人工知能+ロボットが社会を変える―フィジカルAIの最先端 尾形 哲也氏に聞く
第1回 急速に進化する「考えるロボット」の研究開発
ロボットは心を持つか――認知発達ロボティクスの見地から30年余にわたってこの問いを追究してきた尾形哲也氏。AIとロボットが邂逅し、フィジカルAIとして大きな注目を集める現在、氏はなにを思うのか。世界で最初にヒト型ロボットを作成した早稲田大学で研究の最前線に立つ斯界の第1人者に聞く、インタビュー第1回。
取材:2026年1月20日 早稲田大学西早稲田キャンパス尾形哲也研究室
尾形 哲也(おがた てつや)
早稲田大学理工学術院基幹理工学部表現工学科教授。博士(工学)。早稲田大学次世代ロボット研究機構AIロボット研究所所長。AIロボット協会(AIRoA)理事長。国立情報学研究所大規模言語モデル研究開発センター客員教授。早稲田大学理工学部助手、理化学研究所脳科学総合研究センター研究員、京都大学大学院情報学研究科講師及び同准教授を経て、現職。日本ロボット学会理事、人工知能学会理事などを歴任。2025年よりAIロボット協会理事長などを兼任。JST CREST「実環境知能システム」領域研究総括。深層学習、生成AIに代表される神経回路モデルとロボットシステムを用いた認知発達ロボティクス研究、特に予測学習、模倣学習、マルチモーダル統合、言語学習、コミュニケーションなどの研究に従事。2021年IEEE ICRA2021 Best Paper Award In Cognitive Science、2023年文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)など受賞。著書『ディープラーニングがロボットを変える』(日刊工業新聞社)のほか、『〈こころ〉とアーティフィシャル・マインド』(創元社)、『発達ロボティクスハンドブック』(福村出版)など共著多数。
目次
「ロボットの心」を追究する
――先生がロボティクスに関心を抱かれたきっかけはなんでしょう。
尾形 祖父が早稲田大学機械科出身で、私が生まれたときには亡くなっていたのですが、立派な人だったと幼いころから伝え聞いていました。石油化学の方面に進んだ方だったのですが、祖父の遺した有機化学の式のメモをみて、意味がわからないながらも幼心に惹かれるものがありました。そこにロボットアニメの影響が加わり、登場人物もさることながら、その周囲のキャラクターにも関心を抱きました。当時は冗談交じりに、ガンダムよりもハロ*1のほうが偉いのではないかと言っていました。非接触で脳波のレベルを測って、心配までしてくれるわけですから。ロボットをつくる人たちにも興味を抱いていて、小学校2年生ころの文集には「将来はロボットをつくる学者になりたい」と書いています。当時は研究者という言葉も知りませんでしたから。
――ロボットのどのようなところが魅力だったのでしょう。
尾形 当時はロケットへの興味とロボットへの興味が半分ずつでした。ロボットについてはメカニズムで動くことに興味があり、子どもながらに図面のようなものを描いたりして遊んでいました。中学生になると現実的なことを考えますから、そうしたことは言わなくなっていました。大学受験のときには漠然と機械科を志望していましたが、具体的になにをしたいのかは理解していませんでした。父親からは、成績がよいのだから医学部を受験するように言われ、駿台予備校の医学部校舎に通っていたのですが、世界初の人型ロボットであるWABOTをつくられた加藤一郎*2先生が、ロボットを使って人間の心を考えられるだろうとおっしゃったインタビューを雑誌で読み、とても感銘を抱きました。そこで、早稲田大学理工学部機械科を父を説得して受験しました。
――お父さまとしては医学部に行ってほしかったのですものね。
尾形 祖父のこともあり、早稲田ならばしかたがないと許してくれました。入学後には、加藤先生の研究室に入るために成績を上げるためにがんばりました。加藤先生はそろそろ定年という時期で、加藤先生の教え子だった菅野重樹先生や高西淳夫先生の研究室も人気がありましたね。加藤先生が亡くなられてから、菅野先生に学位論文を指導いただき、高西先生には副査になっていただきました。
――早稲田大学では、無事に加藤一郎先生の研究室に入られたのでしょうか。
