AI時代の法と規範
─学習院大学法学部教授 小塚荘一郎氏に聞く(1)
AIやビッグデータが私たちの社会生活を大きく変えてしまいうる時代において、その規制についても議論と試行錯誤が続いている。人間と社会に与えられるのは脅威なのか、それとも福音なのか──テクノロジーに向き合うために問われているのは私たちの人間観や国家観でもある。今回は、学習院大学法学部教授の小塚荘一郎氏に、AI法の成立から展望までを聞いた。
取材:2023年4月14日 学習院大学小塚研究室にて
小塚 荘一郎(こづか そういちろう) 学習院大学法学部教授。博士(法学)。1992年東京大学法学部卒業。千葉大学法経学部助教授、上智大学法科大学院教授などを経て現職。研究テーマは商法、会社法、宇宙法など。総務省AIネットワーク社会推進会議構成員、経済産業省消費経済審議会会長。『フランチャイズ契約論』(有斐閣)、『支払決済法』(共著、商事法務)、『宇宙ビジネスのための宇宙法入門 第2版』(共著、有斐閣)、『AIと社会と法: パラダイムシフトは起きるか?』(共著、有斐閣)、『AIの時代と法』(岩波新書)など著書多数 |
目次
AI技術、法曹界へのインパクト
都築正明(以下、――) 先生はもともと新領域にまつわる法学をご専門とされていたわけではないのですよね。
小塚荘一郎氏(以下、小塚) はい。大学でも会社法(コーポレートガバナンス)や商法の授業を担当しています。
――AIと法について研究されるきっかけはどんなことだったのでしょう。
小塚 有斐閣の雑誌「ジュリスト」で「AIと社会と法」という連続座談会がありました。中心になったのが憲法を専門にされている宍戸先生で、公法によるAIの規制について研究されていました。その先生がメンバーとして声をかけたのが法哲学の大屋先生と情報工学の佐藤一郎先生、そして民事の取引や責任を専門としている私の3名でした。そこから、座談会などを通じて勉強を深めていきました。私がずっとテクノロジーと法に関わることを研究していたので、お声がけいただいたのだと思います。
――テクノロジーについては、どういった観点から関心を抱かれていたのでしょう。
小塚 私は、法律の枠組みで割り切れない問題に関心を抱いていました。最初の研究テーマはフランチャイズ契約でした。コンビニエンスストアの契約形態も法律的にはよくわからないものなのです。スーパーマーケットのチェーンだと全体で1つの会社です。一方、コンビニが加盟店にしていったのは個々の独立した青果店や酒店です。この場合、コンビニチェーンとしての繋がりはありつつ、個々の店舗は独立しているという特徴を持っています。こうした割り切れないものに法がどう向き合うのか。そうしたことに興味がありました。テクノロジーも割り切れない問題をたくさん孕んでいますし、AIについても、その関心の延長から研究しています。
――AIによる「リーガルテック」といわれるようなサービスも進んでいます。
小塚 法律分野でも、学問研究以上に法律実務には大きなインパクトがあると思います。弁護士の仕事の多くはリサーチです。AIがもっとも得意としているのもリサーチですから、そこがテクノロジーで代替されていきます。おそらくこの先20〜30年で、法律事務所の姿は大きく変わるだろうと思います。
――どのような変化が起こるのでしょう。
小塚 ボストンコンサルティンググループは、法律事務所の人員がピラミッド型からロケット型になるのではないかという予想を立てています。現在、大規模な事務所ではリーダーになるパートナー弁護士の下にたくさんの若手アソシエイト弁護士がついてリサーチをしていますが、ここが機械化されていきます。今までの法律事務所は、トップにパートナーとなる先生、その下に一定数の中堅がいて、大量の若手アソシエイトを動員する図式でした。裾野の広い部分にいる人員がテクノロジーで代替されると、将来の法律事務所はパートナーになるような人たちだけのロケット型の組織になるだろうといわれています。
――法律家の業務のなかで判例や裁判例を調べるようなことが機械化されていくのでしょうか。
小塚 そうです。今までであれば、どう探せば役に立つ判例を効率的に見つけられるかというのが一つのノウハウでした。勘のいい人もいれば、経験によって勘を磨いていく人もいましたが、AIを用いれば大量のデータから判例をとってきてくれるわけです。ですから、リサーチのノウハウを自分の持ち味にされていた弁護士の職は機械に代替されていくと考えられます。ただ、時代の変化と判例の位置づけがどう変わるのか、もしくは変わらないのかについては法律に基づいて考えなければなりません。ChatGPTに聞けば何らかの答えは返ってきますが、それはどこかからつまんできた答えにすぎません。その部分については法律家のコアな業務として残っていくだろうと思います。
