信頼に足る制度設計を国民に提案できるかがカギ
――アジア・パシフィック・イニシアティブ主任研究員・向山淳氏に聞く(2)

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聞き手 IT批評編集部 土田修

デジタル庁、ひいては日本政府が本当の意味で国民にDXの利便性を享受させDXを推進するには、いくつかのプロセスを経る必要がある。しかし、そのプロセスの一歩一歩にはそれぞれ障壁もまたある。国民感情としても最も関心が高く、それゆえに最も大きな障壁となっているのは、個人情報の管理を国がどのように行うかという課題である。

日本社会全体のDXは、政府のみでは進まないのは当然として、民間の力を借りるだけでもおそらくは不足であろう。国民一人ひとりのデジタル化への信頼がなければならないからだ。私たちが個々で日本の未来のためにDXを理解しなければならないだろう。

 

 

向山淳(むこうやま じゅん)

慶應義塾大学法学部政治学科卒業、ハーバード大学公共政策大学院修了。2006年、三菱商事株式会社へ入社し、主に金融分野で海外政府の民営化資産を対象とした買収や年金運用に携わる。2013年から2015年までカナダ・オンタリオ州公務員年金基金に出向。2019年9月よりAPイニシアティブ主任研究員として、主にデジタル政策、官民連携、政策起業を担当。新型コロナ対応・民間臨時調査会ワーキング・メンバーとして調査・検証報告書では政策執行力の章を共同執筆。

 

 

目次

誰ひとり取り残さないDXは不可能ではない
政府に情報を預けることへの警戒感
国によるID管理と、個人の情報主権は両立する
日本人がアイデンティティー・マネジメントに真剣に向き合うきっかけ

 

 

 

 

 

誰ひとり取り残さないDXは不可能ではない

 

編集部 デジタル庁のHPでは「デジタル時代の官民インフラを今後5年で一気呵成につくりあげる」と謳っていますが、現時点ではゴールの詳細が明らかになっていません。何をもってゴールとするのがふさわしいのか、またロードマップ(優先順位)について解説いただけますか。

 

向山 デジタル改革の推進会議が立ちあがっていて、KPIをどこに置くのかという計画をこれから出すというように聞いています。年度内には工程表が出ることになると思います。

 

編集部 5年でどこまでやるのがふさわしいのかお聞かせください。

 

向山 デジタル化に対する国民の期待に応えることが非常に重要だと思います。たとえば引っ越しの手続きが楽になるとか身近な行政サービスで利便性が上がったなと感じられるような成功体験を積みあげていくというのがポイントになってくると思います。その後ろ側でレジストリであるとか時間がかかるデジタル・インフラ整備を同時並行でやっていくのが重要です。国民の目からデジタル庁が何をしているのかわからないというイメージを持たれて、ある日、急に「IDの基盤(インフラ)ができました。どうぞ使ってください」と言われても国民の意識が付いてこないと思います。デジタル庁ができたことで身近なサービスが便利になったということを実感させながら5年の間にしっかりとしたインフラを整備して欲しいなと思います。

 

編集部 行政サービスのDXでは、ラストワンマイルともいうべき個人のデジタルリテラシー問題(高齢者など)に地方自治体は苦労しているようです。「誰ひとり取り残さない」ために必要なことはなんですか? 

 

向山 API地経学研究所所長であり内閣官房参与も務めておられる村井純先生が、日本のデジタル化に関する成功例として、2011年のアナログ放送からデジタル放送への切り替えを引き合いに出されています。これは2001年にデジタル化への宣言をして10年間で100%の切り替えを実現しました。最初は家電エコポイントでデジタル放送対応テレビへの買い替えのインセンティブを付与して、パイを増やしていって、最後は人海戦術で地域の高齢者への訪問サポートまでしてやりきった。そこまでやらないと「誰ひとり取り残さない」というのは難しいことなのだと思います。逆にそこまでやれば不可能ではないわけですよね。そこまでいくには全国津々浦々、地域レベルの協力というのが非常に重要になってきます。

 

 

政府に情報を預けることへの警戒感

 

