刊行ラッシュの生成AI関連書で内生的経済成長を考えてみる

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

生成AIが喧しい。書店のビジネス書のコーナーにいけば「生成AI」「ChatGPT」とタイトルにある書籍が平積みされ、Amazonの検索窓に「生成AI」と入力すれば、技術専門書よりもビジネス書、新書でいっぱいになる。

 

 

 

目次

生成AI関連書籍の刊行ラッシュ

Microsoftのレコンキスタ

コンピューティングパワーがもたらす進化

ピン工場か、見えざる手か

 

 

 

 

 

生成AI関連書籍の刊行ラッシュ

 

この連載ではこれで数回連続になってしまうがChatGPTだ。昨年末あたりから始まったChatGPTショックが、現在は関連書籍の刊行ラッシュにつながっている。一般にビジネス書、新書は企画から著者選定、執筆、DTP、印刷製本、書店流通までふくめて半年以上はかかる。もちろん、山っ気の多い版元が緊急的にプロジェクトを進める場合もあり、そんなときでも執筆やDTPから印刷、書店流通までどんなに最短でも数カ月はかかる。雑誌や新聞といったメディアはこの通りではないが、こうしたメディアを発行するのはマスコミであってそのぶん責任も重く、事実確認などの裏どりを疎かにはできず、丁寧な取材を考えればけっしてビジネス書、新書に比べて圧倒的にスピーディというわけでもない。
ウェブメディアやテレビは情報性、時事性の部分では当然、圧倒的にスピーディなのだが、「生成AI」「ChatGPT」のような得体の知れないものを、ビジネスパーソンにもわかりやすく理解させるには網羅性や俯瞰的視野に欠けるといわざるを得ない。
メディア側の事情はともあれ、ここ数カ月で刊行された関連書籍、雑誌特集、ムックは購入して目を通した。
発行日順に並べてみよう。奥付の発行日を参考にしているが、出版界の慣例として必ずしも発行日に書店に並んだわけではないことは付記しておく。

 

 

 

 

 

 

これを書いているのは2023年の8月23日なのだが、上記はこの3カ月で刊行されたものだけである。おそらくさらに多くの類書が今後の刊行を控えているだろう。
知人に聞いたところでは、「週刊ダイヤモンド」のChatGPT特集は直近5年でもっとも売れた号だったという。この号や「日経クロストレンド」のムックのように、雑誌系統では主にChatGPTの活用術、業務効率化アドバイスといった実用的な内容と、内外の関連企業や導入企業の動向を伝えている。
一方のビジネス書、新書はむしろ生成AIによるビジネス環境への影響を論じる傾向があった。ざっとAIの開発史をあるいはチューリングの時代から、あるいはディープラーニング以降から概観しつつ、生成AIの登場を歴史的に位置付けることで将来の可能性を占う。最初に述べたように、多くのビジネスパーソンにとって生成AIはわけのわからないものであり、歴史から紐解きつつ世界の動きをみるという立体的な展開が定番の構成となるのだ。新しいテクノロジーの概説書となるとこのパターンだ。
そのほかにウエイトを占めるのは、OpenAIを代表とする生成AIスタートアップ企業の注目株の紹介、グーグルとMicrosoftの間に生じる覇権争いなどだ。面白いのは、ほとんどの本でChatGPTを使って文章作成の実演を収録していることだ。やはり執筆作業、そして読書という点からChatGPTがどんなものかを理解するには、それが手っ取り早いのだ。
このなかでは小林雅一の『生成AI』がもっとも行き届いた議論で、ほどよく専門性もありお勧めだろう。ほかにも馬渕邦美の『ジェネレーティブAIの衝撃』は最前線の知見者のインタビューから多角的に生成AIを考察しており、視野を広げるにはよいと思った。
私が個人的にもっとも面白かったのは『教養としての生成AI』だ。プログラマーでありながらライターとしても活躍する清水亮の価値観や意見に賛同するところが多いこともあるが、やはり惹かれるのは他書にはない技術解説だ。ここでもAI開発史が述べられるが、技術的な根拠をもとに進化の歴史がわかる。ただし概念やタームに馴染んでいないとやや難解かもしれない。個人的には「次元」について理解が進んでありがたかった。
概念的に生成AIや開発史を理解するなら『まるわかりChatGPT & 生成AI』で、ビジネス教養にはもっとも適した一冊だと思った。
これは意外なことだったが、生成AIに仕事を奪われるといった脅威論を煽る類の内容を前面に押し出した書籍は少なかった。平和博の『チャットGPT vs. 人類』はその系統だが、ジャーナリスティックな論点が強く、ビジネスパーソンが最初の一冊に手にとるものではないだろう。平は、G7サミットでも扱われたような著作権やフェイクニュースといった課題、教育に与える影響とリスクだけでなく、テクノロジーの宗教化といった議論までふれているが、「ホワイトカラー消滅!?」という帯コピーほどに脅威を煽っている印象は薄い。
『チャットGPT vs. 人類』で紹介されているOpenAIがペンシルベニア大と行った共同調査で大規模言語モデル(LLM)の影響に晒される可能性が高い職業について、人間とGPT-4のそれぞれが評価しているのだが、本書で指摘されるように職種の量から大きな違いが見られる。しかし、原典となった論文(GPTs are GPTs: An Early Look at the Labor Market Impact Potential of Large Language Models)をみてみると、人間とGPT-4の評価にいくつか齟齬はあるものの、現状で賃金の高い職業、ホワイトカラーのなかでも士業やアナリスト系、コンサルタント系といわれる職種ほどLLMの大きな影響に晒される傾向が強いという結果になっている。
後述するが、テクノロジーによる創造的破壊の源泉は幅広い職種に横断的に影響を与えることにある。

