デジタル庁は“デジタル敗戦”挽回の道筋を描けるか?
――アジア・パシフィック・イニシアティブ主任研究員・向山淳氏に聞く(1)

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聞き手 IT批評編集部 土田修

日本社会全体でのDX推進の期待を集めて発足したデジタル庁。民間のトップ人材を起用した組織体制はこれまでにない政府の本気を感じさせるものとなった。政府がそれだけ日本の未来の安危に関わるものとみているのがわかるわけだ。

「新型コロナ対応・民間臨時調査会」のメンバーであり、これまでに日本のDXについて論考と提言を数多く発表してきた一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員・向山淳氏に、日本のデジタル政策の問題点とデジタル庁が果たす役割について解説してもらった。

(2021年9月15日 オンライン取材)

 

 

向山淳(むこうやま じゅん)

慶應義塾大学法学部政治学科卒業、ハーバード大学公共政策大学院修了。2006年、三菱商事株式会社へ入社し、主に金融分野で海外政府の民営化資産を対象とした買収や年金運用に携わる。2013年から2015年までカナダ・オンタリオ州公務員年金基金に出向。2019年9月よりAPイニシアティブ主任研究員として、主にデジタル政策、官民連携、政策起業を担当。新型コロナ対応・民間臨時調査会ワーキング・メンバーとして調査・検証報告書では政策執行力の章を共同執筆。

 

 

 

 

目次

民間人起用の画期的人事
コロナ対策が示したデジタル後進国・日本
成熟したアナログ社会がDXの障壁
デジタル庁の果たす役割
霞ヶ関もウォーターフォール型からアジャイル型へ

 

 

 

 

民間人起用の画期的人事

 

編集部 いよいよデジタル庁が発足しました。気が早いですが、発表された布陣を見て、点数をつけていただけますか。

 

向山淳氏(以下、向山) デジタル庁にはとても期待しています。枠組みとしては80点でしょうか。

 

編集部 合格点ですね。

 

向山 デジタル庁はどのような組織体制が望ましいのか、私は組織の目的、位置付け、人材活用の3つの観点から注目していました。

 ①司令塔機能の目的を『日本社会全体のDX』とする

 ②デジタル庁を各省より高い位置づけにする

 ③最先端グローバル人材を確保するためデジタル庁を公務員の特区にし、また、民間からきた専門人材が、重要な意思決定のラインに入れるか。そして、デジタル庁が優秀なエンジニア等に開発経験を提供して育て、民間企業へフィードバックする

①については、まさにデジタル庁のミッションとして誰ひとり取り残さないデジタル化を掲げています。②も、他省の外局ではなく、総理大臣直轄の組織になりました。さらに、各省のシステム予算に強い権限を持ったことで、各省より高い位置づけと言えると思います。③は、特区にはなっていませんが、外部のオフィスや使えるデジタルツールの整備、兼業やリモートを積極的に認める働き方など、既存の枠組みのなかではかなり進んだのかなと思います。また、今回の組織を見ると、いわゆる実権を持つ意思決定のラインである「グループ長」という幹部レベルにも民間人が入っていたので画期的だなと感じました。最後の民間企業へフィードバックするという役割はこれからの話ですね。

 

編集部 逆に物足りなく思った部分はありますか。

 

向山 二つあります。一つは、サイバーセキュリティの省庁横断体制は今回のデジタル庁設立の議論からは残されたこと。もう一つは、グローバルな連携について、言及されていないのが少し気がかりですね。デジタル庁のグローバルサイトは情報が少ないです。2019年のG20大阪サミットで安倍前首相がDFFT(信頼性のある自由なデータ流通)のいわゆる「大阪トラック」を宣言しました。日本が多国間の枠組みづくりでイニシアティブをとるうえで、デジタル庁がグローバルの連携のハブになるなど一定の役割を果たすことを期待していましたので。

 

 

コロナ対策が示したデジタル後進国・日本

 

編集部 今回のデジタル庁発足について、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)や向山さんはいくつか論考や提言を発表しており、日本のデジタルシフトに大きな関心を寄せていることが伺えますが、それはどのような背景からでしょうか?

 

向山 APIの前身である一般財団法人日本再建イニシアティブは、東日本大震災の原発事故から半年後の2011年9月に設立され、第三者の立場から検証を行い民間事故調の報告書を発表してきた経緯があります。2020年以降、コロナウイルス感染症拡大が大きな問題ですが、ここでも臨時調査会を立ち上げ、第一波における政府の対策について検証を行い、報告書を出しています。私自身も検証のワーキング・メンバーとして給付金の配布などの政策実行力を検証したのですが、そこで明らかになったのが、デジタル化の遅れによって政策が国民に届かなかったという問題でした。厚労省大臣をはじめ、何人ものインタビューを通して、全体に通底する問題として“デジタル敗戦”という言葉が浮かび上がってきました。デジタル化の遅れは日本社会が抱える大きな課題だと認識して提言を行なっています。

