量子コンピューターを理解するための 量子力学入門
第3回 「1つの電子は同時に複数の場所に存在する」──2重スリット実験で示された量子力学の実在論

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テキスト 松下 安武
科学ライター・編集者。大学では応用物理学を専攻。20年以上にわたり、科学全般について取材してきた。特に興味のある分野は物理学、宇宙、生命の起源、意識など。

決定的証拠「2重スリット実験」入門

光の2重スリットで証明された波動性

それでは2重スリット実験について説明しよう。2重スリット実験とは、1805年頃にイギリスの物理学者トマス・ヤング(1773〜1829)が「光は波(波動)である」ということを実証した実験である。当時、光の正体を巡っては2つの説があった。粒子説と波動説だ。粒子説の支持者として有名なのは、力学(物体の運動を支配する法則についての物理学)の基礎を築いた物理学者アイザック・ニュートン(1642〜1727)である。

2重スリット実験とは以下のようなものだ(図2aと図2b)。光源の先に壁があり、壁には細長い2本の隙間(スリット)が開いている。壁の向こうにはスクリーンがあり、ここに光源からやってきた光が当たる。

2重スリット実験

2重スリット実験

仮に光が粒子だとして2重スリット実験を考えてみよう。光の粒は直進するはずなので、スクリーンには、それぞれのスリットの先に2本の光の帯が出現するはずだ(図2a)。しかし実際に実験を行うと、異なる結果が現れた。スクリーンには明暗の縞模様ができたのだ(図2b)。実はこれは、光が波の性質をもっていることを意味している。

波が起こす特有の現象に「回折」と「干渉」がある。回折とは、障害物があってもその陰の部分にまで、波が広がって進んで行く現象のことだ。例えば、塀の向こう側の会話の声(音波)が聞こえるのは、音波が回折を起こし、塀の陰の部分にも届くからである。2重スリット実験では、スリットを通った光の波が回折を起こし、扇状に広がって進んで行く。

スリットが2つあると、壁の先で左右のスリットを通った2つの波(波Aと波B)が重なり合うことになる。波が重なり合うと、強め合ったり弱め合ったりする現象が起きる。これを「干渉」と呼ぶ。例えば、波Aの山と、波Bの山が重なった場所では、より高い山ができる(強め合う干渉)。また、波Aの山と、波Bの谷が重なった場所では、波が打ち消しあってなくなってしまう(弱め合う干渉)。

光の波の高さ(振幅)は、光の明るさに対応するので、スクリーン上の強め合う干渉を起こした場所は明るくなり、弱め合う干渉を起こした場所では暗くなる。その結果、スクリーンには、明暗の縞模様ができるのである。このような波の干渉によって生じる縞模様は「干渉縞」と呼ばれる。ヤングが行った光の2重スリット実験では、干渉縞が現れ、そのため「光は波である」ということが実証されたのである3

電子版「世界一美しい実験」が示すもの

1989年、日立製作所の外村彰氏4(1942〜2012)らは、電子を使って2重スリット実験を行うことに成功し、光の場合と似た干渉縞が生じることを明らかにした。つまり、電子は波の性質もっていたのである。

電子の2重スリット実験の実際のシステムは、図2とは少し異なっているが、本質的には光の2重スリット実験と同様の実験だと考えてよい(詳しくは日立製作所のウェブサイトを参照)。電子源は、出力を極限まで弱くすることで、電子を1つずつ発射することができる。また、光での実験におけるスクリーンの代わりに、2重スリットの先には平面状の検出器が置かれており、電子が到達した場所はモニター上に白い点として記録されていく。

さて、電子を1つずつ発射していくと、白い点は1つずつ増えていく。電子が単純な粒子だとしたら、これを多数回繰り返せば、図2aと同じように、それぞれのスリットの先に当たる場所に、多数の白い点でできた帯が現れるはずだ。しかし驚くべきことに、実際に実験を行うと、光の2重スリット実験と同じような干渉縞が現れたのである。

