イノベーションによって音楽ビジネスはどのように変わってきたのか?
――『音楽が未来を連れてくる』著者・榎本幹朗氏インタビュー(2)

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

テクノロジーの波を真っ先にかぶるのはいつの時代も音楽ビジネスであった。そこからまた音楽を蘇らせたのもテクノロジーを味方につけたイノベーターたちである。破壊的なイノベーションで、顧客を創造し新たな市場を生みだす。驚くべきは、こうしたイノベーターたちが描いた壮大なビジョンであり、それに賭ける情熱である。私たちが学ばなければならないのは、イノベーションそのものではなく、イノベーションの機会を先達たちがどのように掴んできたかである。機会を見過ごすことこそ、イノベーションの最大のボトルネックであるのは、近年の音楽業界の動向が雄弁に語っている。

取材/2021年6月9日 西早稲田Whistle CAFÉにて

 

榎本 幹朗(えのもと みきろう)

1974年東京生れ。作家、音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先は「WIRED」、「文藝春秋」、「週刊ダイヤモンド」、「プレジデント」など。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。

 

 

 

目 次

単純に技術的なアイデアだけでは成り立たないのが音楽ビジネス
節目で大きなイノベーションを起こしてきた先達はどういう思考の持ち主だったのか
ストーリーにしないと、魂や情熱の部分は伝わらない
テクノロジーによって音楽は変わったのか
今流行っているものはイノベーターたちが10年前に考えたもの

 

 

 

 

単純に技術的なアイデアだけでは成り立たないのが音楽ビジネス

 

桐原 インターネットの出現で音楽コンテンツビジネスが成立しなくなるということは、業界的には共通認識だったのでしょうか。

 

榎本 実は音楽ファイル共有サービスである「ナップスター」が出てきた2000年ごろに、ソニーの出井さんを始めとしたコンテンツ財閥のトップたちの間ではだいたい話し合いが終わっているんですよ。既存のコンテンツ技術が全部ダメになるということは予想できたことだし、その頃のコンテンツ財閥は経営陣も覚悟を決めていたと思います。いま音楽で起こっていることは、出版でも映画でも同じことが起こる、いまちゃんとした答えを見つけなければいけないということで、サブスクリプション方式のビジネスを音楽からやろうということで合意に達していたんです。次の方向性も、サブスクでストリーミングだとアメリカのメジャーレーベルは親会社の意向のもと合意して音楽サブスクを2001年に自ら立ち上げました。

 

桐原 音楽業界は著作権に守られている頭の古い人たちの集まりだと思われがちですが、そうではなかったのですね。

 

榎本 新しいテクノロジーが出てきた時に、いちばん初めにひどい目に遭うのが業界で、誰も答えを持ち合わせていないので、音楽産業は自分で答えを見つけなければならない。そこで上記の答えを見つけたんですが、いかんせん技術音痴だったのでそれを上手く実現できなくて(今は各社優秀なCTOがいます)、その後に出てきた起業家たちがサブスクをビジネス化して今に至るというかたちです。こうなるだろうというロードマップ自体は業界では特に経営者層では共有していて、そこに起業家たちがポツンポツンと出てきたのです。

 

桐原 Spotifyがようやくサブスクの扉を開いたというわけですね。

 

榎本 Spotifyを起業したダニエル・エクという人は、ナップスターが出てきた時に高校生で、ナップスターが潰れるのも目の当たりにしていました。これはどうすれば合法的にやれただろうかということを課題に持っていて、大学を途中で辞めITで起業して財産をつくった後に、いちばん好きな音楽でチャレンジしようと考えて、Spotifyを立ち上げました。スティーブ・ジョブズも音楽好きだということはよく知られています。AppleはPCメーカーだったわけですが、PCは誰もが手にしていて、価格競争になって面白い世界ではなくなってしまった。ポストPCの世界を探していた時にファイル共有ブームが起こって、このままでは大好きな音楽が死んでしまうと考えてiPod、iTunesをつくったわけです。節目節目に技術者というかテクノロジー側の人間が関わっているのですが、同時に音楽が好きな人間が革新をもたらしているのは間違いありません。

 

 

 

 

 

桐原 技術だけではイノベーションが起こせないということですか。

 

榎本 なぜかと言えば、音楽を合法的な新しいビジネスに乗せていくには、グレーゾーンを白にしなければならない。その時にはコンテンツを持っている側と話を詰めていかなければならず、これが本当に大変なんです。ダニエル・エクは、Spotifyに楽曲を使わせてくれとユニバーサルミュージックのスウェーデン支社に行くのですが、何回行っても門前払いで、会社の前に寝袋で寝泊りしながら交渉しています。それくらいやらないと門戸を開いて真剣に話を聞いてもらえないのです。スティーブ・ジョブズもAppleに復帰する前にピクサーというアニメ映画会社を上場に導いて成功しました。コンテンツ側の人間として成功を収めたから、iTunesを始める時に音楽業界も交渉をしてくれたという経緯があります。単純に技術的なアイデアだけでは成り立たないのが音楽ビジネスなんです。音楽に対する愛情と志と情熱がなければ革新は実現できません。

