アメリカに渡ったイノベーションのDNAを次の日本に引き継ぐために
――『音楽が未来を連れてくる』著者・榎本幹朗氏インタビュー(3)

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

きっかけは、今はまだ誰も見向きもしない小さなイノベーションなのかもしれない。IT技術の加速度的な進化が、時代変化をも加速している。廃れたはずのビジネスがわずかな技術の改善で蘇る例も少なくない。いや、その繰り返しだけが起きていると言っても過言ではない。求められるのは時代や世界に対する広い視野と、要素技術の動向を追う繊細な視野だ。そして最後に問われるのは人間としての成長である。

取材/2021年6月9日 西早稲田Whistle CAFÉにて

 

 

榎本 幹朗(えのもと みきろう)

1974年東京生れ。作家、音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先は「WIRED」、「文藝春秋」、「週刊ダイヤモンド」、「プレジデント」など。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。

 

 

目 次

技術的なファクターが少し変わっただけで突然ブレイクする

想像力を自由に動かせるようになっていないとイノベーションは止まる

イノベーションには人間の成長が関わっている

 

 

 

 

 

 

技術的なファクターが少し変わっただけで突然ブレイクする

 

桐原 先日、AI研究者の松原仁先生とお話しした時に、ビッグデータを必要としない機械学習の時代が来るという話が出ました。

 

榎本 いま言われているAIって結局データベースですよね。確率と統計の世界なので、それとは違う必ずしもビッグデータを必要としない技術が出てくると、新しい展開が期待できます。国内でもたとえば、データ入力は最小でも次の流行曲の傾向を予測できるAIができつつあるようです。

 

桐原 そうなると、今データを持っているGoogleやAmazonには敵わないと言われていた状況が変わる可能性が出てきますね。若者にもチャンスが巡ってくる時代が来るということを本にも書いておられます。

 

榎本 今ダメだと言われている技術が息を吹き返すことは、往々にしてあります。例えば、ナップスターが出た瞬間に「楽曲のダウンロード販売はもう死んだ、オワコンだ」と業界は匙を投げたんですが、iPodが出たら復活しました。同じようにサブスクも2001年に出た時にはすぐにダメになってオワコンの烙印を押されたのが、スマホが出てきたことによっていきなり復活しました。技術的なファクターが少し変わっただけで、突然、化けるものがあります。トランジスタもそうですよね。補聴器ぐらいにしか使えないんじゃないかと思われていたものを、当時、真空管ラジオが全盛だった頃に、これで持ち運べるラジオがつくれるんじゃないかということをソニーの井深大さんが思いついて、ソニーが半導体の量産に成功すると音楽を運ぶ時代をつくりだしました。トランジスタラジオが半導体を育てる最初のドライバーになって、あるタイミングで電卓がドライバーになって、次はゲームが来て、パソコンが来て、スマホが来て、AIブームでGPUが半導体生産のドライバーになって、というように、節目節目でそのテクノロジーを育てるドライバーが出てくる。それが次は何かというのを、見ておかなければなりません。

 

桐原 もしかすると、いま忘れられているイノベーションや、産業化されていないイノベーションのなかにヒントがあるかもしれませんね。

 

榎本 いっぱいあると思います。自分も会社員でしたが、普段会社で業務をやっていると、そういう長い目で見るということが難しいですよね。この本は音楽に限らず広く一般にも読まれるようにしたつもりなんですが、音楽産業を100年スパンで見ていくことによって、長い目で見る感覚がなんとなく把握していただけるかなと思っています。

 

桐原 私もメディア出身なので、広め長めの視点でモノを言って、商売を考えていないとよく怒られます。ベンチャーの人たちは今月の数字をどうするんだというところで必死ですから。ただ今日のお話は、若いエンジニアの人たちには響くものがあると思います。

 

榎本 単純にニュースの最先端を追っていると、イノベーターの10年前のアイデアを追いかけるのと同じになってしまいます。もっと高い視点を持つ必要がありますが、時代の先を見通すなんてことは我々凡人にはできません。どうやったらそれに近い視点を持てるのかということを考えた時に、その一つが地球的な視野でものごとを見ていくことです。先進国だけではなくて、中国や発展途上国で起こっていることにも注意を向けなければなりません。それともう一つが、今回の本のように縦軸である歴史を見ること、三番目が隣接している産業で何が起こっているのかを見ること、この3つの視点があると、ものごとがかなり立体的に見えてくるのだと思います。

 

 

想像力を自由に動かせるようになっていないとイノベーションは止まる

 

桐原 本の後半でiPhoneの開発の話が出てきます。スティーブ・ジョブズのハードウエアに対する知見が成功を導いたと。

 

榎本 1970年に嶋正利さんがインテルで発明した8ビットのCPUチップを雑誌で見て、これからパーソナルコンピュータの時代が始まると思った人たちのなかに、ジョブズやビル・ゲイツや孫正義がいたわけです。その時にジョブズが思ったのは、人類すべてにコンピュータが行き渡るためにはどうすればいいかということでした。それを自分の人生で実現するんだ、コンピュータ文明をつくるんだと考えたのです。彼の理想が実現したのは、結局、iPhoneによってでした。彼はiPodをベースにスマホをつくろうとしたのですが、なかなかうまくいかなくて、Mac並のOSがハンドデバイス上で普通に動かせるタイミングを見計らっていたんですね。静電容量式のタッチパネルも世の中には存在していませんでした。Androidのほうが先にスマホの開発に入っていたのですが、どこで遅れをとったのかというと、静電式タッチパネルや高度なOSを動かせるモバイル向けCPUができるのを待っていたからです。ジョブズはサムスンに無理やりつくらせたんです。そしたらできちゃったんですね。ギリギリのタイミングでiPhoneが先んじたというのは、ジョブズがハードウエアオタクでもあったからです。そのおかげで技術ロードマップのギリギリを感じるセンスがライバルたちよりずば抜けていたんですね。今はITエンジニアというとソフトウエア開発者を指しますが、大きな節目の時って、ハードウエアの動向も見ておかないと、後塵を拝することになりかねません。ハードウエアの視点も必要だということを言っておきたいですね。

