開かれたマイニングマシンの可能性
─GPUマシンNo.1企業ゼロフィールドのトップに訊く(1)

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集部

2024年1月、ビットコインの現物ETF(上場投資信託)を米証券取引所が承認した。ETFが承認されたことは一定の安全性が保証されることを意味し、機関投資家をはじめ、富裕層が躊躇していた暗号資産投資への障壁を取り除くことになる。折しも、生成AIブームでGPUサーバをはじめとするコンピューティングパワーへの注目度が高まっている。ブロックチェーン技術の研究者であり、かつ日本においてマイニングマシン販売台数ナンバーワン企業のトップである平嶋遥介氏に、今後の暗号資産の市場環境やGPUサーバの成長可能性、エンジニアの役割などについて訊いた。

取材:2024年2月1日 於ゼロフィールド会議室

 

 

平嶋 遥介(ひらしま ようすけ)

株式会社ゼロフィールド代表取締役CEO。上智大学理工学部情報理工科、上智大学院理工学研究科卒業後、NTTデータに入社。銀行向け勘定系共同センターへの機能追加・開発などを担当。2017年に株式会社ゼロフィールドを創業し、暗号資産関係のビジネスを展開。金融系システムやブロックチェーン関連の深い知識と豊富な経験を有しており、CTOとして開発チームを牽引しながらも、経営者として成長の道を歩む。2023年8月より代表取締役CEOに就任。

 

株式会社 ゼロフィールド(ZEROFIELD, inc)

所在地:〒108-0023 東京都港区芝浦3ー4ー1 グランパークタワー32F

URL:https://zerofield.biz/

事業概要:AI・ビッグデータ関連システム開発・運用事業/多用途高性能パソコン販売・運用事業

 

 

 

目次

大学時代にソフトウェア工学を学び開発手法の効率化を研究

仕事で頑張る余地がないことから1年足らずで退社

自分で金鉱を掘るのではなく、掘るための道具を売る発想に転換

ソフトウェアの文化でハードウェアをつくる

 

 

 

 

 

大学時代にソフトウェア工学を学び開発手法の効率化を研究

 

桐原永叔(以下、――)平嶋さんは子どものころから情報科学に興味があったのでしょうか。

 

平嶋遥介氏(以下、平嶋) 父親が半導体のテストをする機器を作る会社でエンジニアとして働いていまして、今は60歳を過ぎていますが、自分でスマホのアプリをつくってリリースしたりしています。父親からパソコンを買ってもらったときに、ゲームだけやるよりはプログラミングもやってみればという感じで一緒に本をもらったんですね。HSPという結構マイナーな、ゲームを作るようなプログラミング言語だったのですが、中学生のときにさわりはじめたのが入口です。

 

――当時のパソコンはなんでしたか。

 

平嶋 WindowsXPです。実家のリビングに置いてあったパソコンがWindows98で、自分はXPを使うという感じでした。高校時代は自分で本を買ってきてポリゴンみたいなのもやったりもしていたんですけど、特段、情報系に興味があったわけではないです。そうは言いながら結局、大学は上智大学の理工学部の情報理工学科に進みました。大学ではテニスサークルに入ったのですが、資格を取る勉強を並行してやっていました。大学1年の秋にITパスポートを取って、基本情報を取って、3年次に応用情報をとろうみたいな感じで、文武両道的にバランスをとっていました。

 

――学部での研究はどういったことをされていたのでしょうか。

 

平嶋 3年次から研究室に入って、ソフトウェア工学を学びました。いわゆるウォーターフォールとかアジャイルとかスクラムといった開発手法の効率化を研究していました。学問として、ソフトウェア開発のライフサイクルや、アジャイルやウォーターフォールなどの開発手法ごとの違いについて学びつつ、研究テーマとしては、要件定義書の再利用とそれを元にした待ち行列シミュレーションをしていました。フローチャートにパラメーターを入れてシミュレーションを作ることによって、システムをつくる前にシステムのボトルネックを炙り出すんですね。たとえば、ATMが店舗に何台あって、入金にこれぐらいの時間かかると、入店人数がこれぐらいになると、入金処理がボトルネックになるから、ここの速度はもう少し早くしないといけないよねみたいなことをシミュレーションして、要件を決める段階でシステムの要求事項をしっかり検証できるようなツールのプログラムを書いていました。その、シミュレーションソフトを作るためにコードをたくさん書いたので、それで、プログラミングが身についたのかもしれません。

