創造主なき世界の私たちと延長された表現型としてのAI
第1回 遺伝子の自己複製とゲーム理論
リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』刊行から50年を経て、ドーキンスの新刊『遺伝子は不滅である』が刊行された。遺伝子を進化の主体とみなすドーキンスの視点は進化論に新たな地平を開き、その説得力は増すばかりである。本稿では同書を手がかりに、私たちの世界をみる視点について再考したい。
目次
『利己的な遺伝子』から50年を経ての応答
『遺伝子は不滅である』(太田直子訳/早川書房)が刊行された。『利己的な遺伝子』(日髙敏隆・岸由二他訳/紀伊國屋書店)刊行50周年記念と銘打って、フルカラーでの出版である。ちなみに選書として改題された『利己的な遺伝子』も刊行40周年記念として増補改訂版が出版され、書店の“鈍器本特集”の棚にピケティや小熊英二の著作と並んでいて驚いた記憶がある。
冒頭から個人的な話で恐縮だが、バードウォッチングに精を出していた中学1年生のころ、父の同僚だった元生物学教師から恵贈された増補改題前の『生物=生存機械論: 利己主義と利他主義の生物学』(日髙敏隆訳/紀伊國屋書店)を読んだときの感動はいまでも色濃く残っている。幼少時に夢中になって読んだバージニア・リー・バートン著の絵本 『せいめいのれきし』(いしいももこ訳/岩波書店)と、少年期に同じく愛読していたアーネスト・T・シートン著『シートン動物記』(増井光子・藤原英司訳/集英社)が連動し、その延長線上にあるものがみえた気がした。こう書くと、純朴な中学生だったように聞こえるかもしれないが、その後の筆者のしたことは、メンデルの法則を解説する理科教師に茶々を入るようなことだった。ついでに記すと、中学校2年生のときに『構造と力』(浅田彰著/勁草書房)を読むとこうした悪ふざけは他教科にまで嵩じることとなる――と、黒歴史を記すのはやめよう。中学生のころの筆者といえば、生徒会選挙に大差で落選したり補導されたりと、碌なものではなかった。
『利己的な遺伝子』のもたらしたインパクト
『利己的な遺伝子』の基本的主張は、進化の主体を、個体や集団ではなく遺伝子そのものであるとみなすことで、種の進化を合理的に解説できるというもので、遺伝子は「自己複製子(replicator)」として、できるだけ自身のコピーを遺すように振る舞うというものだ。この視点からは、生物個体は遺伝子が自己複製を維持するための「乗り物(vehicle, survival machine)」にすぎず、個体や群れの存続は目的ではなく、遺伝子の存続の手段として捉えられる。また個体がさまざまかつ複雑な形質を持つことも、遺伝子による操作であると考察される。キャッチーゆえに多くの誤解を生んだ「利己的」というのは比喩的表現であり、自己複製の成功確率を高める遺伝子が自然選択によって遺るという事後的な意味である。
遺伝子主体で進化を考えることは、これまで種保存のために行われてきたとされる行動や、種独自の特質とされるものについても、自己複製の戦略として捉えることが可能になり、ゲーム理論をはじめとする数理的な解釈において理解することを可能にする。
ドーキンスは、生物学にゲーム理論を援用した進化生物学の泰斗であり『進化とゲーム理論:闘争の論理』(寺本英・梯正之訳/産業図書)などの著作において持論を展開したジョン・メイナード=スミスの“血縁淘汰”や“ESS(evolutionarily stable strategy:進化的に安定な戦略)”をひいてこれを解説する。
血縁淘汰とは、自分の繁殖成功を下げて他者の繁殖成功を高める行動で、女王アリ/働きアリや女王ハチ/働きハチなどにみられる行動である。これは、自身の交配により遺伝子を遺すことよりも、少数に遺伝子を遺すことによって淘汰圧を低減させる戦略で、合理的に遺伝子を存続させる戦略であると理解できる。個体自身の繁殖成功である直接適応度だけでなく、遺伝子を共有する血縁個体の繁殖成功を増加させることで得る間接適応度を考慮する包括適応度を最大化する利得については、ダーウィンの自然淘汰説の矛盾を解決し、利他行動のメリットを示す有効な証左とされた。ウィリアム・ドナルド・ハミルトンはこれを数理的に公式化し、その成果はハミルトン則として評価された。“ネイチャー”誌におけるこの論文の査読を行ったのがジョン・メイナード=スミスであるが、メイナード=スミスの助言によりハミルトンが論文を書きなおしている間にメイナード=スミスがその内容を発表したために、両者の間にわだかまりのあった時期もあったとされる。ハミルトンは2000年にHIVのポリオワクチン起源説を確かめるためにフィールド調査を行っていたコンゴでマラリアに罹患し還らぬ人となった。このときニュー・カレッジにおいて世俗式の追悼式を行ったのが、同じく無神論者であるドーキンスである。
またESS(evolutionarily stable strategy:進化的に安定な戦略)は、集団遺伝学者ジョージ・プライスが形質や対立遺伝子の頻度においてハミルトンの血縁淘汰を再導出することを試みるなかで、包括適応度が血縁者以外にも適用できる一般的な概念へと拡張できる「プライス方程式」としてもたらされたものである。第二次世界大戦中に航空技師としてリバースエンジニアリングに携わった経歴を持つメイナード=スミスは、各生物群が母集団のなかで威嚇などを行うことについて、闘争の際に殺し合いを行なう種は絶滅してしまうので、儀式的闘争をする種だけが生き残ったということを、ゲーム理論の2人対称双行列ゲームにおける利得関数や線形結合、局所優位性を用いて証明し、生物群が限定的なナッシュ均衡のもとで進化的な安定性を保持することを証明した。攻撃的なタカと攻撃から逃げるハトを例において考えると、タカ的な性向をもつ種では相互の攻撃において種は絶滅するものの、ハト的な性向をもつ種だけでは攻撃的な突然変異種が生じた場合に淘汰されるので、進化においてはその均衡を保つような性向を保持するというわけである。ドーキンスはほかにも「互恵的利他主義(reciprocal altruism)」や「囚人のジレンマ」と「しっぺ返し戦略(tit for tat)」などのゲーム理論の中心概念も用いて、遺伝子中心主義の進化を主張し、群淘汰論は無用のものであると批判した。
『生物=生存機械論』(紀伊國屋書店)として邦訳刊行された初版の終章にあたる第11章には、本連載「私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い」でも触れた「文化の自己複製子(cultural replicator)」としてのミーム(meme)概念が登場する。そして同書はこう結ばれる――私たちは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかし私たちには、これらの創造者に刃向かう力がある。この地上で、唯一私たちだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。
リチャード・ドーキンス (著)
日髙敏隆, 岸 由二, 羽田節子, 垂水雄二 (翻訳)
紀伊國屋書店
リチャード ドーキンス (著)
ジャナ レンゾヴァー (イラスト)
大田 直子 (翻訳)
早川書房
リチャード・ドーキンス (著)
日高 敏隆 (翻訳)
紀伊國屋書店
バージニア・リー・バートン (その他)
いしいももこ (翻訳)
まなべまこと (監修)
岩波書店
アーネスト・T・シートン (著)
増井 光子 (著)
藤原 英司 (翻訳)
木村 しゅうじ (イラスト)
集英社
浅田 彰 (著)
中央公論新社
J.メイナード スミス (著)
寺本 英, 梯 正之 (翻訳)
産業図書
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