尾形 はい。加藤先生は、私が修士2年の時に亡くなられたので、ご指導を受けたのは学部3年から実質3年ちょっとでしたが、とても貴重な経験でした。加藤先生には、ニューラルネットワークをつかって、ロボットの心の研究をしたいと申し出ました。加藤研に入る前に、先生の著書『マイロボット』(読売科学選書)という書籍を読んでいたのですが、この選書シリーズに甘利俊一先生の書かれた『ニューロコンピューター』という本がありました。それを読んでニューラルネットワークに魅了されて、古書店で甘利先生の本を探しては読破していきました。そうしたなかで『神経回路網の数理:脳の情報処理様式』(ちくま学芸文庫)に出会い、ニューラルネットワークがロボットに使えるだろうと確信しました。当時は、ニューラルネットワークをロボットに使おうという人はほとんどいなかったのです。
――あくまでソフトウェア寄りの話題だったということですよね。
尾形 ニューラルネットワークで心がわかるということについては、加藤先生はニューラルネットに「身体(自律神経系)」を加えた上で規模をスケールさせる(先生は”システム度”という表現を使われました)ことで、そこからなにか高次知能が立ち上がる(創発される)というストーリを考えていました。今の研究動向から見て非常に先駆的な発想であったと思います。
私としては、ニューラルネットワークでロボットを制御できればよいと思っていたのですが、先生から「それならロボットの心を研究しなければいけない」と言われました。私がはじめて学会発表をしたのは、修士1年のときのロボット学会においてですが、タイトルは「ロボットにおける心の発生」というものでした。当時としては、かなり“ぶっ飛んだ”ことを言っていると思われていました。また1996年にはIEEEの国際カンファレンスで“Emergence of mind in robots for human interface – research methodology and robot model”という発表もしています。そもそもご指導をいただいていた加藤先生は、世界ではじめて人型ロボットをつくった人ですから、その時点から発想としては新奇だったろうと思います。加藤先生は当時から、これからはニューラルネットワークの時代だ、これはロボットにおける心という発想だということを仰っていました。いまはニューラルネットワークではなくAIと呼ばれていますが、認知科学やAGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)まで議論されるようになっていますから、慧眼だったとしか言いようがありません。
*1 ハロ(HARO):『機動戦士ガンダム』(1979年)からシリーズを通じて登場する、黄色い目をした緑色の球体型自律AIロボット
*2 加藤 一郎(1925–1994)日本のロボット工学者。1973年に世界初の二足歩行可能なフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」、1984年に音楽演奏ロボット「WABOT-2」、動完全歩行する「WL-10RD」等を製作した。千葉工業大学講師、早稲田大学助教授、教授、理工学部長を歴任
ニューラルネットワーク黎明期の人工知能
――先生が研究室に入られたのは、HondaがASIMO*3を発表するよりも前のことですよね。
尾形 HondaがASIMOの2世代前のP2というモデルをつくったのが1997年のことですから、ASIMOの登場はその5〜6年後です。1990年以前まで人型ロボットの開発は早稲田大学他少数の機関でしか行っていませんでした。90年代の終りにASIMOが発表されたころにMITもヒューマノイドの開発をはじめました。ロドニー・ブルックス氏が80年代に提案した行動規範型の知能に対して、虫のロボットぐらいしかできないのではないかという批判に対抗して人型ロボットを開発したのです。ブルックス氏は何度か早稲田大学を訪問されています。何回かヒューマノイドの会議をしていたのですが、HondaがASIMOを発表したころにヒューマノイドの国際会議ができて、それに合流することになります。
――先生はその間も、ニューラルネットワークの研究を続けられていたのですか。
