Apple Vision Proが生む、空間コンピューティング時代の新たな「体験の格差」
第3回 Vision Proが拡張する教育と医療の格差によって揺らぐ公共性

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Author 伊藤 要介

Apple Vision Proは、「未来の学び」や「先進医療」といった言葉に、具体的な質感を与えるデバイスとして注目を集めています。リビングが月面に変わり、手術室が仮想空間へと拡張される。これまでSFの世界にとどまっていた体験が、徐々に現実へと近づきつつあります。

しかし、こうした体験が誰にとっても開かれているわけではありません。教育や医療といった公共性の高い領域においても、技術の恩恵を“享受できるかどうか”によって、新たなアクセス格差が生まれつつある現実があります。

本記事では、Vision Proによって明らかになってきた教育・医療分野の格差構造に着目し、その背景と課題について考察します。

目次

Apple Vision Proが明らかにする教育現場への格差

もし、子どもたちが、教室でVision Proを装着し、目の前に広がる月面を歩くような体験をしながらアポロ計画を学んでいたら──そんな未来の授業風景を想像したことはあるでしょうか?

Apple Vision Proを活用した教育の現場では、すでにこうした「没入型の学び」が一部で始まりつつあります。たとえば、理科の授業では火山の噴火が教室内にリアルに再現され、社会科では3Dで再構成された歴史的場面に入り込むような体験が提供される。生物の授業では、人体の臓器が空間に浮かび上がり、生徒が手を動かしてその構造を観察・分解できるといいます。

これらの体験は、ただ「楽しい」だけではなく、身体感覚を伴うことで理解の定着にも貢献する可能性があります。視覚・空間・操作といったマルチモーダルな刺激が重なることで、暗記型の学習とはまったく異なる知識獲得のプロセスが生まれているのです。

とはいえ、このような先進的な授業は、今のところ限られた環境にしか存在していません。では、どのような条件がこの“学びの格差”を生んでいるのでしょうか。

文部科学省による「令和5年度 教育の情報化実態調査」では、小中学校の1人1台端末の整備率はほぼ100%に達したと報告されています。これはGIGAスクール構想の大きな成果といえるでしょう。

しかし、端末があっても、それをフルに活用できるインフラが整っていなければ、“未来の授業”は実現しません。特に、Vision Proのように大量の映像データを扱う空間コンピューティングでは、安定した高速LAN(1Gbps以上)の整備が不可欠です。

現状、校内LANの高速化は全国平均で74.1%にとどまっており、次のような地域では半数以上の学校で高速LANが未整備のままです。

  • : 岩手県:36.1%
  • : 石川県:33.3%
  • : 高知県:39.6%
  • : 山口県:38.3%

この状況は、「学びの速度」がインフラによって地域ごとに分断されていることを示唆しています。

次に問われるのは、教員のICT活用指導力です。いくら機材や通信が整っていても、それを授業に取り入れ、効果的に運用できる人材がいなければ、宝の持ち腐れとなってしまいます。

文科省の調査では、校内でのICT研修受講率にも大きな地域差があることがわかっています。

校内研修の受講率(ICT活用のための研修)

  • : 奈良県:56.8%(全国最低)
  • : 大分県:99.6%(全国最高)

これは、「Vision Proを“使える環境”があるか」だけでなく、「使いこなせる教員がいるか」もまた、教育体験の質を左右する大きな要因であることを示しています。

このように、教育現場での格差は単なる「持つ/持たない」の二項対立ではなく、

  • ① インフラ(通信環境)の差
  • ② 教員スキルや研修体制の差
  • ③ 学習設計に対するビジョンや文化の差

といった、複数のレイヤーが重なり合って生まれている構造的なものです。

では、未来の教育は、どのようにすれば「より多くの子どもに届く体験」へと進化していけるのでしょうか。

端末を配るだけでも、ネット回線を高速化するだけでも不十分です。テクノロジーを“使いこなす人材”と、“活用を前提にしたカリキュラム”の両方が揃って初めて、教育格差の解消に近づくのではないでしょうか。

私たちは、「技術の公平な配分」だけでなく、「それを活かす文化と設計」についても、もっと深く考える必要があるのかもしれません。

家庭内にも存在する教育格差

もし自宅のリビングで、子どもがVision Proを装着し、まるで古代ローマの神殿を実際に歩いているかのように歴史を学ぶとしたら──そんな学びの未来を、あなたはどう感じるでしょうか。

Apple Vision Proは、家庭学習の在り方そのものにも変化をもたらそうとしています。地理や歴史、美術、科学といった分野において、教科書の文字や平面画像では届かなかった「身体感覚を伴う理解」が、日常の中で得られるようになるかもしれません。

