ノイズを制する者が量子コンピューターを制する
大阪大学大学院教授・藤井啓祐氏に聞く(2)

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

量子コンピューターの実用化には、量子ビットの「重ね合わせ状態」をいかにキープするかが課題となっている。それはどのような方法で解決できるのか、イノベーションの方向性について伺った。

藤井啓祐

藤井 啓祐(ふじい けいすけ)

大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授。大阪大学量子情報・量子生命研究センター副センター長。

2011年3月京都大学大学院工学研究科博士課程修了。博士(工学)。理化学研究所量子コンピュータ研究センター量子計算理論研究チームチームリーダー、東京大学工学系研究科物理工学専攻客員教授、情報処理推進機構(IPA)未踏ターゲット事業プログラムマネージャー、量子技術の普及のための一般社団法人 Quantum Research Institute 理事を兼任。量子コンピュータのソフトウェアベンチャー、株式会社QunaSys、最高技術顧問。

専門分野は量子情報、量子コンピューティング。特に、量子誤り訂正、誤り耐性量子計算、測定型量子計算、量子計算複雑性、量子機械学習。著書に『驚異の量子コンピュータ:宇宙最強マシンへの挑戦』(岩波科学ライブラリー) など。

大阪大学基礎工学研究科 藤井研究室

株式会社QunaSys

目次

日本企業が先行していた超伝導回路による量子ビットの研究

桐原 エンジニアリングの進化で言うと、第3次産業革命ぐらいまでは富国強兵的に国が主導でイノベーション起こしてきた歴史があります。分かりやすく言うと、戦争のために純粋科学を工学化してきた部分があります。しかし、量子コンピューターに関して言えば、民間企業が主導している印象を受けるのですが──。

藤井 2014年まではジョン・マルティニスはカリフォルニア大学にいましたし、その前には国の研究機関に在籍していました。そういう意味では、アメリカでも2014年までは国や大学が主導していたという見方もできます。むしろ日本のほうが民間主導で研究を進めてきたと言えます。1999年、当時NECの研究所に所属していた蔡兆申(ツァイ・ツァオシェン)氏1と中村泰信氏2が世界で初めて超伝導回路による量子ビットを実現しました。あの当時の日本の企業の基礎研究力は半端なかったと思います。半導体で大きな利益を出していた時代は、アメリカから「基礎研究にただ乗りしている」と文句を言われました。基礎研究はアメリカがやって、それを“カイゼン”して安価につくることで日本製品が世界を席巻したわけです。「君たちもゼロからつくりなさい。基礎研究にただ乗りするな」と怒られて、各企業が研究所をつくってお金にならない基礎研究をスタートし、その結果、生まれたのが超伝導量子ビットです。それが1999年です。Googleが創業したのはその前年です。創業1年目のGoogleには、当然量子コンピューターなんてキーワードはなくて、検索エンジンに注力していました。そのGoogleが、ある意味で量子コンピューターに関する基礎研究にただ乗りして、2014年にエンジニアリング・フェーズに入ったトップのサイエンティストグループを丸ごと抱え込んで、ただ乗りして世界のトップに立っているという状況です。

桐原 なるほど、おもしろいですね。因果応報というか。

藤井 そうそう。逆パターンになっているんです。

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