尾形 2000年代初頭に、aibo*4も含めて第2次ロボットブームが起きたのですが、ニューラルネットワークでロボットが動くわけがないというのが当時の基本的な考えかたでした。私は修士課程や博士課程以降ずっと、ニューラルネットワークとロボットの研究を続けています。実用ロボットというよりは、認知発達ロボティクスのような人間理解についての研究です。加藤先生が人型ロボットの開発をスタートした動機も人型ロボットを使って人間を理解したいということでした。先生は「工学的人間学」とおっしゃっていましたが、私もその文脈上にいましたので、国内にいらした大阪大学の浅田稔先生や東京大学の國吉康夫先生らのプロジェクトに参加させていただく形で研究を進めました。その後、発達ロボティクスはヨーロッパを中心に広がっていくことになります。私は京都大学に10年ほどいたのですが、京大では音響メディアの研究室で、音声発達や音環境理解など人間の認知に関わる研究をしていました。早稲田大学に戻ってきたのが、2012年のことです。テーマや場所は変わりつつも、30年間同じ分野で研究しています。
――ロボットとニューラルネットワークというテーマは一貫されているのですね。
尾形 感情モデルやヒューマン・ロボット・インターラクション、音声獲得など、さまざまなアプローチから研究してきました。早稲田大学に戻ってきた2012年に、ディープラーニングが大きく注目されました。私はディープ・ラーニングが発表されたのと同時に使いはじめたのですが、当時の日本では受け入れがたいという雰囲気が強く、これでスケールすると主張しても信じてもらえませんでした。『ディープラーニングがロボットを変える』(日刊工業新聞社)を書いたのが2017年のことです。同年に東京大学の松尾豊先生らと日本ディープラーニング協会を発足しました。当時は、人工知能という言葉がディープラーニングを指す言葉ではなく、基本的に亜種だという認識だったので、人工知能学会とは別の協会を皆でつくりました。
――人工知能といえばルールベースのものという認識があったのですね。
尾形 そうですね。アカデミアのなかで学会として進めると、そこは簡単には変わらないだろうということで協会にしようという松尾先生のアイデアです。当時、産業技術総合研究所や理化学研究所をはじめ、さまざまなところにAIセンターが設置されましたが、その多くは「打倒ディープラーニング」という時代でした。
――当時、松尾先生は「ロボットに目を付ける」という表現をされていましたが「それがどうした」というような論調も多かったように記憶しています。
尾形 AIという言葉もなかなか受け入れられず、生成AIが出てきたここ数年で、さすがにみんながAIというものを認めてきましたが、それまでは大変だったという印象があります。ロボットにAIを入れるというときにも、いまでこそ“フィジカルAI”がキーワードになっていますが、私が理事長を務めるAIRoAは一般社団法人AIロボット協会という名称にしつつも、ロボットという言葉を強調しすぎないようにしています。つまり、ロボットにAIを載せるというよりも、AIがロボットをつかうというイメージです。これまではロボットを扱う人たちがAIを使うという文脈でしたが、いまはAIを扱う人たちがツールとしてロボットを使うという考えかたになっています。そうすると、つくりかたの方向性やアプリケーションなどは、何もかも異なってきます。
――自動車の自動走行についても、日本は自動車メーカーが自動車をつくり、そこにAIを搭載するイメージですが、海外ではAIを開発している会社がAIにタイヤやエンジンをつけるという発想ですよね。
尾形 どちらがよいとは言えませんが、つくりかたや思想は随分と異なると思います。『ディープラーニングがロボットを変える』は、そうしたことが起こり得ると思って執筆しました。ただし2025年ぐらいには多少の影響が出るものの、実用化されるのはもっと先だろうという書きかたをしたのですが、いまはその勢いが急速に増しています。大量のロボットを用いてデータを集めることが重要だということは2017年当時から書いていて、なかなか信じてもらえなかったのですが、いまの予算投下の規模をみると、少し危うさすら覚えます。
*3 ASIMO(アシモ):本田技研工業(Honda)が開発した本格的なヒューマノイドロボット(人間型ロボット)。2000年に誕生し、二足歩行、ランニング、手話、階段昇降などの高い運動性能を有した
*4 aibo(アイボ):ソニーが開発・販売する自律型ペットロボット。犬のような見た目と動きでユーザーとのコミュニケーションを通じて成長し、個性を育むことを目指している