 

桐原 音楽業界はそんなに頭が古いわけではないということでした。とはいえ、業界内でも温度差はあるかと思うのですが。

 

榎本 音楽業界でも、産業の将来のことまで考えている企業はそんなに多くはないですね。ソニーミュージックやユニバーサルミュジークやワーナミュージックの3社で世界の音楽売上の7割を持っていて、そういうところの経営層は音楽産業の未来をずっと考えていて将来設計もしていて、新しい技術が出てきたら協力するということもやっています。普通の音楽事務所やレーベルはそこまでは考えられないし、考える必要もない。大好きなアーティストを育ててみんなに広めたいという思いで仕事をしているわけですから。それが本業です。そういう人たちを見て音楽産業にいる人たちは頭が古いとかいうのは筋違いだと思います。

 

 

節目で大きなイノベーションを起こしてきた先達はどういう思考の持ち主だったのか

 

桐原 『音楽が未来を連れてくる』には、パラダイムをつくるようなイノベーションが、どういう人たちによってどんなやり方で実現されてきたかが描かれています。

 

榎本 10年、100年のスパンで見た時に、何か法則があるんじゃないか、音楽ビジネスの本質を掴むことができるんじゃないかという思いで書きました。

 

桐原 日本の例も含めて、イノベーションを起こした人たちの人間臭いドラマもたっぷり描かれています。

 

榎本 そこは割と意識して書きました。サブスクのコンサルを始めてから、たくさん若い人たちが相談に来たんです。起業してみたいんですと。ただ話を聞くと、海外でこんなのが流行っているから日本でもやってみたいというレベルなんですね。そう聞くたびに、大丈夫なのか、せっかく人生を賭けて起業したのにそれでは将来、後悔しないかと心配が募っていきました。音楽産業ではソニーが中心になって世界に何度もインパクトを与えてきました。時代ごとに大きなイノベーションを起こしてきた先達はどういう思考の持ち主だったのかをもう一回、認識して欲しくて日本人についても詳しく書いています。それはスティーブ・ジョブズにも大きな影響を与えているし、アメリカの音楽産業も大きく変えてきた、そういう人たちが何を考えていたのかを知って欲しくて書いたところがあります。

 

桐原 本では「知識・クリエイティビティ・情熱」というソニーの盛田昭雄さんの言葉を紹介しています。この3つがないとことは起こせないということをおっしゃりたかったと思うのですが、例えば大賀典雄さんがプライベートジェットでカラヤンに会いに行くというスケール感で今の若者がものを考えるのは難しいのかなという気もします。

 

榎本 確かにそうですね。お金持ちになりたいという欲求はあっても、たとえばユーチューバーで成功してタワーマンションに住む、というあたりで完結してしまっていますからね。じぶんの成功で完結して、事業で世のなかを変えることまで考える人は少なそうなので、音楽好きでもここまでスケールの大きい日本人もいたんだぞと伝えなければと思い、大賀さんのことを書かせていただきました。

 

 

ストーリーにしないと、魂や情熱の部分は伝わらない

 

桐原 本書を読むと、ソニーに若い頃のジョブズが影響を受けていたり、音楽レコメンデーションサービスの「Pandora」を開発したトム・コンラッドがジョブズやAppleに憧れていたり、物語が続いていくというか、影響を受けた誰かがバトンをつないで音楽産業が続いていくという話になっていますね。

 

榎本 バトンを受け継ぐというのは精神的な問題だと思うんです。オリンピックの松明に聖火で火を灯してそれを伝えていくように、情熱の火やクリエイティビティの精神をつないでいるんですね。単純な音楽ビジネスのケーススタディではなく、情熱や魂を伝えたかったということもあります。それが本書の核になっているといってもいいでしょう。

 

桐原 こうしてストーリーで読むとすごいことが起きていたんだということが理解できます。

 

榎本 ストーリーにしないと、魂や情熱の部分は伝わらないです。評論文的な書き方もできるんですが、それではいちばん大事なところが伝わらないと思ったので、なかば小説のかたちにする必要があったということです。

 

 

 

 

桐原 2010年代に入ってきて、いよいよ既存のレコード産業や音楽産業のビジネスモデルが崩れてきて、マドンナがレコード会社と契約しないでイベント会社と契約してツアーで収益を上げるとか、日本のアイドルが物販やイベントだけで収益を上げて、音源での収益化は当てにしないみたいな流れがあったと思うのですが、その時期について、榎本さんはどういう捉え方をされていたのですか。

 

榎本 ナップスターが登場した時点で音源が売れなくなるという議論は始まっていたので、実際には20年以上前からあったんですね。それが長い時間をかけて具体化してきたことだと思います。レコード会社もそういう方向に行くだろうということで、360度ビジネスを標榜して、本来ライブの事業というのはレコード会社の縄張りではなく、音楽事務所やマネジメント事務所の領域だったんですが、音源で稼げる時代は終わっていくから自分のところで事務所の機能を持とう、自分のところでライブをやっていこうとビジネスとして昔から対策はしていました。