 

 

Microsoftのレコンキスタ

 

先に挙げた生成AI関連の新刊本のなかのいくつかで、OpenAIが最近になってLLMの性能の基準値といわれるパラメータ数を非公開にしたことをとりあげている。非営利法人OpenAI Inc.として立ち上げられながら、利益上限付き営利企業としてOpenAI LPを傘下に設立したのは2019年だ。この際、OpenAI Inc.設立に関与したイーロン・マスクが離脱し、このあいだ来日して岸田総理と面談もしたサム・アルトマンが実権を握った。Microsoftからも追加で100億米ドルの出資を受け、いよいよ生成AIの覇権争いに本格参入しているという見立てだ。
生成AIをめぐる競争は誰もが激化を予想している。GoogleやAmazonといったビックテックは当然として、ビックテックの研究部門を出自とするさまざまなスタートアップが巨額の資金調達を得て競争に加わってくる。
興味深いのは、ウィンドウズで90年代にはOS市場の覇権をにぎり、ブラウザがあればOSは不要となるとネットスケープに売られたケンカを、インターネットエクスプローラーを使わないならOfficeも使わせないとビル・ゲイツが迎え撃った「第1次ブラウザ戦争」で敵役を担ったMicrosoftが、結局のところ「第2次ブラウザ戦争」でブラウザだけでOSを不要にしてしまいかねないGoogle Chromeに奪われていた覇権をいまこそ取り戻さんとしているように見える点だ。失地回復にも似る。
Bardでの失態もGoogleの足をひっぱり、OpenAIを擁したBingでMicrosoftは攻勢にでている。同じように、MicrosoftのAzureはAmazonのAWSが幅を効かせるクラウドサービスでもその領土を広げつつある。
一方で、『ジェネレーティブAIの衝撃』で述べられているように、ビッグテックでさえその優位性を失いつつあり、時代はdisrupt(混乱期)に突入しているとも考えられる。よりオープンになった競争で、わずかに抜け出したのがMicrosoftというべきなのだろう。生成AIの学習データで自社データを使われたくない企業は進んでMicrosoftのサービスを選ぶ。MicrosoftのAzure OpenAI Serviceなら、ユースケースごとの許諾制をとっておりデータ管理に敏感な企業にとってセキュリティ面で安心なのだ。
Microsoftは2018年にソフトウェア開発のプラットフォームでソースコードを豊富に保有しているGitHub社を買収しており、OpenAIのGPTを活用してプロググラミングの支援ツールとしてGitHub Copilotを提供している。GitHub Copilotは世界中のプログラマーが利用しはじめている。これは経済学でいうところのネットワーク外部性の観点でいえば、今後、十分すぎる優位性になっていくだろう。