 

 

 

桐原 エンジニアさんと話をしているとたまに思うことですが、マシンパワーの限界を大きな壁のように思っている節があって、別にそのことが想像力の限界でもないし、イノベーションの限界でもないはずと横目に考えるわけです。現時点での物理的な限界も、数年後には解決されていることも視野に入れておく必要があるということでしょうね。

 

榎本 Googleの創業時の話ですが、ウェブ検索でAIを育てるためにサーバー100万台持ちますと記者会見で発表した時に、何を夢みたいなことを言っているんだという雰囲気だったんですが、見事に実現してしまいました。その裏にはキーワード広告というビジネスモデルを見つけたとことが大きかった。一見、実現不可能なことも何かのきっかけで実現可能になるということが常に起こっているんだということは、覚えておくべきです。

 

桐原 その意味では、想像力を自由に動かせるようになっていないと、イノベーションは止まってしまいますよね。

 

榎本 コアになる要素技術について、どこでブレイクスルーが来て、不可能が可能になる瞬間が来るのかじっと観察していないといけないと思います。たとえばスマートグラスのボトルネックとなっている要素技術は電池です。そこを観察していればいつスマホの時代が終わるか、気づくはずです。

 

 

イノベーションには人間の成長が関わっている

 

桐原 むしろ、技術のことはわからないけれど、こういうことをしたいというビジョンを持つ経営者のほうがイノベーティブなことを実現できたりするかもしれませんね。

 

榎本 私は両方必要だと思っています。ビジョンもいるし、テクノロジー的な視点も必要です。さらにはビジネスを知っている人も必要です。ジョブズも若い頃、技術ロードマップを見誤って何度も大失敗をやらかしました。絶対にできるはずだと突っ走ったけれども技術的には少し早すぎて、製品発表会の時に出すものがなくて失脚しましたし、ネクスト社も見誤って倒産寸前まで行きました。自分のビジョンにこだわるあまり、まわりの忠告を聞けなかったんです。

 

桐原 彼はそこで学んで、自分を客観的な視点で牽制してくれる腹心をつくることで、iPhoneで成功できたんですね。

 

 

 

 

 

榎本 実は、イノベーションには人間の成長がすごく関わっているんですよ。イノベーションと言うと技術の進歩やアイデアだけで語られがちですが、結局、実現していくのは人なので、人間的な成長とか人格が大きく関わってきて、事業経営者のキャパシティの限界がイノベーションの大きさを決めていくところがあります。それは絶対に無視できないと思っています。私はジョブズのことを、iPhoneによって音楽産業を救った最大の貢献者であると評価していますが、ダメ経営者と烙印を押された彼が史上最強の経営者になってiPhoneを開発できた裏には、彼自身の人間的な成長があったからだと考えています。イノベーションと個人の成長には関連性があるなんてことは、経営学では全く相手にされない話ですが、実際にはあるんだということを続編の原稿では書いています。

 

桐原 続編の構想がおありなんですか?

 

榎本 実は今回、本になっているのは原稿の半分なんです。半分なのにこんなに分厚くて申し訳ないんですが(笑) まだ後半の原稿があって、どこかで出したいと思っています。日本とアメリカがどれだけ影響し合いながら音楽ビジネスやコンテンツビジネスを引っ張ってきたのか、ということも続編の大きなテーマになります。iPhoneが出る直前まで、日本人はいろんなイノベーションを起こしているんですよね。ほんの少し前まではアメリカがビビるようなことをやっていたんだ、そして一度衰退したアメリカの復活は日本を徹底的に研究したからあるんだということを伝えたいなと思います。いったん衰退した産業がどうすれば復活できるのか、これを音楽産業の歴史を扱った今の本で描きました。さらには一度衰退した大企業は復活しうるのか、これをAppleとソニーを題材にして書いていくのが続編の意図なんですが、これは、いったん衰退した日本という国が復活するにはどうしたらいいのかのヒントになればいいと思って書いています。

 

桐原 ジョブズはソニーから大きく影響を受けたと言われていますが、日本とアメリカが太平洋を挟んで影響しあっているということが続編で明らかになるのですね。

 

榎本 ジョブズは実はトヨタからも影響を受けているんですね。それを取り入れたきっかけがピクサーの経営でした。ジョブズはワークステーションの開発を行うNeXT社の経営が忙しくて、ほとんどピクサーの経営をエドウイン・キャットマルに丸投げしていました。キャットマルはジョブズからCGの映画制作なんて儲からないから、CGのワークステーションをつくれと言われて、ハードウエアなんてやったことがありませんから、勉強していくうちにトヨタの製造工程に惹かれたんですね。工場なんてつまらないところだと思っていたのが、トヨタのやり方だと現場のクリエイティビティがどんどん集まってくることを学んだわけです。それを「トイストーリー」(1995年)の制作ラインに応用して映画をつくっていきました。それをジョブスは見ていて、今までの自分のやり方とは全く違うやり方を吸収しました。ジョブズはソニーとトヨタのやり方に影響を受けて、Appleに復帰した後にiPhone開発に活かしているのです。

 

桐原 いったんアメリカに渡ったDNAを今度は日本に取り戻さないといけないですね。続編も楽しみにしています。(終)

 

 

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