 

桐原 コロナ禍によって、アーティストが食えない状況になっているのは、まさにそこの部分ですね。自分たちで事務所をつくってイベントも興行していたからというのも大きいですよね。

 

榎本 そうですね。まったく想像もできない天変地異みたいなかたちでリスクをとらざるを得ないのは本当に気の毒に思っています。はじめは「次はこれです」と私が言うと「じゃあそれを真似すればいいのね」とサブスクのときのようになるし、現場で答えを見出してもらったほうがクリエィティブになると思ってポストサブスクについては黙っているつもりだったんですが、まわりが苦しんでいるときに答えを知ってる人間が黙っているのは不誠実かなと思い直して、それで最終章(2030年以降の中長期的展望)を書いたということです。

 

 

テクノロジーによって音楽は変わったのか

 

桐原 榎本さんご自身は、テクノロジーによって音楽自体は変わったとお考えですか。

 

榎本 ITで音楽が変わったかというとあんまり変わっていないんですよ。音楽自体を変えるのは楽器なので、新しい楽器ができた時に新しい音楽ジャンルが生まれる。いわゆるインフォメーション・テクノロジーというのは、新しい楽器をつくるところまでは応用されていません。初音ミクのVOCALOIDもサンプラーの応用でした。別に新しい楽器ができたほどのインパクトではない。ピアノができたりバイオリンができたことで、クラシックというジャンルが生まれたような、あるいはエレキギターができてロックが生まれたりとか、シンセサイザーができてダンスミュージックが生まれたりとか、サンプラーが出てきてヒップホップが出てきたりとか、まあサンプラーは半導体文明の恩恵は受けていますが、そこから後は大きな革新がまだ起きてはいません。

 

桐原 むしろサブスクなどで、リスニング文化は大きく変わったと思いますがいかがでしょうか。

 

榎本 聴き放題は確かにリスナーにとっては天国のようですが、けっしてバラ色の世界ではないと思っています。最先端のものがなんでも素晴らしいかといえばそうではないわけで、相対的に見ています。聴き放題になったことによって、音楽が世界中で均質化していく傾向があります。

 

桐原 ひと昔前までは、ラジオから流れてくる音楽との出会いによって、自分のお気に入りのミュージシャンを発見するというセレンディピティ(幸せな偶然)があったと思うのですが、今はユーザーの消費行動を類似ユーザーのそれから推測する「協調フィルタリング」といった技術によって、出会いの驚きが減っているかもしれません。セレンディピティは求め得ないものでしょうか。

 

榎本 私も、IT以前、IT勃興期、スマホ以後と全部経験しているので、正直、スマホがなくても生きていけることもわかっているし、20世紀にスマホ級の飛躍的な革新がいくつもあったことをこの本では書いています。ラジオに関して言えば、みんなで一つの時間を共有するコンテンツであると捉えると、十分ネットの時代にふさわしいメディアだと思うので、いかに他のテクノロジーと組み合わせて使っていくかだと思います。音声メディアでは、Podcastが日本では想像できないぐらいアメリカや韓国で盛り上がっていて、ダウンロードベースからストリーミングに変えていくことで革新が起ころうとしています。

 

桐原 ラジオにあったようなリアルタイム性みたいなものも復活しそうですね。

 

榎本 十分あります。音声メディアでもSNS「Clubhouse」が出てきましたが、他にもいろんな企画が出てきているので、リアルタイムコンテンツが盛り上がっていくことは確信しています。

 

 

いま流行っているものはイノベーターたちが10年前に考えたもの

 

榎本 レコメンデーションシステムについて言えば、2005年頃から音楽配信でAIの技術が活用されるようになっていきましたが、基本的にはこの音楽が好きだったら、これも似ているから好きでしょうという仕組みなんですね。9割ぐらいが協調フィルタリングに近いもので、人気のあるものをお勧めしているだけなので、システムとしてはけっして褒められたものではありません。要するに現時点でもいっぱい欠点がある。いま流行っている最先端のシステムだから素晴らしい、これでいいんだということで思考停止して欲しくないですね。

 

桐原 そもそもいま流行っているものは、イノベーターたちが10年前に考えたものがようやく具体化してきたものだとお書きになっていますね。

 

榎本 そうです。10年前のアイデアなんです。そこの限界がちゃんと見えていないと新しいものがつくれないですよね。単純に新しいから使ってみようという姿勢は、音楽をプロモーションする人や楽しむ人は正しいんですが、何か新しいことを起こそうと思ったら、その欠点は本質的にどこに起因するのかということを見ていなければならないと思います。私の9年前の予測通りサブスクでの音楽配信が、音楽の主流メディアになったわけです。このメディアとしての技術的な核になっているのがレコメンデーションシステムですが、その中心にあるのがディープラーニングであり協調フィルタリングです。これはもう一通りできあがっているので、海外のサブスク・アプリを真似するだけでなくて、もう少し面白いモノをつくれないかと考えた時に、AIはどのあたりで次のブレイクスルーが来るのかとか、ちゃんと見ておくべきだろうなと思います。

 

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