。しかし、岡嶋先生がよく指摘されているようにインターネット上にはフィルターバブルが発生して、むしろ多様性を受容しない動きになりやすい。人が集まり交流する場としてメタバースは意味を持ちうるでしょうか。

岡嶋 後ろ向きな見方ですが、多様性、多様性って言うけど、実はみんな多様性なんて欲しがってないんじゃないか。多様性のなかで、ポリコレみたいなものと折り合い付けて生きていくためには、むしろドメインを狭めて完全にフィルターバブルをつくってしまうほうがいいんじゃないか。寂しかったらAIが相手してくれる。リアルでは実現不可能でもメタバースならできるかもしれないから、それをつくってしまえば、争いにはならないのではないか。多様性があるなかでみんな刺激し合って成長していこうという世界を私は描いていません。おそらく世の中で語られる多様性とは「みんなが互いの悪い部分も含めて飲み込んで刺激し合おうよ、そうすると、イノベーションが起きるよね」ということだと思うんですけど、どっちかというと、イノベーションよりはケンカばかり起きています。

桐原 よく分かります。企業でも多様性が大事だ、ダイバーシティだと言うんですが、ダイバーシティ&インクルージョンの部分が一番難しくて誰も目を向けていない。多様性は言えるけど、インクルージョンの部分に注目して語るビジネスマンがあまりいない。たしかにSNS上でも人の意見を受け入れない姿勢は変わりようがないですね。

岡嶋 自分の意見が変であっても、それを受け入れてほしいという多様性は主張するけど、他人の気持ち悪い意見を受け入れるかといったら、それはない。今後もなかなか難しいかなとは思っています。なので、バブルの中に閉じこもって、一人で楽しく暮らそうよということを言っている、超後ろ向きな本(『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」 』)なんです。

生きる目的を強いられることの辛さがメタバースで緩和される

桐原 ゲームに参加するときって、ゲームのキャラクターにも生きる目的が必要になってきますよね。

岡嶋 ああ、そうですね。

桐原 リアルで生きていると生きる目的をみんなに求められるわけです。何のために生きているの? 何のために働いているの? それに対して自分も答を出さないといけない。先生の本を読んでいて惹かれたのは、メタバースのなかでゲームをしないで、目的を持たずに生きているキャラクターたちの存在です。これを逃避と言うべきかどうか分かりませんが、生き方のオプションとして、現実では得られないものがそこにはあるぞと感じました。

岡嶋 本当にそう思います。なんでそんなに目的が必要なんだろうと。自分らしく生きなきゃいけないとか、やりがいを実現できるような仕事に就かなきゃいけないとか。それはたしかに価値があることだと思うのですが、学生さんがつらそうにしているのを見ると、みんなが達成しなければいけないようなタスクなのかなと疑問に思います。もちろんやりがいや社会との関わりに価値を求めるのはいいけど、たとえば僕の世代がそんな大層なことを考えていたかなというのはちょっと思うんですね。

桐原 私も若い人たちに向かって、キャリアプランが大事だなんて言いながら、いや、明日何があるか分かんないよって言ってしまいます。

岡嶋 本当に分からないですよ。

桐原 人生の目的について考えることは無駄にはならないけど、そのとおりに生きなきゃいけないって考えたら苦しいでしょうね。

岡嶋 すごく苦しんでいますからね。そんなに先々のことまで考えて、職を選んだりしなくてもいいのにって言いたくなります。

桐原 メタバースがあることで、かえってリアルにおける生きづらさが強調されているかもしれないですね。

若い人たちはSDGsのような「大きな物語」を必要としている

桐原 先生の本に、若い人の間に「絶対に間違えたくない、時間や労力を無駄にしたくない」傾向があると書かれています。

岡嶋 投じた努力は100%回収するんだという感覚です。

桐原 若いときは1、2年ぐらいぶらぶらしてもいいと思うんですけど、そういう感覚を彼らは持ちえない。それはやっぱり現代という時代がどんどん生きづらくなっているからでしょうか。

岡嶋 彼らは2時間の映画を観ることができない。時間を無駄にしたくないので、他の人のレビューが済んでいて星5つの映画しか見ない。あるいは10分でまとめてくれている動画を見て、良さそうなら2時間を1.5倍速で観ている。正直、それで楽しいのかなと思うんですけど、2時間という時間をつまらない映画に費やしてしまったら、時間という資源を無駄にしたことになるので、彼らにとっては今日という価値ある日を毀損してしまったことになると真面目に捉えているのです。

桐原 われわれが実感しているより抑圧を感じているのでしょうね。その抑圧というのは、本にも書かれていましたが、ポストモダン的な大きい価値が失われて、目標とするものがない世界がもたらしたものなのでしょうか。

岡嶋 「大きな物語」に回帰している傾向はあると思います。SDGsが好きなのもその一つです。自分が学生のときには、そんな大きな話には興味がありませんでした。

桐原 大文字の正義とか愛とか、われわれは恥ずかしくて口に出さなかった。

岡嶋 出さなかったですね。若い人たちはそういう物語を必要としているのかもしれません。何でも自分で組み立てて、そこに立脚して、自分ができる目標を決めて、自分のオンリーワンの人生を生きなさいと言われるとしんどいのでしょう。SDGsなら、誰もが納得してくれる。本当はそんなに深く考えてないのかもしれないですが、そういう大きな物語があると生きやすいのかなと思います。

桐原 それはある意味で相対的ですね。みんながいいと言っているからいいと思っている。むしろひねくれて、いや、SDGsなんて怪しいよって言うほうが、実はしっかりしているかもしれません。

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