地球全体を外側から眺めるという知的な革命
――ジャーナリスト・服部桂氏に聞く(3)

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

現在のデジタル・イノベーションをもたらしたのが、旧来の価値観や権威を否定して1960年代にアメリカ西海岸に集った若者たちだったことはよく知られている。のちに彼らのバイブルとなった雑誌「ホールアース・カタログ」の創刊号の表紙を飾ったのは、世界ではじめて公開された地球の全体像だった。地球の全体像を目にした若者たちは、なにを感じ、なにを目指したのか――服部氏は、そこに価値観を一変させる“革命”が起こったと語る。

取材:2023年10月26日 トリプルアイズ本社会議室にて

 

 

 

服部 桂(はっとり かつら)

1951年生まれ。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞社に入社。1984年にAT&T通信ベンチャーに出向。1987年から1989年まで、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016年に定年退職。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師を務める。著書に『人工生命の世界』(オーム社)、『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)、『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』(翔泳社)他。訳書、監訳書に『デジタル・マクルーハン―情報の千年紀へ』、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』、『チューリング』(以上、NTT出版)、『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』(NHK出版)、『アナロジア AIの次に来るもの』(早川書房)、最新の訳書に『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)。

 

 

目次

コペルニクス的転回が反転する世界観

テクノロジーは人間をエンパワーするのか、救済するのか

ポスト・デジタル時代を止揚するために

 

 

 

 

 

 

 

コペルニクス的転回が反転する世界観

 

都築 正明(以下、――)文字と言語が過密になった現状から未来を考えるには、どのような発想が必要なのでしょう。

 

服部 桂氏(以下、服部) 先日『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)という本を上梓しました。「ホールアース・カタログ」を創刊したスチュアート・ブランドという人の伝記で、私の友人でもある、元ニューヨーク・タイムズ記者のジョン・マルコフが書いた本の翻訳です。日本では、スティーブ・ジョブズがそのカタログの休刊号「ホールアース・エピローグ」の裏表紙に書かれていた“Stay hungry, stay foolish”のメッセージをスタンフォード大の卒業生たちに贈ったことでも有名ですよね。スチュアート・ブランドは1938年生まれで、現在85歳です。中西部のイリノイ州生まれですが、1960年代にスタンフォード大学に入ってサンフランシスコにわたり、当時のヒッピーたちと交流しました。そこから、ドロップ・アウトしたヒッピーたちのDIY生活に必要な情報やツールを紹介する雑誌として創刊したのが「ホールアース・カタログ」です。創刊号の表紙には、それまで誰も見たことのなかった、NASAから公開された丸い地球の写真が掲載されました。

 

 

ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生
ジョン・マルコフ著 服部桂訳
草思社
ISBN978-4794226969

 

 

桐原永叔(以下、桐原) 『テクニウム』のケヴィン・ケリーはスチュアート・ブランドに出会い「ホールアース・カタログ」に携わっていましたよね。

 

服部 そうです。80年代からブランドと働き、WELLというオンラインシステムを運営したり、ハッカー会議を企画したり、「ホールアース・カタログ」の続編雑誌となる「ホールアース・レビュー」の編集長をしており、1993年には「Wired」の創刊にも関わっています。

 

――私たちは地球の衛星写真というのを見慣れてしまっていますが、「ホールアース・カタログ」が最初だったんですよね。

 

服部 もともとは、彼がアパートの屋上でLSD服用によるトリップによって見たイメージがきっかけです。自分がふわふわと上空に浮遊して大気圏を突破して、丸い地球を眺める幻覚を見たのです。知識として地球が丸いことを知ってはいても、実際に地球の全体像「ホールアース」を目の当たりにしたのは、人類の中でアポロ計画で月に行った27人の宇宙飛行士しかいない。そこから、地球を宇宙から概観すれば世界と人間への認識が一変するのではないかと考え、NASAに写真を提供するように求める運動を起こしたのです。実際にその写真はヒッピー・ムーブメントのシンボルになり、この雑誌は彼らのバイブルにもなりました。国家や大企業に吸収されるのではなく、新しい世代として自分たちの力で生きていくという態度は、後のパーソナル・コンピュータ革命にもつながります。私は『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』の解説で、これを「コペルニクス的転回をひっくりかえした」と書きました。

 

――天動説から地動説になったことを、さらに反転したということでしょうか。

 

服部 新しい天動説が到来したかのようなパラダイム・シフトということです。近代より前は、人々は神がいる地球が宇宙の中心だと考えていました。しかし近代になると、人々はコペルニクスが唱えたように、自分たちが太陽の周りを周っているという科学的事実に基づいた世界観を持つようになり、神ではなく太陽のような王や国家、法律に仕えるようになります。しかしインターネットがいまの私たちにもたらしているのは、個別に最適化されたサービスが自分を中心に周っているような、天動説に近い世界観です。「ホールアース・カタログ」をきっかけに人々が地球の全体像を見たことは、人間がはじめて鏡の中に自分自身の姿を見たことに近いのではないかと思います。

