東京大学教授・松原仁氏インタビュー(1)
AI研究の軌跡と未来──東京大学 松原仁教授が語る「心」と人工知能の関係
エキスパートシステムはなぜ挫折したのか
桐原 第2次AIブームが暗礁に乗り上げたきっかけをエキスパートシステムの限界として論じる本を多く読みましたが、実際のところどうだったんでしょうか?
松原 第2次AIブームで注目されたエキスパートシステムは、さまざまな分野で専門家の知識をコンピュータに記憶させ、AIを用いて問題を解決するという研究が行われました。医者や弁護士や株の売買を行う専門家にインタビューして、頭の中にある知識をしゃべってもらって、それを「if→then」のルールベースに整理するという手法をとっていました。しかしこれだと、意識できる事柄しか抽出できません。人間は無意識のうちに知識を使っているのですが、それをとりだすことができないのです。無意識に使っている知識というのは、実は重要なものが多くて、直感でやっていることが大体当たるからプロと呼ばれるわけです。その直感をエキスパートシステムは取り込むことができないので、致命的な失敗を犯してしまうのです。たとえば、株の売買をAIにやらせて、ブラックマンデーの原因になったとも言われています。
桐原 株式市場は人の心理によって変動するだけにとても難しい分野でしょうね。ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)という、ノーベル経済学賞受賞者といったエキスパートを運用チームにした会社が、当時最先端の金融工学理論で株価を予測できるとして膨大な資金を集めましたが、アジア通貨危機を予測できずに結局は破綻したことを思い出します。
松原 医者の持っている知識を医者にしゃべらせて取り出すことは諦めて、医者が治療の際にこういうときにはこういうことをしたという経験だけを記録として全部とってAIに学習させるのがディープラーニングです。医者が意識するしないにかかわらず、やったこと、つまり答えをどんどん与えていくことで、理屈抜きに正解に近づいていくやり方です。ただしこれには膨大なデータが必要になります。
桐原 大きな知識ではなく経験ということですね。解答への集約ではなく、記録の蓄積といいますか。思えば、インターネット上にデータが大量に出回るようになったのと、ディープラーニングの時代がきたのは軌を一にしています。
松原 今、ディープラーニングを用いて競馬を予想するAI技術者も何人かいて、かなり精度が上がっているそうです。血統や成績ももちろんデータとして取り込んでいますが、面白いのは、レース直前の5分前のオッズといったデータもそこに反映させています。これによってかなり勝率が上がっているのだそうです。ルールベースでコンピュータに予想させる方法は昔からありましたが、使いものにならなかった。これに対して、AI予想はインターネット上にある膨大なデータを用いてディープラーニングして、最後の5分でオッズから配当を最適化することで、収益率をアップさせているのです。人間が最後の5分に駆け込み購入することでオッズに歪みが生じることまでAIは見抜いており、AIは予想オッズよりも実勢オッズが高くなったところをチャンスと見て購入判断を下しています。ただし、競馬は25%のテラ銭を取られたうえで、参加者の間でお金の取り合いをしているマイナスサムのゲームですから、どんどん精度がアップして、みんながAI予測で馬券を買うようになると、誰も儲からないことになってしまうでしょう。
桐原 そうですね。競馬予想も人の心理が反映してしまう、自己言及的な予想ですからイタチゴッコになってしまいますよね。ところで、将棋や囲碁などの完全情報ゲームにおいては、すでに人間はAIに勝てなくなっているわけですが、麻雀や花札、ポーカーなどの不完全情報ゲームではどうなんでしょうか?
松原 マイクロソフトの麻雀プログラム「フェニックス」は今や世界のトップレベルまで来ていますね。やはり、インターネットから膨大な牌譜を拾ってくることで、ディープラーニングして統計情報的に正しい打ち方をすることで勝率を上げています。人間は限られた時間のなかで、その時点での手牌から判断しなければならないので、状況を抽象化して捉えてルール化した打ち方しかできませんが、AIは膨大なデータベースから最善手を選択することができます。それでもAIと互角に戦っているということは、逆にトップクラスの人間の経験則もまだまだ捨てたもんではないと言えます。
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