 

 

コンピューティングパワーがもたらす進化

 

ChatGPTがブームとなってもうひとつ改めて大きな注目を浴びた企業がある。画像処理用演算プロセッサであるGPU に特化した半導体メーカーであるNVIDIAだ。生成AIにはコンピューティングパワーが必要になる。それだけ生成AIの計算量が膨大だからである。NVIDIAが生成AIを高速化するサーバー向けGPUを発表したところ、同社の株が急騰し一夜で時価総額が27兆円も増加したのはこの春のことだ。
19世紀、アメリカはカルフォルニアでブームを巻き起こしたゴールドラッシュでいちばん利益をだしたのが金を掘る道具を売っていた者たちだったことに擬え、生成AIブームという新しいゴールドラッシュで儲けるのはGPUメーカーだという言説も聞かれる。
AIとコンピューティングパワーは歴史的に切ってもきれない関係にある。生成AI関連書籍に必ず登場するAI開発史には、半世紀の間に2度の冬の時代が記録されている。しかし、そのどちらもが背景に往時のコンピューティングパワー不足があることはあまり触れられていない。
AI開発史を少し紐解けば、第3次AIブームを巻き起こしたディープラーニングの原点となる誤差逆伝播法や畳み込みニューラルネットワークは1980年代にはすでに発見、発明されていたことがわかる。しかし、それらを実装してAIを稼働するにはコンピューティングパワーが不足していたのだ。もっとも、ビッグデータを収集するためのインターネットどころか、PCさえもようやく普及しはじめた時期だったと思えば、冬の到来をコンピューティングパワー不足だけに帰するわけにはいかないだろう。しかし、大きな要因であることは間違いない。
AI開発が2度の冬に耐えている間も、パーソナルコンピュータは懐かしいことばでいえば「ドッグイヤー」といわれるスピードで技術進化を遂げていた。その要因にあったのは、ムーアの法則といれる半導体の技術的な進化スピードがある。
ムーアの法則とは半導体メーカー・インテルの創業者、ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「半導体の集積度は18カ月で2倍になる」という経験則のことである。この法則どおり、半導体の集積度は天辺から底辺に波打つAIの進化を横目に右肩上がりに成長を続けている。実に50年以上だ。
半導体は集積することで回路が短くなって計算性能が向上する。計算性能が向上するだけでなくコンピュータの小型化にも寄与する。その頃はメインフレームと呼ばれる大型コンピュータこそ王道といわれていた。それが集積度をあげた半導体によって小型化されたコンピュータはパーソナルなものになった。PCはこの進化なしに誕生はしていない。ムーアの法則がなければ、スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツもまったく別の人生を歩んでいたにはずだ。
言論サイト「アゴラ」を主宰する池田信夫が2007年に上梓した『過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?』(アスキー新書)では、この進化を見誤ったIBMの失速と見事に機会を得たMicrosoftの対比をみる。同時に先にふれたブラウザ戦争におけるMicrosoftの戦略の阿漕さも浮き彫りにする。そのMicrosoftは2007年時点ではGAFAの後塵を拝しており、GAFAMとはなっていなかった。失地回復と言いたくなるのはそういう理由もある。
もう一点、見落とすべきでないのはAIのコンピューティングパワーを支えるGPUの進化だが、『教養としての生成AI』では以下のように述べられている。

 

〈2回目の冬の時代という〉この状況を打破したのは意外にも、全く無関係に思える分野の発展でした。ゲーム機です。ゲーム機の開発競争で高性能化・低価格化・汎用化されたGPU(グラフィックス処理ユニット)をニューラルネットワークの計算に応用できることがわかり、研究は一気に加速しました。