 

――そこで啓示を受けたヒッピーたちがハッカー第1世代となりシリコンバレーのリーディング企業を創業していきます。

 

服部 彼らも最初からパソコンを手にしていたわけではありません。大企業に就職するルートからはドロップ・アウトしたうえで、自分たちで新しいことをはじめるためにパソコンというツールを手にして「ホールアース」を覆うネットワークを構想し、それがインターネットという形で実体化しました。こうした若者たちがもたらした20世紀最大のイノベーションですから、現在でもシリコンバレーがITビジネスの聖地のようにいわれているわけで、彼らがバイブルのように自分たちの生き方の指針にしていたのが「ホールアース・カタログ」だったのです。

 

 

 

“Whole Earth Catalog” 創刊号の表紙(上)とエピローグ号裏表紙(下)

“Whole Earth Catalog” 各号と派生シリーズは、ほぼ全号がオンライン公開されている

https://wholeearth.info

 

 

 

 

 

 

 

テクノロジーは人間をエンパワーするのか、救済するのか

 

桐原 藤井聡太さんを代表とする、現在のプロ棋士たちはAIによって能力を引き出されているという言いかたもできると思います。そう考えると人間も自分たちの限界を未だ理解できていないような気がします。

 

服部 たとえば情報時代には、イーロン・マスクという企業を率いる一個人が、安全保障をめぐってロシアのプーチン大統領と戦っているというような、従来の近代国家では考えられなかったような状況が起きています。そこで近代のパラダイムではなく、もう1つ上の次元で考えるために人間とAIとが相補的な関係になることには意味があると思います。AIの素晴らしさを喧伝することは人間の能力の乏しさを示すことになりますが、AIの限界を知り、AIと人間が協同することで人間や機械が単独ではできなかった、次のステージを探ることが可能になるのです。

 

桐原 一方で、カーツワイルやユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』のように、AIによって神に近づこうとする考え方もあります。彼らはともにバックグラウンドにユダヤ教があって唯一神的な発想が強いように感じます。一方、東洋思想の影響を強く受けたヒッピー文化では汎神教的な考えかたを強く持っていて対照をなしているように考えています。

 

服部 そこに決着をつけようとすると神学論争になって、場合によっては殺し合いになってしまいます。スチュアート・ブランドは「ホールアース・カタログ」創刊号に「われわれは神のようになったのだから、それを上手くこなした方がいい(WE ARE AS GODS AND MIGHT AS WELL GET GOOD AT IT)」というマニフェストを掲げていますが、これは人間の全能感を焚き付けるものではありません。のちに彼は著書『地球の論点』(仙名紀訳/英治出版)で「われわれは神になったのだから、それを上手くこなさなくてはならない(WE ARE AS GODS AND HAVE TO GET GOOD AT IT)」とも言っています。人間は、産業革命から現代のコンピュータの時代までに、かつてないほどのことができるようになっています。それは前近代の人たちにとっては神のようなことかもしれません。しかし、彼の言おうとしているのは、それに奢らず自分たちの力にふさわしいふるまいをするべきだということだと思います。

 

――一部のエリート・テクノロジストは、自分がAIと融合して神性を獲得することを目標にしているようですが。

 

服部 自分を神だと思い上がってしまうと、イカロスのように墜落してしまいます。それに、サイボーグ化したからといって、人間としての課題に解決をもたらせるとも思えません。実際に、いまは人間の活動が地球にカタストロフをもたらしかねない状況ですから。

 

――ポスト近代といわれる現在でも、戦争や紛争は絶えません。

 

服部 グローバル化が進んで市場が飽和してくると、一方が得をすれば他方が損をするというゼロサムゲームになっていきます。宇宙から地球を眺める視点からは、国境というものが所与のものではないことを意識せざるを得ません。隣国が邪魔だからミサイルを撃ったり紛争をしかけたりというのも、あくまで地上での平面的な発想ですよね。私たちは地球が丸いことを頭で知っていても、それを実際に眺めたことはありませんし、地球人という言葉を知っていても、それをまだ感覚的に自覚することはありません。「ホールアース・カタログ」が示したのは、私たちの発想のドメインを変えることだと思います。

 

――それは、時間軸としても長期的に考えることになるのでしょうか。

 

服部 世界大戦という概念も、20世紀という時代の産物です。広域での経済活動が行われるようになって、多くの国が戦争に巻き込まれるようになり起きた大規模な戦いは、最初はどうなるかもわからないわけで第1次とは呼ばれずグレート・ウォーと呼ばれていました。残念な事にその流れは止まることなく、同じような大戦がまた起きて第2次と呼ばれるようになりました。私は、現実は2.8次世界大戦の状態にあると考えています。世界中がインターネットで相互接続している世界では、大戦は切れ切れに起きるのではなく、ネットの中で日々個人間から国家間まで数限りなく起き、それがある日臨界点に達して、進化における断続平衡のように、一気に世界中を巻き込む第3次大戦が起きる前夜のような気がします。かつてはエネルギーと物質が世界を支配する時代でしたが、いまは情報と生命の時代です。そう考えると、旧来の視点を踏襲するのではなく、人間がこれまでどのように戦争をしてきたかというところまで視野を広げなければ解決を探ることができません。