モニターには1つずつ白い点が増えていくので、これだけ見ると電子は粒子(1カ所にだけ存在しているモノ)のように思える。しかし、多数の点が描き出した模様は、電子を粒子と考えた場合に予測される2つの帯ではなく干渉縞であり、これだけ見ると電子は波のように思える。

スリット先で波A+波Bが重ね合わせ状態に

以上の矛盾しているようにも思える2重スリット実験の結果を、物理学者たちはどう解釈しているのだろうか? 以下、量子力学の標準的な解釈に基づいて説明しよう。 

まず、電子は検出器で観測される前は、波として振る舞うと考える。電子源から放出された電子の波は広がりながら進み、2つのスリットを両方とも通過する。各スリットを通過した波は回折を起こしてさらに広がりながら進んで行く。左のスリットを通った電子の波を「波A」、右のスリットを通った電子の波を「波B」と表すことにしよう。スリットの先で電子は、波Aと波Bの「重ね合わせ状態」になっていることになる(図2bと同じ状況)。波Aと波Bが広がりながら進むと、これらの2つの波は重なり合って干渉を起こす。

そして電子の波が検出器に到達すると、極めて不思議なことが起きる。広がって存在していたはずの電子の波が瞬時にして1カ所に縮まり(図3)、その結果、検出器の1カ所でのみ電子が検出されるのだ。これを「波の収縮」と呼ぶ。波の収縮の結果、画面上には1つの白い点が現れる。1カ所に集まった針のような波は、その1カ所で必ず発見されることを意味するので、これは粒子としての電子と同じものを表していることになる。

電子の波の収縮

電子の波の収縮

電子の波の変位(x軸からの距離)は前述したように、発見確率と対応している。そのため何度も何度も電子を発射すると、干渉を起こしてできた波の変位が大きい場所ほど、多くの電子が発見されることになる。逆に弱め合う干渉を起こして変位がゼロになった場所では、電子は発見されない。その結果、この実験を繰り返していくと、最終的に干渉縞が現れるのだ。

なお、外村氏らによる電子の2重スリット実験は、Physics World誌が2002年に行った読者アンケートで、「歴史上、最も美しい実験」に選ばれている。量子力学の不思議な性質が非常にはっきりとした形で表れた、素晴らしい実験だと言えるだろう。

以上の実験で重要なことは、スリットの先で電子の波Aと波Bが同時に存在していないと(重ね合わせ状態になっていないと)干渉は起きず、したがって干渉縞も現れない、ということだ。ある意味で、1つの電子がスリットAとスリットBを両方とも通過したと言えるわけだ。

通過スリット観測で消える干渉縞の謎

しかし、1つの電子が2つのスリットを両方とも通過するなんてことが本当にあり得るのだろうか? 「本当は電子はどちらか一方のスリットを通過したが、観測者はそれを知らないだけ」なのではないだろうか?

それを確かめるために、スリットAのそばに、電子が通過したかどうかを知ることができる検出器を置くことを考えてみよう。そのような実験を行うと、不思議なことに、実験を繰り返しても干渉縞は現れず、図2aと同じように、スリットの先にそれぞれ明るい帯ができるだけとなる。スリットのところで電子を「観測」すると、波の収縮が起きて(重ね合わせ状態が崩れて)、電子が粒子のように振る舞うようになる。その結果、波の干渉は起きず、干渉縞が現れなくなるのだ5

このように、観測をどこで行うかによって、実験結果が変わってしまうというのが2重スリット実験の極めて不思議なところであり、量子力学の核心部分でもある。

2重スリット実験では、「電子がスリットAを通過した」という状態と、「電子がスリットBを通過した」という状態が重ね合わせ状態になっているが、ミクロな世界では、さまざまな状態が重ね合わせになりうる。量子コンピューターでは、量子ビットの重ね合わせ状態を使って計算を行うわけだが、量子ビットにはさまざまなタイプがある。例えば、①光の縦方向振動と横方向振動、②電子のスピン(自転に相当)の2つの向き、③イオンのエネルギーが高い状態と低い状態、④超伝導回路6の中の電子のペアのある・なし──などをそれぞれ0と1に対応させ、それらを重ね合わせ状態にして量子ビットとして使っているのである。

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