東京大学教授・松原仁氏インタビュー(1)
AIと人の心、AI研究トップランナーの歩み

松原仁氏は、1970年代からAI(人工知能)を研究してきた日本のトップランナーである。高度経済成長期にさしかかる日本で、AI 研究者はどういうポジションにあったのか。長い冬の時代の間、いったいどういった思いがAI 研究の道を導いてきたのだろうか。生い立ちから一貫してみえてくるのは、人の心への関心だった。鉄腕アトムの天馬博士に憧れた少年は、いつAIに出会い研究を始めたのか。その歩みはそのまま日本のAIの歴史となっている。
松原 仁(まつばら ひとし)
1959年、東京生まれ。86年、東京大学大学院情報工学博士課程修了。同年、通産省工業技術院電子技術総合研究所(電総研、現在の産業技術総合研究所)入所。現在、東京大学次世代知能科学研究センター(AIセンター)教授、はこだて未来大学特任教授。ロボカップ日本委員会会長、観光情報学会長、人工知能学会長などを歴任。将棋はアマ5段。著書に『AIに心は宿るのか』(集英社)など。
目次
お茶ノ水博士よりも天馬博士に憧れた幼年時代
桐原永叔(以下、桐原) 先生がAIに関心を抱くようになった経緯を伺いたいのですが、いつぐらいからこういった分野を意識されたのか、そして研究の世界に入られるきっかけがあればおきかせください。
松原仁氏(以下、松原。敬称略) 遡れば、幼稚園の時に鉄腕アトムを見たことが原体験としてあります。1963年頃の話です。当時の子供たちはみんな観ていたのですが、まわりで、(アトムの父親代わりをする優しい)お茶ノ水博士ではなく、(狂気めいた天才)天馬博士に惹かれた子供は私だけだったので、そこは変わっていたと思います。
桐原 天馬博士は子供がシンパシーを感じるようなキャラではないですよね? アトムをつくったはいいけど、人の子のように大きくならないというのでサーカスに売り飛ばしてしまいますし。子供心には恐ろしいほどと思いますが…。
松原 子供心になんてひどい大人だろうと思ったけれども、アトムをつくったこと自体は偉いなと感心もしていたんです。母親が言うには「私は天馬博士のようになりたい」と言っていたそうです(笑)
桐原 天馬博士を科学者、開発者として見ていたんですね。お母様はそんな松原先生をどう思われていたのか気になります(笑) どんなご家庭だったんですか?
松原 ゲーム好きな家庭でした。亡くなった父親が理系のサラリーマンで、麻雀が好きで、家に部下を連れてきてしょっちゅう麻雀をやっていて、父親の膝の上に乗せられて「この赤いの、なあに?」と言って、父の手牌をバラして怒られたのを覚えています(笑) 私も幼稚園のときには麻雀のルールを覚えてしまいました。それと、父親はよくアメリカに出張していたので、科学玩具を私や弟にお土産に買ってきてくれました。小学校に入ったら花札や将棋を覚えて兄弟で熱中していました。それでゲームが好き、理系の学問が好きという下地ができたのかなと思います。その甲斐あってか、弟は松原健二と申しまして、デジタルゲーム業界では私より断然有名で、コーエーやセガの社長を務めていました。
桐原 なるほど、のちのち先生がゲーム研究に取り組まれる原点はそこにあったんですね。そこから理系に進まれたのですね?
松原 いえ、中学の頃には精神分析学の創始者フロイトにハマったりしました。当時ちゃんと理解していたかどうかはわかりませんが、人間には無意識というものがあって、それによって行動が左右されているということに興味を惹かれたんだと思います。人の心というものを科学的な学問の対象にすべきだという考えも芽生えていました。
桐原 お聞きして気付いたのですが、麻雀や花札といったゲームも人の心理に関わるものですし、アトムもロボットか人かの葛藤が描かれたりする。フロイトはそのまま心理ですし。AI研究は人の心と切り離せない。先生の著書『AIに心は宿るのか』にも通底していくお話ですね。
松原 もちろん、当時はAIという言葉は知りませんでした。AIはおろか、ロボットさえもSFのなかの話で、学問としては確立されていない時代です。