 

――これまでのルールでゲームを考えるのではなく、ゲームのルールやゲームボードそのものを問う想像力が必要になるわけですね。

 

服部 そのためには、時間的にも空間的にも広いスパンで、新しい次元でものを考えなければなりません。時間に関しては、スチュアート・ブランドは「Long Now」というプロジェクトの代表として「1万年時計」というものをつくっています。1万年と言えば、4大文明の期間より長いスパンです。これは今日の「より早く/より簡単に」というモードに対抗する「よりゆっくり/よりよく」というスチュアート・ブランドの「ロング・ターム・シンキング」のシンボルとなっています。1年に1回針をすすめ、100年おきにベルが鳴るもので、試作品はすでに1999年12月31日より稼働しています。現在はネバダ州のイーリー(Ely)近辺での建造を目標にしています。また、いずれの時計にも再生可能エネルギーを用いています。

 

 

ポスト・デジタル時代を止揚するために

 

――私たちが知のパラダイムを変えようとするときに、どこに軸を設定すればよいとお考えですか。

 

服部 太古からあって、私たちが気づいていない物事は山ほどあるはずです。人間が名前をつけて整理することで、私たちはようやくそれを意識できるようになるわけですから。私たちは残されたものを非科学的だとして退けてしまいがちですが、そうした物事に真摯に向き合うことが必要だと思います。いままでの人間社会は、友人や知り合いと教え合ったりして、コミュニケーションのなかで新しいことを知ってきました。しかし、お互いの顔がわかる知り合いの数は、ダンバー数といわれる150人までが脳の機能的に限界だとされています。ところがそこをインターネットで補完すれば、極端に言えば理論的に全人類と知り合いになることができます。Web4.0で構想されているように、全人類の頭の中同士がネットを介してつながり、思ったことがそのまま他の人にもシェアされて、グローバルブレインのような世界が実現するかもしれません。もし90億人が1つのプロセッサーにつながって動くようになっていけば、現在は考えもつかないような宇宙的な思考もできるようになるかもしれません。現在のChatGPTなどを、こうしたこれから来る人々の知と知をつなぐ前段階のインターフェースとして捉えることは可能だと思います。科学や技術が進んだからといって、種としての人間はほとんど進化していません。だからこそ、潜在的なポテンシャルとして持っているものを意識下に呼び戻すことが必要だと思います。

 

 

 

桐原 私は、ユダヤ・キリスト・イスラムの「アブラハムの宗教」以前の価値観を根本から再考して、カーツワイルやハラリの持つ人間観が書き換わらないかぎり、資本主義のゲームからは逃れられないと感じています。フマニタス(観察者としての文明人)とアントロポス(観察対象としての人間)の対比でいうと、フマニタス的な発想のもとで人間とAIとの幸福な未来を予想することは難しい。

 

服部 未開の地にいる人々にそうした生命力を求める発想もありますね。今後、地球に大きな気候変動が起きたときに、生き残るのは彼らだけだともいわれています。

 

――それはケヴィン・ケリーが「テクノロジーの声に耳を傾ける」としてアーミッシュの人々に会いに行ったり、ジョージ・ダイソンがカナダのツリーハウスに暮らしながらアラスカ先住民のカヤックの復元を目指したりしたことに近いように思います。

 

服部 生命力のようなものが人間から失われたわけではないと思います。私たちは、それを発揮できないまま教育されて文明社会に順応してしまっていて、持っていることすら忘れてしまっている。文明のなかにいても、AIやコンピュータを使って、親や社会が教えてくれないことを自分で学べるようなツールがあれば、少し変わる可能性があるかもしれません。私はわれわれが現在気づいていないものについて再度問い直す方法として、アナロジアというアンチテーゼを立てて「ChatGPTはもう古い」などと言ったりしていますが、それはみんながChatGPTを無批判に称賛するなかで、そこに対抗軸を立てたいと考えているからです。

 

――世の中の趨勢へのカウンター・スピーチとして機能することを期待されているのですね。

 

服部 そういうことです。能力があっても気づくことができなければ、そこで思考停止することになってしまいます。『アナロジア AIの次に来るもの』を日本で紹介することで、デジタルの限界が近づいていて、その先にあるのは私たちが忘れてきた習性や自然などのアナログなものだという主張を立てたわけです。その先に、両者を統合するビジョンがあるのだと思います。次に手がけた『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』では「ホールアース・カタログ」がはじめて地球全体の写真をみせたことで人々が地球全体を意識して、そこから現在のデジタル社会がはじまったのではないかと問いかけました。こうしたいろいろな視点を提供することで、ポスト・デジタル時代の論議が広く行われることを期待しています。<了>

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