しかし、そうした体験が誰にでも届くわけではありません。Vision Proの価格は約60万円。家庭で導入するには大きな投資を伴います。そして、そのデバイスを使いこなすには、保護者自身のITリテラシーや、教育に対する関心・支援力も問われます。

このように、教育における格差は学校だけでなく、家庭環境によっても生じています。以下の3つの観点で、その構造を整理できます:

  • ① 経済的ハードル:デバイス導入に必要な初期コストや保守費用の負担
  • ② 情報・支援格差:親のITスキルや、最新技術に関する知識・関心の有無
  • ③ 空間・時間的余裕:静かに学べる部屋があるか、付き添える時間があるか

たとえば、ある家庭では、子どもがVision Proを使って世界中の遺跡を“体感的に旅する”ような学習を行える一方で、別の家庭ではスマートフォンの共有すらままならず、映像や資料を見るだけで精一杯──そんな状況も珍しくありません。

従来もPCやタブレットの有無による格差は指摘されてきましたが、Vision Proのような空間体験型の技術は、

  • :「知識へのアクセス」だけでなく
  • :「学ぶ身体感覚」や「創造的な刺激」そのもの

に差を生じさせる点で、より深い層に格差を生み出す可能性があります。

教育とは本来、個々の子どもが自らの関心や能力に応じて自由に学びを広げていく営みのはずです。しかし、「家庭の経済力」が学びの起点を決定づける社会が、このまま静かに進行しているのだとすれば──私たちはどこかで、その構造と向き合う必要があるのではないでしょうか。

Vision Proが医療現場に与える深い変革

もし、手術を担当する医師が、事前に3Dで患部を確認しながら空間内でリハーサルできたとしたら──あるいは、患者が自宅にいながらリハビリや認知機能のトレーニングに取り組めたとしたら──それは私たちの医療体験をどう変えるでしょうか。

Apple Vision Proは、こうした「仮想空間を用いた医療支援」の可能性を現実のものにしつつあります。術前シミュレーション、リハビリ、インフォームド・コンセントの場面などで、3D空間を活用した試みが一部の医療機関で始まっています。

たとえば、ある病院では、複雑な脳外科手術の計画を立てる際、CTやMRIのデータをもとに、立体的な臓器モデルを空間上に展開。執刀医が自らの手で仮想の血管や腫瘍を確認しながら、術式のリハーサルを行う──そんな光景が現実になりつつあります。

リハビリの分野でも、患者が仮想の階段を上ったり、空間内で注意力やバランス感覚を養うようなプログラムが検討されています。これにより、身体の動きに即したトレーニングが可能となり、治療効果の向上が期待されます。

しかし、こうした取り組みが可能なのは、ごく一部の医療機関に限られているのが実情です。

導入に必要な機器費用、ソフトウェアの開発や維持、そしてなにより、それを活用できる医療スタッフのスキルや体制──。Vision Proのような先進機器は、都市部の大規模病院など、すでに高い医療資源を持つ機関に集中する傾向があります。

一方で、地方の中小規模病院や高齢者施設では、こうした技術を活用するためのインフラ・予算・人材がそろわず、「あっても使えない」状態にとどまってしまう可能性があります。

こうした構造を整理すると、以下のような“導入ハードル”が浮かび上がります:

  • ① 導入コスト:初期費用・運用コストが高額である
  • ② 技術人材:運用・活用できる医療スタッフが限定される
  • ③ 地域インフラ:通信環境やICT支援体制が不十分な地域も

つまり、Vision Proのような技術が「使えるか/使えないか」は、単に製品の性能の問題ではなく、地域・組織・制度という構造的な要因に左右されるのです。

このような状況下では、「空間コンピューティングにアクセスできる地域・機関」と「そうでない地域・機関」が、次第に明確な線引きを持ちはじめるかもしれません。

  • :テクノロジーが医療を“拡張する”地域
  • :テクノロジーから“取り残される”地域

本来、教育や医療は「すべての人に等しく保障されるべき社会基盤」であるはずです。それにもかかわらず、先端技術が「使える者に最適化される構造」で社会に実装されていくとすれば──私たちは、どこまでを市場に委ね、どこからを公共として守るべきなのでしょうか。

Vision Proが象徴するような空間コンピューティングの普及は、医療の現場にも新たな選択を迫っています。

それは単に「導入する/しない」ではなく、「技術によってどんな公共性を実現するのか」という問いへの向き合い方なのかもしれません。

教育や医療といった本来公共性が重視される領域において、テクノロジーの導入が格差の固定化に繋がらないためには、どのような社会的対応が求められるのか。次回は、この格差が生活の質(QOL)やウェルビーイングにどのように拡張していくのかを考えていきます。

【出典】令和5年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果(概要)【確定値】 (PDF:1.9MB)
【出典】NTTデータ関西「GIGAスクールの地域格差に関する実態と課題」