法の見地からテクノロジーをどう考えるか
――AIには、英米的な判例法主義と大陸的な制定法主義のどちらに親和性が高いのでしょう。
小塚 英米法と大陸法について、そのような対比で語られることが多いのですが、イギリスやアメリカにも成文法はたくさんありますし、大陸法である日本でも多くの判例を参照しますから、英米法が判例主義で大陸法が成文法という明確な区別がつけられるわけではありません。ただ、たしかに英米法の国、特にイギリス法系のイギリスやオーストラリア、シンガポールなどでは、NFTや暗号資産については法律をつくらなくても対応できると言われ、それと比較して日本は遅れていると見られることもあります。しかし、法律をつくらずに対応できるのが本当によいアプローチなのかはわかりません。むしろ法律をつくったほうが、テクノロジーの新しさをより正確に受け止められる可能性があります。
――既存の法律の枠組みで捉えられるか、そうでないかの判断がなされるということでしょうか。
小塚 要するに、誰が新しさを受け止めるのかということなのです。判例法に基づく場合は、そこを裁判官が考えることになりますが、裁判官がテクノロジーに強いかというと、必ずしもそうではありません。法律をつくる過程では技術やビジネスの専門家の方々などの、さまざまな意見を取り入れていくので、うまく機能すればよい法律をつくることができます。一方、今の技術に都合のよい制度にしてしまうと、技術が進んだときに時代遅れになってしまう危険性もあります。
――今の技術を持っている人に都合がよい制度になりすぎると、そこが権益化して技術の進歩が阻まれる可能性もありそうですね。
小塚 他方で今の技術を持ってる人が関与していないと適切な判断ができず、技術の進歩を妨げるような制度になるという危険性もあります。裁判官は、最先端の技術についての専門家ではありませんから。そこは一概にどちらがよいかはわかりません。
――先生は宇宙における法制度にも携わられていますが、サイバー空間にしても宇宙にしても、誰の足跡もついていないフロンティアとして技術開発が進められている側面があると感じます。
小塚 足跡がついていないといえばそうですが、技術は常に積み重ねで成り立っているわけですし、法制度も既存の考え方の上に新しいものに対応していきます。その意味では、どんな技術分野もまっさらな上にできているものではありません。むしろ重要なことは、今までの技術に比べて何が新しいのかを正確に理解して、適切に法制度に反映させていくことです。すべてを今までの延長に過ぎないと言い切ってしまったり、見かけの新しさばかりを強調してしまったりすると、実状に適さない法律をつくってしまうことが起こり得るのです。
――そう考えると、AI関連の法制度というのは難しい問題を孕むことになりますね。
小塚 第3次AIブームにおいては、当初から人間存在の本質に大きな影響を与えるという認識を技術者の方々が持っていました。そのため早い時期から社会との関わりや倫理についても考えられていて、制度の議論も広く進んできたと思います。宇宙については必ずしもそうではありませんでした。宇宙技術というのは基本的に軍事技術ですから、安全保障のロジックで進んできたのです。AIについては、安全保障的な意味合いもあるものの、それ以上に、技術者の方々も人間そのものに関わってくる技術だということを自覚して取り組まれてきました。その点は非常によかったと思います。本当に技術をわかっている方々は、私たちが驚くほど法律に詳しいです。場合によっては専門家より詳しいこともあるほどですから。
――テクノロジーと法律の関係で、どう新しさを受け止めるかについては、まず遺伝子工学で議論されてからAIの問題が出てきて、現在はChatGPTをどう評価するかということに至っています。新しいものの影響を受けるのは、私たちよりむしろ何世代も後の子どもたちである可能性が非常に高い。そうした未来への責任について法によって対処することが可能でしょうか。