 

新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書
ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN:978-4-7993-2680-0

 

また、APIでは財団のミッションとして、「自由主義」「イノベーション」「政策起業力」の三つを挙げており、シリコンバレーと日本を繋ぐ起業家のネットワークづくりなど、イノベーションのエコシステムの整備にも力を注いできたという背景もあります。シンクタンクの役割として、一つには直接的な政策提言がありますが、プラットフォームをつくって議論を活性化させる場づくりの役割も担っています。ちなみにAPIでは、10月5日にシンポジウム「PEPサミット2021」を開催します。ここでは官民人材のリボルビング・ドアなどの政策づくりのエコシステムをテーマとして取り上げて、デジタル庁のCTOに就任した藤本真樹さん(グリー株式会社CTO)やCIO補佐官も務められたCode for Japanの関治之代表理事などにもご登壇いただきお話を伺う予定です。

https://peplatform.org/event/2021autumn/

 

編集部 経済や資源の問題を歴史や地理などの政治的側面から研究する「地経学(geo-economics)」の観点からも日本の“デジタル敗戦”について言及されています。

 

向山 そうですね。APIでは地政学の先として経済を武器化する「地経学」に着目し、経済安全保障の分野にも関心を寄せています。これまでに歴史を動かしてきた国家間のパワーバランスが、古くはシーパワーがあり、冷戦期間のニュークリア(核)パワーがあり、冷戦後のソフトパワーを経て、現在は「サイバーパワー」が鍵を握っているという認識があります。アメリカがファーウェイ(HUAWEI)に対する制裁措置を取るなどの動きも経済安全保障の一つといえるでしょう。テクノロジーの覇権が国家間のパワーバランスに与える影響は非常に大きいと考えています。その意味では、日本がデジタル技術を使いこなせる国であることは非常に重要で、デジタル庁発足がきっかけになればと期待しているので、数多くの提言もしています。

 

 

成熟したアナログ社会がDXの障壁

 

編集部 この10年間で、日本でDXが進まなかった最も大きな原因は何だったとお考えでしょうか? 2012年創設の政府CIO(内閣情報通信政策監)は十分なリーダーシップを発揮できませんでしたが、デジタル庁がその轍を踏む恐れはないでしょうか。

 

向山 日本の社会でデジタル化が進まなかったのは、アナログでも十分便利だったから。これに尽きると思います。たとえば、日本は全国どこでもATMがある状況で現金がすぐに引き出せるので、キャッシュレスに対するニーズって生まれにくいんですね。少なくともキャッシュレスに移行しなければ生きていけない状況ではないわけです。既存の仕組みが成熟しているので、それを変化させることのコストとデジタル化によって受ける便益のバランスが、デジタル化を押し進めるほどではなかった。マイナンバーカードが普及しなかったのは、なくてもなんら不便を感じなかったからではないでしょうか。対して中国やアフリカでは、現状に不便があるから一足飛びにデジタル化に進むという「リープフロッグ現象」が見られます。日本は既存のサービスや業法を壊してまであえてデジタル化を進めるインセンティブがなかったということです。

 

編集部 コロナがその状況を変えたのですね。

 

向山 パンデミックが起きたときに、変化のコストとデジタル化による便益のバランスがシフトしたのは間違いありません。フェイス・トゥ・フェイスからオンラインへの移行は象徴的ですが、そこで日本のデジタル化の遅れが誰の目から見ても「不便な社会」として露呈したのだと思います。

 

編集部 環境に過剰に適応してしまうことで、次のステップに移行できないという、まさに「イノベーションンのジレンマ」みたいなお話ですね。その意味では、マイナスの状況を抱えて現状に危機意識を持っているセクションの方がデジタル化には早く取り組めますよね。

 

向山 そう思います。たとえば人口が減少している地方にしろ、生産性が低くて収益が上がらずに悩んでいる業界にしろ、中長期的な視点で考えればデジタル化した方がWINが大きくなる種を持っているところは少なからずあったのですが、ブレイクスルーに至っていなかった。それがコロナで実際にリモートワークをやってみたりして、成功体験として実感できて、ようやくデジタルシフトが始まっているのだと思います。

 

編集部 政策的にはできることはなかったのでしょうか。

 

向山 政府のデジタルサービスやシステムの最適化という意味では、政府CIOの設置などは必要なステップだったと思うのですが、必ずしも政策全体のなかで優先順位が高くなかったので、権限やリソースが十分ではなく、歩みが遅い改善になってしまった。コロナが起きるまで、そこを強烈に推し進めるための政策的なドライバーがありませんでした。マイナンバーカードについては、国民が利便性を実感するよりもプライバシー懸念に対して行政が配慮しすぎて、使い勝手が悪くなってしまった印象があります。マイナンバー法が厳しく用途を制限(社会保障、税と災害対策の3分野)している根幹には、住基ネットに対する最高裁の判決もあって、個人情報を厳格に分散管理しなければならないという考えが制度設計に影響を与えています。

 

 

デジタル庁の果たす役割

 

編集部 改めてデジタル庁とは何をするところなのか、役割を整理していただけますか?