 

 

仕事で頑張る余地がないことから1年足らずで退社

 

──新卒でNTTデータを選ばれたのはどういう理由からですか。

 

平嶋 単純にシステム系の会社で最大手で人数が多いからという理由です。元々、出世したいという目的意識があったので、NTTデータの社長になれば、数万人の部下ができるかなと考えたんですね。

 

──入社してみていかがでしたか。

 

平嶋 金融系システムに配属されたのですが、たとえばシステム変更の際には、差分を印刷して、なんでここを変えたかっていうのをペンで書いて、そこにハンコを押して、全部ファイリングして上司に提出するという、すごいレガシーなことをやっていました。それ自体は面白い経験だったなとは思っています。

 

──ずいぶんアナログですね。

 

平嶋 一番辛かったのは、仕事で頑張る余地がないことでした。入社して半年後の事業部長との面談のなかで、「もっと働きたいんですけど残業させてもらえないですか」と切り出したときに、「早く帰れるんだから、自分で勉強したり、外部の勉強会に行って学べばいいんじゃない」みたいなことを言われて。自分が求めているものはそれじゃなくて、仕事で使うスキルを身につけたかったので、転職活動を本格的にやり始めました。自分より7歳~10歳ぐらい上の上司は、若い頃に頑張って働いて、それなりのポジションを掴んでいるのに、自分たちは頑張る余地すらなければ、どうやってこの人たちを追い抜くんだろうと不満が溜まっていたのですね。ただし、その頃、同期の1人が転職して、自分も転職すると真似したみたいに思われるのも癪だったので、一旦ストップして、年明けから本格的に転職活動を始めました。

 

──そこからゼロフィールドの起業につながるのですね。

 

平嶋 面接予定の会社のCTOが登壇するイベントで村田さん(村田敦氏・前ゼロフィールド代表取締役、現Qasee株式会社代表取締役)に会って、一緒にやらないかと声をかけられました。

 

 

 

 

マイニングの運用からマシンの販売に方向転換

 

──最初からマイニングマシンの販売に取り組まれていたのですか。

 

平嶋 最初はエンジニアのプロ人材のマッチングサービスをやろうとしていました。今でもそうですが、エンジニアの採用に悩んでいる企業はたくさんあって、いわゆるジュニアとかミドルの人たちだけで、システム開発をやっていると、どこかで技術的な壁にぶつかってプロダクトを育てられないという会社はけっこう多いんですね。そういう人たちが、シニアクラスのプロ人材に1~2時間相談して、アドバイスしてもらうサービスをやろうとしました。結局、起業する前に、マッチングビジネスをやるには資金力が不足しているという理由でアイデアだけで終わりました。創業して2、3カ月経った2017年の6月くらいから、暗号資産のマイニングをやろうということでミーティングを始めました。自社でマイニング工場とマイニングマシンをつくって、それで運用して利益を出そうと思っていたんですね。

 

──最初は運用を考えていたのですね。

 

平嶋 そこから紆余曲折あって、マイニングマシンを売るビジネスに転換しました。当時はデータセンターも、北欧がいいとか東南アジアがいいとかいろいろ言われていたのですが、どこでも問題があってうまくいかない同業者をたくさん見ています。

 

──電気代が安いだけではダメなんですね。

 

平嶋 北欧は寒すぎるので、マシンが止まったときに大変らしいです。あまり知られていないのですが、パソコンは暑いのもダメですけど寒いのもダメで、動作温度はだいたい5度から60度ぐらいだったりするので、氷点下でマシンが止まってしまうと、それを1個ずつドライヤー等で温めてから、電源を入れないと壊れてしまうんですね。寒くなりすぎると再稼働が簡単にできないところが大変だったりとか、あと、北欧の場合だと、そもそも人口が少ないので、データセンターの電気使用量が町で使う全部の量を超えてしまって、すぐに電気代を値上げされてしまう。入った時は安かったのが、値上げされて撤退するみたいなことも相次いでいました。東南アジアは、気候的には問題ないのですが、電気の供給が安定しない。電気が急に切れたりとか、過電流が入ってマシンが壊れたりとかあったそうです。

