トリプルアイズ新CEO・片渕博哉氏に聞く
第1回 震災体験からAI開発リーダーまでの道のり
2025年11月、画像認識技術などを提供するAIベンチャーのトリプルアイズに、新しいCEOが誕生した。同社のAI開発部門を牽引してきた若きリーダーに対する期待は大きい。新CEOの片渕博哉氏に、フィジカルAI時代の戦略について語ってもらった。第1回では、トリプルアイズ入社までの経緯を聞いた。
取材:2025年11月14日 オンラインにて
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片渕博哉(かたぶち・ひろや) 株式会社トリプルアイズ代表取締役CEO 1991年生まれ。東京都出身。東北大学理学部中退。2016年にトリプルアイズにエンジニアとして入社し、開発業務に従事した後、AIに関する研究開発のリードエンジニア、囲碁AIソフトウェア開発マネージャー、AIエンジニア教育サービスの責任者、画像認識プラットフォーム・AIZEの開発責任者、DXS事業責任者等を歴任。23年より執行役員を務め、DXS/AI 事業責任者、当社グループのAIに関する研究開発責任者、事業計画の策定等を担当。またイベント登壇、企業セミナー、技術記事寄稿など外部発信も積極的に行う。25年11月26日より現職。 トリプルアイズHP |
生き方を問い直すきっかけとなった東日本大震災
編集部(以下、─)片渕さんはトリプルアイズへは新卒入社ではなかったのですね。
片渕博哉(以下、片渕)東北大学を中退した後に、アルバイトや専門学校の講師を経て入社しました。25歳のときです。
─大学では何を専攻していたのですか。
片渕 理学部の地学科ですが、特に地学に対する興味はなかったんです。大学の授業で、「地面を掘りつづけたらどうなるか研究したくて大学に来ました」と語るクラスメイトの姿を見たとき、自分が学問で生きていく未来はないと悟りました。高校生のときは研究職の方面に行くのだろうと漠然と思っていたので、自分は学者には向いていないんだということに気づいてちょっと絶望的になりました。
─大学を中退された理由をお聞かせください。
片渕 中退する決断をした背景には、東日本大震災で経験した出来事が大きくかかわっています。震災当日、当時20歳だったわたしは仙台の大学寮にいました。春休みで、こたつで昼寝をしていたところに突然の大きな揺れがきました。余震は何度も続き、携帯の地震速報は十分おきに鳴りつづける。外へ出れば、割れたガラスが道に散らばり、水道管は破裂し、店は閉まり、仙台市内でも「都市機能が停止する瞬間」をまざまざと見ました。
─まだ記憶に生々しい大災害でした。
片渕 震災後に、わたしは被災地支援のボランティアにかかわるようになったのですが、「自分は元気で、何も失っていない」という事実に向き合ったとき、何か強烈なモヤモヤが生まれたんですよね。「自分はこのまま大学を卒業して、何者になるのだろうか?」と悩みました。研究にも強い興味が持てなくて、大学で過ごす意味を見失っていたので、「とにかく社会出て働こう」と思い、中退しました。
─そのときに専門学校の講師をやられるんですね。
片渕 大学時代にアルバイトとして塾講師をやっていて、不得意な科目を克服していく生徒の姿を見るうちに、「情報を整理する」「相手に合わせて伝える」「成果につながる変化を一緒につくる」というプロセスに、自分の適性を感じていたんです。自分の進む道はここにあるなと思い、専門学校の講師として働きはじめました。
─トリプルアイズとの出会いについてお聞かせください。
片渕 25歳のとき、偶然見かけたプログラミングスクールの広告をきっかけに技術を学びはじめました。3カ月間は無料で学べるスクールだったのですが、エンジニアとしての経験がない自分をアピールするには短期間で成長した姿を見せるしかないかと考えて、C言語などプログラムの資格を取りまくり、最終的に紹介された複数の企業から内定を得ました。そのとき、トリプルアイズに出会いました。
─エンジニアになろうと思ったのはなぜですか。
片渕 実はあまり覚えていないのです。別にプログミングに興味があったわけでもありませんでした。強いていうなら、理数系の頭の使い方が得意だったことと、IT業界に将来性を感じていたのかもしれません。
トリプルアイズとの出会い──創業者の哲学にふれる
─福原智さん(トリプルアイズ創業者で当時の代表)とはじめてお会いしたときの印象について教えてください。
片渕 御茶ノ水にある本社の社長室で面談したのですが、第一印象は“夢を語る人”というものでした。福原さんが語っていたのは、「人に優しいICTをつくる」「大家族主義の組織でありたい」「一緒に仕事する仲間にリスペクトを持つこと」「個の力とチーム力の両方を大切にする」といった信念でした。福原さんは上場目前の2021年にこの世を去りましたが、この考え方は今もトリプルアイズのDNAとして息づいていると思います。
─入社されてからは開発一筋ですか。
片渕 しばらくはAI開発と現場のSESを半々ぐらいでやっていました。
─それまでAIについて勉強されていたのでしょうか。
片渕 まったくのゼロからスタートしました。プログラミング経験もAIの知識もないに等しかったのですが、独学で食らいつき、大手音楽配信会社のレコメンドAIのプロジェクトをやり遂げました。その後、システム保守やSESを経験し、囲碁AIの開発にも関わるなど、現場と社内の両方を行き来しながら経験を積みました。
─社内資格の「AT20(Advanced Technology 20)」の立ち上げにもリーダーとしてかかわられています。
片渕 AT20は転機だったと思います。これは、“AI・先端領域に関わるエンジニアを社内の20%まで育てよう”という福原さんの構想からスタートしたのですが、当時のわたしは、まだ「自分のパフォーマンスを最大化すること」だけに興味がある若手でした。しかし福原さんから、「少数のスペシャリストだけではダメ。それぞれの得意な領域を掛け合わせて、チームで戦う“集合天才”で行こう」と言われ、視座が大きく変わりました。
─目標に向かってチームで取り組む点で難しさはありましたか。
片渕 もともと塾の講師などの経験もあって、人に知識を伝えることは得意にしていました。だから、このときも自分のノウハウを体系化し、人に教え、再現性あるかたちへ落とし込むことに本気で取り組みはじめました。この経験が、現在当社が掲げている「エンジニア成長第一主義」へとつながっています。