編集部 社会全体のDXが進めば進むほど、デジタルリテラシーによるデジタル格差問題も懸念されますね。

 

向山 デジタル格差に関しては、日本に限った話ではありません。たとえば中国では、コロナ対策としてQRコードで行動制限をしていました。陰性であることの証明にQRコードを持っていないと商店や飲食店への入店が許可されない。この場合、スマホを持っていない高齢者は親戚や近所の若者に助けてもらったりしていたそうです。ご指摘のような“デジタル弱者”という階層が出てくるという問題は日本でも予想しておいた方が良いでしょう。一方で、オンライン診療が典型的な例ですが、地方の中山間地域(平野の外縁部から山間地にかけての地域)とかお年寄りの方がデジタル化で受ける恩恵は大きいのです。医療や教育、防災などの基礎サービスのところでデジタル化の浸透を図ることが、誰も取り残さないという意味でも重要だと思います。

 

編集部 マイナンバー利用について言えば、国に所得を捕捉されてしまうことへのアレルギーも普及しない大きな要因だと思います。国は徴税権という抗いようがない武器を持っているので、収入を丸裸にされてしまうのは怖いという感覚はよく理解できます。

 

向山 確かに民間のサービスを使うときには、あまり深く考えずに個人情報を提供しているけれど、政府が相手となると必要以上に警戒してしまうという傾向があります。たとえば、GoogleやFacebookにはあれほど膨大な情報を預けていますが、その何分の一であっても国には知られたくないという。たぶん信頼が構築されていないということだと思います。実はマイナンバー法は、世界でも類を見ないほどの厳しいプライバシー管理の下での運用を定めています。そこは国民にはあまり知られていないですよね。

 

編集部 本当は情報を提出することで得られるプラスの側面もあるはずです。税に関して言えば、国は徴収するだけはなくて、分配することも役割として担っています。医療や教育ではさまざまな控除や給付金制度があります。収入情報を出すことでそうした「税を取り戻す」メニューが画面に出てくるようなサービスを期待したいですね。

 

 

国によるID管理と、個人の情報主権は両立する

 

編集部 IDの管理について、国が一元的に管理する中国のようなやり方と、国や企業に制限をかけるヨーロッパ型のやり方がありますが、日本はどちらがふさわしいとお考えですか?

 

向山 権威主義型か民主主義型かという比較ですね。日本は中国のような権威主義型の管理は考えにくいというか、国民が絶対に納得しないでしょう。どちらかといえば、ヨーロッパ寄りにしかなり得ないと思います。私は、国がIDを基に情報をつなげるということと、国民が自分の情報に対する主権を持つことというのは両立できると思っています。エストニアを例にしますと、IDで医療情報も税務情報も運転免許証もつながっているわけですが、政府が自分のどの情報を閲覧したかがアクセスログでわかるようになっています。なぜ政府が自分のそのような情報を見たのか、国民が監視の目を持てることで、主権を手放さないかたちが設計されています。

データ駆動型の社会を実現するうえで、どこまでが自分が持たなければならない情報で、どこからが国が使ってもいい情報であるのか。国ごとのルールはあれど、それを国境を超えたデータとしてどう互換性を保って自由な流通を促すのか。それがDFFT(信頼性のある自由なデータ流通)で議論されていることです。パンデミックがいい例ですが、医療情報について感染症例をメタデータ化して国が創薬や人流制限のための方針に使うことについてノーと言う人はあまりいないだろうと思います。個々人の医療情報は非常に機微な情報である一方、今回のようにパンデミックの差し迫った危機のなかで、公共に資する目的のためであれば、1億2000万人の個々人の了解を時間をかけて取らなくても使ってもいいのではないか。そういった切り分けについて取り決めをつくるのがDFFTの議論の一番の肝になると思います。防災や感染症対策といった分野では、コンセンサスを得られやすいと思います。

 

編集部 多くの人が無意識のうちにGAFAに個人情報を預けている状況がありますが、そのことのリスクはどこにありますか?

