無知を問うアグノトロジー(無知学)とジェンダード・イノベーション
第5回 アグノトロジー(無知学)からジェンダード・イノベーションによる知の再編へ

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

学術界におけるジェンダー格差は世界でも、そして日本においては顕著に深刻である。今回は、エルゼビア社の研究者の男女平等についての国際比較調査を読み解きながら、科学を支える多様な視点の欠如が知の生産そのものを減衰させることをみていく。シービンガーは、この隘路からイノベーションの可能性を展開する「ジェンダード・イノベーション」を提唱した。この考えは、殊にAI開発の分野において重要な課題を投げかける。

目次

(とくに日本の)学術分野におけるジェンダーの偏り

オランダ・アムステルダムに本拠地を置く世界最大規模の医学・科学技術系出版社エルゼビアでは、世界15か国とEU28か国を対象に、学術における女性参加のジェンダー・ギャップを調査したレポート“The Researcher Journey Through a Gender Lens”を公開している。このレポートによると、1999年〜2003年から2014年〜2018年の間に、各研究分野における女性研究者比率は増加しており、平均上昇幅は男性100人あたり女性約20人であるものの、いまだ女性研究者の占める割合は世界平均28.8%と平等には程遠い。日本の上昇幅は男性100人あたり女性約11人から18人、女性研究者の占める割合は約16.6%で、ともに調査対象16か国中で最低水準である。2014年〜2018年時点での女性科学者比率を研究分野の大分類でみてみると、物理科学系(Physical Sciences)の世界平均は約20〜25%(日本:約8〜10%)、生命科学・健康科学系(Life & Health Sciences)の世界平均は約45〜50%(日本:約25〜30%)、社会科学系(Social Sciences)の世界平均は約40%前後(日本:約20%前後)、医学系(Medicine)の世界平均は約42〜45%(日本:約27%)となっている。また論文などの出版物数において女性が占める割合は世界平均約30%(日本:約15%)、被引用数(Citation Impact)の女性割合は世界平均約40%(日本:約23%)、助成金受給者の女性割合の世界平均は25〜45%(日本:10%)。世界平均の数値をみても、女性の比率が低いことが看取される。

それにしても目立つのは、日本におけるすべての数値が世界平均の約半分であり、ことごとく調査対象の16か国中で最下位の水準であることだ。2011年には内閣府男女共同参画局を中心に第3次男女共同参画基本計画(2010年12月閣議決定)“科学技術・学術分野”の章に2020年までに女性研究者比率30%という数値目標を掲げ、文部科学省は自然科学系における女性研究者の採用割合を「早期25%、さらに30%を目指す」と科学技術基本計画に明記し、大学や研究機関での具体的運用や事業を施行してきた。この間にあたる2018年には、東京医科大学医学部医学科の入試において少なくとも2006年以降に二次試験の採点において、女性受験生の得点を一律に減点し、女性受験者の合格者比率を3割ほどに抑えるという組織的な不正を行っていたことが発覚した。これを受けて文部科学省が他の医科大学を調査したところ、80大学中20大学において性別・年齢・居住地に基づく不当操作が行われていたことが発覚し、そのうち9大学が性別を理由とした不利な取り扱いをしたことが判明している。また予てより指摘されていた高等学校の男女別採用についても、女子の合格最低点が男子よりも100点以上上回るなどの実態が明らかになり、東京都は都立高校の男女別採用を2024年度(令和6年度)入試から全面廃止した。一方、東京科学大学(旧:東京工業大学)や名古屋大学などの国立大学、また芝浦工業大学や青山学院大学など私立大学の理工系学部では女子入学枠を設けているものの「男子学生への逆差別」という批判の声も挙がっている。

WTF(World Economic Forum:世界経済フォーラム)の実施する男女格差の統計評価“Global Gender Gap Report(世界男女格差報告書)”における2025年の日本のジェンダーギャップ指数は148カ国中118位だが、最も完全平等1に近いスコア0.994である教育分野においてさえ、内実はこのような有様である。