 

──自然環境や社会インフラの問題があるんですね。

 

平嶋 モンゴルや中国の方にもセンターを建てる人たちがいたんですけど、まず最初に塀を建てる。周りにほとんど人がいないので、隙を見て誰かがマシンを持っていってしまうんですね。あとは、南米とか東南アジアは、電気をたくさん引いてくるためには自治体との交渉が必要になるのですが、足元を見られて裏金を要求されることもあったようです。

 

──そんななかで平嶋さんたちが成功したのはどういう理由だとお考えですか。

 

平嶋 いい意味でお金があんまりなかったところですね。1歩ずつバランスをとりながら進めたのがかえってよかったかなと思います。2017年ぐらいのマイニング業界はすごい狭い世界で、大学生くらいの若い子が出資を受けてスタートアップでマイニング事業で起業するなんて話があった。今でも残っている会社はごくわずかです。資本の力でエンジニアが働かされるみたいな構図があって、そこが長続きしなかった原因かなと感じています。

 

 

ソフトウェアの文化でハードウェアをつくる

 

──マイニングマシンをつくるうえで、ブロックチェーン技術はどのくらい重要なんですか。

 

平嶋 マシンをつくることに関しては、ブロックチェーンの理解は必要ないです。一般的なパソコンといちばん違うところは、マイニングマシンは24時間365日使うものになるということ。そこで求められる機能がどういうものかというのは、やっていくなかで知見を貯めていくしかありませんでした。通常だと問題ない繋ぎ方でも、マイニングでやるとケーブルが溶けてしまうことがあるんですね。あるいは今だと、当たり前にGPUをたくさんつけていますけど、昔はOSの認識限界の近くまで行くと、エラーが出たりとかしていました。技術体系がない世界なので、トラブルシューティングも含めて、コミュニティの中で情報交換しながら解決することが多かったです。パーツごとに耐久性が安定するものを手探りで探していた状態ですね。

 

──パーツもマイニングに適したものを使わないといけないですね。

 

平嶋 そうですね。だからといって、闇雲に高価なパーツを選ぶということではないんです。初期コストがかかりすぎるとお客様の収益率も下がってしまいますから、2、3年で壊れる可能性はあっても、3分の1から5分の1の価格で購入できるパーツがあるなら、そちらを選択します。     

 

──そのほうがお客様にもメリットがあるということですね。

 

平嶋 マイニングの場合、一般のサーバと違ってマシンの稼働が止まったからといっても、その前後の段階に影響を与えるものではありません。

 

──サーバだと1回止まると、インシデントになって、それ自体の価値があるのかみたいな深刻な話になりますね。

 

平嶋 マイニングの場合、一瞬でもマシンが止まらないようにマシンやデータセンターのコストを10%増やすより、たとえば1年に3日止まっても収益が1%減るだけなので、そのほうがコストパフォーマンスが高いと言えます。     

 

──絶対に壊れないものをつくろうとすると、むしろ高くつくということですね。

 

平嶋 そういう意味で言うと、パーツも数千円のものから数万円のものまでいろいろ入っているので、高いパーツは壊さないようにして、数千円のものは壊れてもいいみたいなバランスを考えながらやっています。高いパーツに影響を与えるようなものはある程度品質の高いものにしておかないと、高いパーツも一緒に壊れるからしっかりしたものを使おうみたいなバランスですね。

 

──そこはすごく面白いですね。80年代の電子立国と言われていた頃のものづくりの発想だと、本当に壊れないことを前提につくっていますけど、ITの人たちって、壊れること前提でモジュールの発想で、ダメだったら交換みたいな感じがします。それこそ日本が得意な車づくりはモジュールで発想してなくて全体調整ですよね。ちょっとでもおかしいところがあると全部壊れるから、全部完璧にするというのが尊ばれている。平嶋さんの場合は、ソフトウェアの文化でハードウェアをつくっている印象を持ちました。

 

 

 

ゼロフィールド社のマイニングマシンの内部

 

(2)へ続く