小塚 それはとても深遠な質問です。そこについて最も先行しているのが地球環境についての議論です。地球環境の問題は将来世代に対する責任だとされていて、それが正しいかどうかも含めて、さまざまな議論があります。優等生的な答えとしては、何が将来的な世代に対する責任なのかを決めていくプロセスが大事だということになります。市民参加と意見集約の2つを前提とした政治ですね。ただし、市民団体や環境団体が参加して、いわゆるマルチステークホルダーのプロセスによって意見を集約することは、ヨーロッパでは可能ですが、アメリカではそうしたプロセスが必ずしもうまく機能しません。2つの前提が満たされていないときにどうすればよいかについては、よくわかっていないのが実状です。
――ジャッジする側がとても勉強をして、すべてを知っていなければならなくなってしまいます。
小塚 裁判官が、法律の本だけでなく、私の著書も「IT批評」もすべて読んで答えを出すということですよね。それも、あながち非現実的ともいえません。日本の裁判官は、実際にそこを目指している節もあるんです。司法研修所(司法試験の合格者に対する研修ではなく、裁判官を対象とした研修)でも、裁判官が、法律以外のことを幅広く学んで適切な判断ができる能力を修得することを目指しているように見受けられます。
――そうなんですね。とはいえ、市民運動からボトムアップで決めても、エリート裁判官がジャッジしても、抵抗を示す人たちはいるでしょうね。
小塚 社会からのルートが機能するか、優れたエリートが法を発展させていくか。双方に限界がありそうで、そこは難しいところです。
――かつては、ロボットをつくることについても慎重でした。有名な歩行ロボットをつくった会社の方から、開発にあたってトップがローマ法王に謁見して制作してよいかを尋ねたという話を聞いたことがあります。神でもない私たちが、人の形をしたものをつくってよいのかと。
小塚 それは人間に似た形だったからでしょうね。どうしても外形にとらわれてしまう。法律家でも一般の方でも、人間に似たものを見ると人間のアナロジーで考えてしまい、ロボットにも人格があるのではないかということを言いがちです。必ずしもロボットが人間の形をしている必要はないのですけれどね。情報処理能力としてはハードディスクのなかにアルゴリズムがあればよいはずですし、物を動かしたり対象に働きかけたりするアクチュエーター(エネルギーを動作に変換する装置)も、目的に応じた形をしていればよく、人間の手や足に似ている必要はありません。逆に人間に似ていないロボットを見ると、人はそれを機械とみなして、技術が進んで便利になるのはよいことだという認識を持ったりします。技術の本質は同じでも、人間の形をしていれば人間になぞらえてしまい、人間の形をしていないと機械だと割り切ってしまうのは、ある種の誤解です。そのあたりについては、解きほぐしていく必要があるでしょうね。
データエコノミーで明らかになる価値観のちがい
――先生は商取引がご専門ですが、取引の対象が財物からデータに移行するなかで、どのような変化があったのでしょう。
小塚 今の法律の起源をたどっていくと、古代ローマ法にさかのぼります。共和政の時代のローマに法が生まれ、ローマ帝国の時代に文書化・体系化されて、ローマ帝国を滅ぼした側の中世ヨーロッパの人たちが、その体系を取り入れました。ヨーロッパの人々が世界に進出したことによって、世界各国に法が普及しました。ローマ法をみると、物を売買したり貸し借りしたりという取引の関係は比較的クリアになっていて、商行為が高度なものになっても、同じ考え方を適用できます。物ではないものを対象とした取引は、他人になにかを頼むサービスとしての取引です。ところがデータを使った取引というのは、人がそこで労働力を提供するわけではありません。物のようだけれど物ではないということで、今の法律では「データを○○してください」というような、人に仕事を頼むことに引きつけて議論をしようとしてるわけです。
――法律的に齟齬が生じることもあるのでしょうか。
小塚 物の取引との違いを感じることは多くあります。たとえばビジネスパーソンはデータを売買するといいますが、データは物ではありませんから「データの売買」というのは法律的にはおかしな表現になります。法律的には、データを見せたり使ったりするというライセンス契約です。ライセンス契約は、権利の利用を認めるというサービスを提供することですから、古代ローマ法でいえば「うちのパン窯に1日パンを焼きに来てください」という取引に近い考え方です。でもパン窯に職人さんが来ることと、データライセンスを受けてデータを使うこととはまったく違っていて、実際は物を買うことに近い。物の売買とはいえない部分を無理やりサービスの契約として説明していますが、その無理やり感がどうしても法的には気持ち悪いところなのです。
