創造主なき世界の私たちと延長された表現型としてのAI
第2回 教育政策における文化闘争もしくは神学論争
進化論が科学的コンセンサスとされていた1970年代、アメリカでは聖書に基づく創造説を教育に持ち込む動きが高まった。南部や中西部を中心に保守的キリスト教の支持を背景に、進化論を禁じる法律や“創造科学”を正規科目とする試みが繰り返され、全米規模の論争に発展した。科学と宗教の対立は教育政策の場を主戦場として繰り返し表面化したのである。
目次
教育現場に持ち込まれる創造説
『利己的な遺伝子』が刊行された1976年当時、ダーウィンの提唱した進化論については、化石記録や分子生物学、集団遺伝学の成果によって、科学的コンセンサスとして広く受け入れられていた。しかしながら、その評価については「進化論をめぐる三重の戦場」といわれる3つの分野で激しい論争が繰り広げられていた。1つめは理論間の対立という科学内部の戦場、2つめは宗教やイデオロギーをめぐる戦場、3つめは哲学的・イデオロギー的戦場である。今回はまず、2つめの宗教やイデオロギーをめぐる社会的・文化的戦場について取り上げる。
神が万物を創造したという創造論は、科学界においては無視され、啓蒙思想以降のヨーロッパや、そもそもキリスト教圏ではない日本などでは受容されることがなかったが、アメリカ一般社会レベルでは根強く存在していた。特に聖書に基づく保守的キリスト教的世界観の強かった北米南部や中西部では、創造論は依然として広い支持を受けていた。1960年代末〜1970年代にかけては、進化論を公立学校で教えることへの反発が強まり、1970年代には 「科学的創造論(creation science)」 として教科化を目指す運動が巻き起こった。南西部に位置するテネシー州では、1925年に成立した「バトラー法(Butler Act)」により、公立学校で聖書の天地創造説に反する進化論を教えることが禁止されたものの、これに反発を抱いた高校教師ジョン・T・スコープスが意図的に進化論を教えたことで起訴されるという「スコープス裁判(Scopes Trial)」が開廷された。進化論擁護側にはACLU(American Civil Liberties Union:アメリカ自由人権協会)の支援を受けた著名な弁護士クラレンス・ダロウ、検察側には熱心な政治家として3度の大統領候補者経験があり熱心な米国長老派キリスト教信者であるウィリアム・ジェニングス・ブライアンが就き、進化論禁止法の憲法適合性が問われた。この裁判は、スコープスの立場というより科学と宗教の対立として国民的な関心を寄せるとともに、モンキー裁判とも揶揄されて劇場化された脚色をふまえ全米で報道された。裁判の決着としてスコープスは有罪となり、裁判長は100ドルの罰金を科すことを宣言したものの、のちにテネシー州最高裁は陪審ではなく判事が罰金を定めたことを“手続き上の不備”として判決を破棄したものの、バトラー法そのものは合憲とされ1967年に至るまで存置された。1973年にはテネシー州で「創造科学を進化論と併記して教えるべき」という法案が提出されるなど、教育政策をめぐって科学と宗教の対立はしばしば繰り返される。
創造論は疑似科学から疑似神学へ
近代科学と信仰の境界線をめぐる文化闘争の象徴としてのスコープス裁判の結果を受けて、科学教育において進化論が主流化したが、創造主義者は新たな戦略を模索する。聖書学者・神学者であるジョン・ホイットコムとバージニア工科大学教授だった工学者ヘンリー・モリスは共著により『創世記大洪水(The Genesis Flood)』(未訳)を刊行する。同書の内容は旧約聖書「創世記」に記されたノアの洪水を歴史的・科学的事実として解釈することで、進化論や長期的地球史に対抗することを意図したものであり、同書は創造科学運動のバイブルとなる。内容は、地球は約6000〜1万年前に誕生したものとして、地質学における数十億年スケールの地球史を否定したうえで「創世記」に記されたノアの大洪水を地球規模の史実とみなして化石層・地質構造・堆積物を大洪水の産物と解釈し、山脈の隆起や地層の形成年代を短い期間において説明する内容である。ここでは化石記録は進化の証拠ではなく、単に洪水で埋没した順序を反映するものとされ、生物種は神により固定的に創造されたもので、進化は存在しないとされる。洪水だけで世界中の化石層や大陸構造を説明するのは科学的に不可能なうえ、放射性同位体年代測定やプレートテクトニクス、古生物学の知見など、素人目にもトンデモ学説にすぎず、カール・ポパーのいう反証可能性を持たない疑似科学にすぎないのだが、いまも存在するICR(Institute for Creation Research:キリスト教弁証研究所)は1970年代に、教育現場において、進化論と同じ時間を割いてこの考えを教えるべきであると主張した。
アーカンソー州では1981年に“Balanced Treatment for Creation-Science and Evolution-Science Act(バランス教育法)”が制定され、ルイジアナ州でも同年に“Creationism Act(創造論法)”が制定されるものの、アーカンソー州バランス法は1982年“マクリーン対アーカンソー州教育委員会事件(McLean v. Arkansas Board of Education)”において連邦地方裁判所により合衆国憲法修正第1条の政教分離に違反するとして違憲判決がなされる。またルイジアナ州の“Creationism Act”については1987年“エドワーズ対アギラード事件(Edwards v. Aguillard)”で最高裁において5対4で「創造科学を教えることを義務づけるのは宗教的意図があり、合憲ではない」と判断されバランス教育法型の立法は全米で違憲であることが確定した。
こうした運動がある程度の擁護を受けたのは、第2次大戦後の冷戦下においてアメリカが“神の下にある国家(one nation under God)”という国家像を強調したことが挙げられる。進化論の持つ唯物論的かつ無神論的な要素がマルクス主義的である連想も、アメリカ宗教保守層に懐疑を抱かせたようだ。
リチャード・ドーキンス (著)
日髙敏隆, 岸 由二, 羽田節子, 垂水雄二 (翻訳)
紀伊國屋書店