〈〉内、桐原 出典『教養としての生成AI』

 

この時代のゲーム機の競争については『過剰と破壊の経済学』にも記述がある。PS2を成功させたソニーがPS3開発に際して、Cellという画像処理に強い半導体の開発に2000億円を投資して大きな損失をだしたことだ。現在のようにGPUを画像処理以外に使用するという考え(GPGPU)がなかった頃に、汎用化の目的で高性能半導体開発に巨額を投じたのだ。
しかし、Cellにゲーム機のグラフィック以外に大きな需要がなかった。ちょうどジェフリー・ヒントンらがディープラーニングの研究で注目を浴びはじめた時期に重なる。こうした歴史が現在のAIブームの背景になっていることを思うのは面白い。

 

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?
池田信夫著
アスキー新書
ISBN978-4756150776

 

 

 

ピン工場か、見えざる手か

 

池田信夫が『過剰と破壊の経済学』で述べたのは、日本企業の失地回復のほうであった。この国際的な水平分業時代(フラット化する世界)で、日本企業はいかに生き残るのかを論じている。それからすでに16年を経過しているが、日本企業の存在感は回復するどころかますます失われつつある。主だった生成AIサービスのなかに日本企業はその気配すらないのが実情だ。
半導体の集積度の向上、それにともなって広がった水平分業はコンピュータのコスト低下につながった。コンピュータの価格は劇的に低下し、ひと頃は「コモディティ化」が流行語にするほど利益の薄い商品になった。
ここにふたつの最も古典的な経済学のテーゼがある。アダム・スミスが『国富論』上下(高哲男訳/講談社学術文庫)で唱えた──ピン工場を例にした──分業化と、市場の均衡を表す有名な「神の見えざる手」である。実はこのふたつは相矛盾する。分業化が進行して生産コストが下がれば相対的に利益は増えていく(収穫逓増)が、市場に投入されて他企業と競合すれば需要と供給が均されて相対的に利益は減る(収穫逓減)というわけだ。
神の見えざる手として収穫逓減が進めば経済全体はいずれ成長を止めることになる。しかし、世界経済は第一次産業革命以来、数百年にわたって成長を続けている。経済全体は収穫逓増しているわけだ。収穫が増えていく理由は、新しい資源の発見や労働人口の増加や、比較優位による生産の最適化など、さまざまにいわれてきた。技術が進化することで生産設備の能力が上がったり、従事者の能率が上がったりといったかたちで生産性は向上していく。
新古典派経済学のロバート・ソローは、生産は設備投資によって短期的には増加するとしながらも、それでは長期的な成長につながらないとした。設備を増強することはそれに伴うコストも増加させ、いずれ増加する生産分を食われてしまう。それなのに経済は成長する。設備なのか従事者なのか、それとも別のなにか、明確にできない成長の要因を「ソロー残差」と呼ぶ。技術が進化することでソロー残差が生じて経済は成長する。ソローはそう説明した。ソロー残差は外的な要因からもたらされるとされた。
ところで、私が手に取ったすべての生成AI関連の書籍で扱われたAI開発史の歴史は1950年代後半のパーセプトロンから始まり、知能をいかに数学の言葉で再現するのか、言いかえればいかに数式化するかという歴史だ。第2次AIブームまでの演繹推論から第3次AIブーム以降の帰納推論へという論理処理の転換はあったとはいえ、数学によって知的機能の記述を目指してきたことにかわりはない。だからこそ、生成AIは根本的には数学の言葉であるプログラム言語を易々と生成できるのだ。むしろ自然言語より相性がいいのかもしれない。
経済学も人間の活動をいかに数学で表すかという歴史を歩んできた。記述的な経済学が主流だった時代も、数式による経済学は研究を進められてきた。
経済成長と技術進化といえば、ヨーゼフ・シュンペーターのイノベーション理論が有名だが、このふたつの関係を数式として表すことに成功したのはポール・ローマーである。ローマーが発表した「内生的成長理論」では、ソロー残差のような外的な要因に頼らず経済成長を数式で説明する。重要なのは、設備やそのための資本や従事者のスキルといった人的資源ともちがうまったく新しいアイデアやコンセプトが誕生するとそれは競合を生じないということだ。この非競合のアイデアやコンセプトが神の見えざる手(収穫逓減)を無効にする。市場はまったく新しいアイデアやコンセプトに釣り合う価格をつけられないからだ。
先にあげた「ブラウザ戦争」という、コンピュータとインターネットの戦いは内生的な技術変化を示す好例だ。まったく新しいアイデアが創造的破壊を誘導し、古いアイデアやコンセプトを市場から一掃し、経済全体のレベルをあげて成長を促進させるのだ。
インターネットはすべての業種業態を横断して破壊的に振る舞うイノベーションの典型だった。業種業態の枠組みをさえ変えてしまった。Microsoftも退場されかけた。ビル・ゲイツの阿漕で狡猾な戦略がなければ生き残りはなかったはずだ。
あえて付記すれば、コンピュータ、インターネット、生成AIとイノベーションの間隔はどんどん短くなっており、これはレイ・カーツワイルが収穫逓減、収穫逓増に即して名付けて「収穫加速」そのものでもある。カーツワイルはムーアの法則を参考にしており、イノベーションの発生頻度は指数関数的に加速していくという。
インターネットや、その前に途上したパーソナルコンピュータの破壊的な創造が世界の経済全体のレベルを上げ成長を促進してきたのは誰にでもわかることだろう。ただ、日本人を除いては──。
内生的成長理論については、アダム・スミスの時代から、リカード、マルサス、マルクス、ケインズ、フリードマン、ハイエクといった錚々たる経済学者のみならずフォン・ノイマンさえ登場して、経済学で無視され続けた知識(アイデアとコンセプト)というものがいかに現代経済学において最重要なものになるに至ったかを論じ尽くす『ポール・ローマーと経済成長の謎』(デヴィット・ウォルシュ著/小坂恵理訳/日経BP)が非常に面白い。ちなみにローマーは2018年にノーベル経済学賞に輝いている。成長というものがなぜに半永久的に続くのかと、人の成長と同じく、経済の成長もいずれ止まる、なぜなら資源は有限なのだからと考えてきた私のような人間には、有限な資源という外的な要因ではなく、知識という内生的な要因こそ経済を成長させるというローマーの理論は積年の謎を鮮やかに心地よく解いてしまう。