――そこで新しい法律を作成することには至らないのでしょうか。
小塚 簡単にはそうならないのです。法律家には商取引は契約に基づいて行われるものだから、法律をつくるのではなく契約上で決めればよいという感覚があります。データの所有権などについては、関係のない第三者に被害が及ぶこともありますから、基本的な契約だけでなく法律や判例が必要になります。しかし、合意の当事者間の関係については、契約に書きこめばよいと考えられるため、法律を作成するという話にはなりづらいのです。
――契約についても、国によって感覚差がありそうです。
小塚 現代につながる法の歴史を持つ西洋の国々は、契約についても、その存在を当然のものとして受け止めています。一方、日本を含むアジアの国々にとっては、西洋法にいう「契約」の概念は近代以降に新しく輸入したものであるため、新しい取引ができて契約書を書くにあたっても、何か見本を求める傾向が強くあります。非西洋の国では、新しい取引に必要な法律のルールを求める傾向も強いですね。ソ連崩壊後の旧ソ連構成国や中央アジアの民法には、ライセンス契約やフランチャイズ契約についても書かれています。日本では法改正が議論されたもののすぐ立ち消えになりましたし、ヨーロッパでは話題すらなりません。欧米の人たちは、新しい取引ができると自分たちでルールをつくることを考えますが、非西洋の人たちは新しいシステムと同時に、それを担保する法律を求めます。取引ばかりが先行してしまうことへの警戒、法的な拠り所を求めるのですね。
――やはりヨーロッパでは合議制で物事を進めてきた背景があるからでしょうか。
小塚 社会が何によって成立しているかどうかだと思います。ヨーロッパの人たちは、法が社会を形成していると考えています。ですから、誰かが言い出さなくても、最終的には必ず法に帰着します。しかし、それはヨーロッパのほかの国では共有されていません。社会が法で成立していると聞いたら、ほとんどの日本人は怪訝な顔をすると思います。日本では、人の相互理解のネットワークで成立していると考えるほうが一般的ですから。
――個人情報については、アメリカでは個人データをプラットフォームに提供する契約にサインすればそれが覆ることはないものの、ヨーロッパでは個人情報は契約より上位にあると考えられているといわれます。
小塚 ヨーロッパにはナチスがユダヤ人を徹底的に管理して迫害したという負の歴史があって、自分たちが何十年もかけて二度と起こらないようにしてきたことをAIが繰り返してはならないという考え方が強くあります。ですからヨーロッパでいう個人データの問題には、ファシズムへの反省と抑止という側面が強くあります。一方、アメリカでは個人データの問題というのは消費者保護の問題です。だから消費者問題に厳しいカルフォルニアが、独自の州法をつくったりもします。アメリカでは、自分たち消費者の行動をプラットフォーム側が勝手に記録した上に、そのデータを基にマーケティングをしてお金儲けに使っていることが問題視されます。これではプラットフォームが二重に利得しているようなものだということです。その意味では、ヨーロッパとアメリカとでは、個人データについての文脈が違うわけです。
――法律についての考えかたの差もありますか。
小塚 さきほど申しあげたように、ヨーロッパには最終的に法律に帰着する価値観がありますので、人として持っている権利とは何か、決して奪われてはならない権利とは何かということを考えます。そこから、現代のデータエコノミーの時代には自分のデータについての権利があるという考えかたになります。アメリカでは法律よりもビジネスのロジックで進む傾向がありますから、取引上合意したのだからそのデータを使うのは正当なことだということになります。プラットフォーム側の言い分としては、データ提供に同意したおかげで消費者は安いものやよいものを手に入れられるのだから、きちんとメリットを還元しているということです。
――消費者個々にターゲティングして商品を紹介しているのだから、コストを肩代わりしているという論理ですね。
小塚 データの提供を拒絶したらそのプラットフォームを使えない、使えなければスーパーマーケットやデパートに行って高いものを探して買わなければいけない。間接的にはデータの利用料を払っていることになるのだから、取引上合意があれば問題がないことになります。