 

向山 だいぶ改善されてはいるのですが、GoogleにしろAppleにしろFacebookにしろ、各サービスやその上に乗っているアプリがどんな情報を預かっていて、それを何に使用しているのかをユーザー側に伝えていなかったことが一番の問題だと思っています。GoogleやFacebookは収益を上げるために広告を出しています。広告は最適化されたほうが単価が高くなるわけですからデータポイントは多いに越したことはない。どれだけお金を持っていて、どういう政治的な志向で、どんな趣味で、どういう友達と付き合っているかをデータ化することでピンポイントな広告が出せるということですが、取得されている情報の内容、何に使われているのかをユーザー側が了解しているのかどうか、その確認が取れていない、あるいははっきりと表明していないことが問題でした。

個人情報の悪用例として、選挙コンサル会社であったケンブリッジ・アナリティカが2016年のアメリカの大統領選挙や英国のEU離脱の国民投票に影響を与えた事件が挙げられます。ケブリッジ・アナリティカはFacebook上の個人データを取得してプロフィールを分析。有権者に対して候補を勝たせるのに有利なプロパガンダ広告を送りつけるなどを行いました。ロシアとの関係も指摘される海外企業の介入が投票行動に大きな影響を与えたということで問題化しました。お買い物のときに自分の嗜好に合ったものをレコメンドしてくれるだけなら「便利だな」で済みますが、民主主義の根幹である選挙などの意思決定に影響を与えることが可能になるのは非常に大きなリスクです。

 

 

日本人がアイデンティティー・マネジメントに真剣に向き合うきっかけ

 

編集部 日本人が自分のアイデンティティー・マネジメントに真剣に向き合わざるを得ないきっかけはどんなことが考えられますか?

 

向山 早晩、マイナンバーに口座登録をしますか、どうしますかという選択のタイミングが来るでしょう。銀行の情報とマイナンバーを紐づけるかどうか、今までも総務大臣が観測気球的にそんな案を挙げていましたが、実現していません。今後、信頼に足るような制度設計を政府が提案できるのか、また国民が政府を信頼して情報を預けるかどうか、一つの大きな山場になると見ています。また、デジタル庁が医療・教育に加えて防災を基本サービスに挙げているように、日本の場合は自然災害のことも念頭に置かなければなりません。東日本大震災のときにも、戸籍が役場ごと流されてしまって自分の存在を証明するものが消失してしまったという例もあります。国民一人ひとりのアイデンティティーをデジタル化してきちんと管理する体制をつくることもデジタル庁に課せられた大きな役割だと思っています。

 

編集部 向山さんが個人的に、公共・民間のサービスを問わず、日本はDXで遅れているな、もっと改善したほうがいいのにと思う点はありますか?

 

向山 アメリカにしばらく住んでいてデジタル化の恩恵を特に感じたのは医療サービスにおけるデジタル化です。IDに紐づいて自分の病歴、治療歴、投薬歴、アレルギー情報などが管理されているので、皮膚科に行っても整形外科に行っても内科に行っても、医者は共通の情報を見ることができます。もちろん自分でもマイポータルのかたちで見ることができます。「○日経って熱が下がらなかったら〇〇してください」など、お医者さんの説明も文字で残っているし、子供の場合には、予防接種の履歴が全部記録されていて、そろそろ次の予防接種を受けるタイミングなのでアポイントを入れてくださいというお知らせもきます。受診の後に薬局に行けば自分の情報が送られているので、紙の処方箋を出したりしなくても番号を伝えるだけで移動中に準備されていた薬を出してくれます。本当に快適な医療サイクルというものを体験することができました。アメリカの場合は政府がやっているのではなくて、保険会社がシステムを提供しています。保険会社としてはデジタル化することによって、コスト削減と顧客満足度の向上につながるので実現しているのですね。特に、医療情報は、自分にとって便益があるだけはなくて、医療機関側もその情報を使って創薬なり予防医学なりに役立てる体制ができれば非常に可能性が大きい分野です。日本でも紙の母子手帳や電子カルテなど分散している情報を人々のために戦略的に使えるようになることを期待しています。(了)

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