 

 

国富論(上)
アダム・スミス著 高哲男訳
講談社学術文庫
ISBN978-4-06-519094-4

国富論(下)
アダム・スミス著 高哲男訳
講談社学術文庫
ISBN978-4-06-519093-7

ポール・ローマーと経済成長の謎
デヴィッド・ウォルシュ著 小坂恵理 訳
日経BP
ISBN9784822288716

 

 

 

日本の経済成長は止まっている。G7で日本だけが一人当たりのGDPが成長しておらず、給与はあがっていない。明治維新から1990年、失われた30年の以前までは成長するのが当たり前だった。そんなことが常識だった時代を思い出すこともできない。
何が足りないのか? アイデアとコンセプトだ。いま最も成長をもたらす分野はいうまでもなく生成AIだ。コンピュータやインターネットの創造的な破壊が経済成長を一気に進めたように、冒頭にOpenAIとペンシルベニア大学の調査で紹介したように、生成AIの破壊的な創造に晒されるのは多種多様の業種業態だと予測されている。それはきっと経済全体のレベルをあげ成長を促すだろう。
生成AIにアイデアとコンセプトを生み出し日本経済を成長させることはできるのだろうか。必要なのは国策なのか。アニマルスピリッツをもったアントレプレナーなのか。
この数年で、日本のポジションは決定的なものになる気がする。それが成長へと反転すれば持続し、このままであればいまの状況がいよいよ固着するだろう。