 

向山 組織体制図を見ながらお話しします。

 

図:デジタル庁HPより

 

「デジタル社会共通機能グループ」という部署がデジタルインフラをつくる部分に該当すると思います。デジタル時代のインフラのことを「デジタル公共財」と呼んでいますが、マイナンバーのようなID、根幹となるデータを整備するベース・レジストリ、クラウド構築など、基盤となるプラットフォームに関わるものがここに集約されています。それを行政サービスに生かす一方で、民間でも活用できる日がくると思います。信頼のおけるデータ、ID、認証の仕組みなどがデジタル時代のインフラだとすると、いわば、政府が高速道路を提供して、そのうえで民間企業が車を走らせるというイメージです。

 

編集部 民間企業が活用するとなると、セキュリティの問題などが出てきて、これまでの傾向から問題回避的な消極的なシステムになることが懸念されますが。

 

向山 そのあたりは、たとえば、最初から民間企業が活用できるかたちでデータ整備をしていく、出すものと出さないものを明確に切り分ける、互換性を担保するなど、全体のアーキテクチャ(=設計図)が重要です。デジタル庁ができたことで、今までのような部分最適ではなく、全体を俯瞰して自覚的に運用していくことを期待しています。

 

編集部 「国民向けサービスグループ」が、国民に利便性を提供する部分を担当するのですね。

 

向山 国民向けサービスは、医療や教育などさまざまな分野にわたります。ここでは民間企業が消費者に対して行っている顧客本位のサービス視点をどう取り入れていくかがポイントになります。散々批判された10万円の給付がスピーディにできるようになるなどもそうですね。たとえば、民間企業のUIであれば、コンバージョンを増やすためにクリックボタンをどの位置にしたらいいだろうとか、どんどんPDCAのサイクルを回してプロダクトの質を高めていますが、そうしたユーザー視点をどれだけ実現できるかチャレンジしていって欲しいです。

 

 

霞ヶ関もウォーターフォール型からアジャイル型へ

 

向山 「省庁業務サービスグループ」は、省庁の業務をどう効率化するか、予算をグリップして各省の開発するシステムを最適化するのが大きな役割になります。

 

編集部 省庁の発注のやり方も変わりますか。

 

向山 政府の今までの発注の仕方は、何かの対策のために年間で予算をとって、要件定義をして、それを粛々とベンダーに投げてリリースする、リリースしたら保守の予算の範囲内で運用するというスタイルだったと思います。これは普段われわれが接しているGoogleなりLINEなりの民間での開発方法と比較すると全然レベル感が違いますよね。国民視点で民間と同じレベルのプロダクトを出すということをどれだけ追求できるかがポイントになると思います。

 

編集部 ウォーターフォール型からアジャイル型への転換ですね。

 

向山 方向性としてはそうです。本当は何年か前からアジャイル型を取り入れるというのは、政府のガイドラインなどで出ていたのですが、実態としては全然できていなかったのではないかと思います。今回はそれこそどうやって政府の制度制約のなかで柔軟な調達契約でアジャイルな開発ができるのか、ベンダーロックインを防いで透明性を高めて競争を促すのかなど、様々な調達の改革を検討するチームが立ち上がっているので、アジャイル型へシフトしていくのは間違いないと思います。

 

編集部 民間企業においては、ベンダーに丸投げではなくて、発注者側にも技術に関する知見を持つ人がいて、共同でプロダクトを開発するスタイルに移行していますが、行政も同様な動きはあるのですか

 

向山 必然的にそうなると思います。コロナ対策の検証の際に指摘した大きなポイントの一つが、発注側に専門知識を持つ人がいないということでした。今までもCIO補佐官という役職の方がいて要件定義書のチェックは行われていたのですが、付加価値を生む部分で専門性を発揮するような立場だったとは言えません。今回デジタル庁にはCDO(Chief Design Officer)、CTO(Chief Technology Officer)、CPO(Chief Product Officer)を置いて、ラクスルやグリーなどの民間のトップエンジニアらが就任しました。これまで役所が常識としていたやり方はずいぶん変わっていくだろうと期待しています。昨年、コロナ民間臨調(新型コロナ対応・民間臨時調査会)の行政関係者へのインタビューをしたときは、オンライン会議をやろうとしてもなかなか回線がつながらないみたいなことが普通に起こっていました。「特定のソフトしか使えません。しかも回線状態がめちゃめちゃ悪いので10分話したら切れます」というレベルのIT空間でやっていたので、そこに民間のエンジニアが入ることで否応なく変わらざるを得ないでしょう。

(2)に続く