テクノロジーに参与するジェンダード・イノベーション

女性がまだ匿名で出版を行っていた清教徒革命から王政復古期である17世紀のイングランドで、自身の名を冠して執筆活動を行った女性作家・自然哲学者マーガレット・キャヴェンディッシュは1666年に出版された“Observations upon Experimental Philosophy”において「女の機知は男と同等たりうるものであり、ゆえに女は男と同じくらい簡単に学ぶことができる」と記している。機知は生まれつきであるが、学識は人工的なものであり、当時は女性よりも男性のほうが圧倒的に教育機会に恵まれているとして、当時の科学共同体である王立協会が女性を排除していたことを挙げて、観察する主体の特権性を問いなおすものである。なお同書は実験主義科学やデカルト的二元論を批判して、すべての自然物は能動的に秩序を生み出す“自己運動する物質(self-moving matter)”であり、人間の観察者に従属するものではないとして、当時の実験主義科学やデカルト的二元論を唯物論的に批判する内容である。

それにもかかわらず、女性科学者の少なさには、旧来よりさまざまな説明がなされてきた。18世紀後半には、女性の頭蓋骨は小さすぎて重く高性能な脳を収容できないとされ、19世紀には女性が脳を使うと卵巣を萎縮させるといわれた。20世紀には女性は右脳優位なので空間把握能力に欠けていると喧伝された。いずれも噴飯ものの言説だが「男性脳/女性脳」については、いまだにまことしやかに語られることもある。

前項でみたように、いまだ女性科学者が少ないことは明白であるが、いうまでもなくジェンダーバイアスや女性の機会損失など社会的に構成された帰結である。日本の数値をみれば、言を重ねるまでもなく、より明らかだろう。

女性科学者を確保することが、方法と成果におけるジェンダーギャップを解消し、科学技術に新しい発見と変革をもたらすことにほかならない。性差分析に基づき、これまでは2つの方法がとられてきた。1つは理工学分野における女性の数を確保すること、もう1つは研究組織の組織や制度を是正することである。性差分析に基づいて事後的に行われるこの2つに、シービンガーは最初期から性差分析だけでなく、他のマイノリティ変数との交差性分析を組み入れることで新しい知的創造と技術革新をもたらす“ジェンダード・イノベーション(GI:Gendered Innovations)”を2005年に提唱している。シービンガーはGIを“知識の再検討”と位置づける。これは無知学(アグノトロジー)をもとに知の再編を行う営為だと考えうる。

機械学習においてバイアスが増幅されることは、さまざまなところで論じられてきたし、本連載でもしばしば言及してきた。バイアスについては数種類あるが、データセットについては過去のデータを参照すればするほど、旧弊な偏見がより多く含まれてデータバイアスは大きくなる。ただしN-Gramによると“He said”と“She said”の比は、1960年代の4:1だったのが2000年以降には2:1に縮小されていることから、長いスパンでは改善されることが見込まれる。またデータの収集方法や指標が偏っている測定バイアス、また社会構造に基づく不平等がデータに反映される社会的なバイアス、開発者や運用者の価値観や仮定が反映されるヒューマンバイアスは、GIの余地が大いにあるだろう。またモデル設計や重み付けの段階で偏りが生じるアルゴリズムのバイアスについてもファインチューニングの段階などでGIを考慮することで改善することが期待できる。

ともにMicrosoft Researchの社会科学部門の研究職に就いている、インディアナ大学ブルーミントン校の情報学・人類学教授メアリー・L・グレイと、データサイエンスの研究者シッダールタ・スリとの共著『ゴースト・ワーク』(柴田裕之訳、成田悠輔監修/晶文社)は、AIシステムをクラウドワーク市場において支える「ゴースト・ワーク」に従事する労働者の強いられる心理的負荷や無報酬時間、契約・保障の欠如などの構造的問題や、労働者のアイデンティティに訴える“やりがいの搾取”の構造を浮き彫りにする。同書ではまた技能証明やプラットフォーム横断ポートフォリオ、レビュー制度の民主化などの具体的な解決策も提案されている。

インターネットもAIも「非知」のハードルを下げることに大きく奏功していることは確かである。しかし、そこに伏流する「無知」を問いなおし、そこに伏流するアンコンシャス・バイアスに目を向け、疑問を投げかけること――そこではじめて私たちはテクノロジー、そして他者へのまなざしを獲得できるのだろう。<了>


ゴースト・ワーク

メアリー・L・グレイ, シッダールタ・スリ (著)

柴田裕之 (翻訳)

成田悠輔 (監修)

晶文社

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