シンギュラリティの先へ──AIだけが見る、人類には見えない新しい次元
第5回 認識の限界と物理学の挑戦
並行宇宙、高次元空間、多世界解釈──現代物理学が示す宇宙の姿は、わたしたちの認識の枠組みを根底から揺るがす。SFや哲学、言語論と交差しながら、見えない多様性を知ることが思考の進化につながるのではないだろうか。
目次
思考の膜(ブレーン)を押し広げるもの
『ワープする宇宙』はゼロ年代の書籍なのだが、相対性理論、量子力学の誕生から最先端の超ひも理論など、20世紀から現代に至る物理学の進展を丁寧に解説し、現代物理学が直面する階層性問題──なぜ重力だけが他の力と比べて極端に弱いのか──の重要性について解説した後、自身が提唱した「ワープする余剰次元」理論を展開していく大部の書籍だ。
細かな章に分けられ、それぞれにポップミュージックの歌詞からとったエピグラフと、章の内容を寓話化したショートショートがついていて、読者フレンドリーなつくりだ。ショートショートは、『不思議の国のアリス』がモチーフになっており、それもまたわたしに認識の問題を考えさせる。
今回、ここまで難解な書籍を門外漢のわたしが紹介する気になったのは、SF映画の名作との関係もさることながら、わが「web IT批評」の寄稿者である松下安武氏の『並行宇宙は実在するか この世界について知りうる限界を探る』(野村泰紀監修/みすず書房)を読んだからだ。
ランドールの書籍から20年近く経過した現在の最先端の宇宙論に触れることができる。ランドールの宇宙観と並行宇宙を並べてみれば、『並行宇宙は実在するか』は高次元空間(バルク)のなかにブレーンが存在しうるという理論的枠組みのうえに展開される。「ブレーンワールド(ブレーン宇宙論)」をもとにした、わたしたちの三次元宇宙は高次元空間に浮いた膜のような存在であり、並行宇宙ではこの膜が複数あることになるのだ。並行宇宙には、宇宙が誕生から指数関数的に膨張するというインフレーション理論から派生した泡宇宙という考え方もある。泡のように無数に宇宙が独立して点在しているというわけだ。
ランドールの書籍の頃にはそれへの期待が熱く語られていた、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が完成しその成果から論じる『並行宇宙は実在するか』には興味深い話が尽きない。サブタイトルにあるように、「この世界について知りうる限界」に挑む内容なのだ。わたしには理解が追いつかない箇所も多く、おのれの知力を呪うばかりだが、その「限界」とはこれまで述べてきた認識のフレームと同じだと考えている。
これ以上、詳細を語る能力はないのだが、一箇所だけ大きな驚きがあったところを引用したい。
量子力学の多世界解釈と、永久インフレーションに基づく「宇宙は無数に存在する」と考えるマルチバース宇宙論は一見よく似ているように思えるが、これまではまったく別々のものだと考えられてきた。しかし近年、両者を結びつける新しい考え方が注目を集めている。
マルチバース宇宙と並行宇宙の意味するものは厳密には違う。乱暴に言えば、多元的に存在するマルチバースという概念のなかで、独立した宇宙がパラレルにあるというのが並行宇宙論だ。
そのうえで、量子力学でいう多世界解釈とはわたしたちが認識する現実は、数多く分岐した世界のひとつに過ぎないという考え方だ。観測によって状況が収縮して決定される現実は、その観測ごとに分岐して別の現実に進行していくということだ。
『並行宇宙は実在するか』の引用部分を読んだとき、実はわたしは意外な気がした。むしろ多世界解釈という概念が、マルチバース宇宙論のヒントになっているとすら誤解していたからだ。知らないということの短絡は、ありえないものを結びつけることもある。しかし、それが最先端では結びつくという考え方も登場しているという。なんともSF的な話だし、わたしたちの認識のフレームを内側から強く押してくれるような気がする。
リサ・ランドール (著)
ムコウヤマ シンジ, シオバラ ミチオ (写真)
向山 信治 (翻訳)
NHK出版
松下安武 (著)
野村泰紀 (監修)
みすず書房
見えない多様性が日常のなかに織り込まれている
サピア=ウォーフ仮説は、使う言語が現実認識をかたちづくるという理論であった。言語が異なれば、世界の切り取り方や概念の形成も異なり、現実そのものの見え方が変わる。AIや異星人、余剰次元や並行宇宙の理論が示すのは、認識の枠組みが変われば、現実そのものの輪郭が変わるという事実だ。 たとえば、AIが人間にはない意味空間や世界モデルを持つようになれば、人間の現実認識もAIとの対話を通じて変化していくだろう。
本論は、書き始めた当初はマルクス・ガブリエルの新刊に触れるつもりだった。しかし、紙幅が尽きてきたようだ。それは次回に譲りたいのだが、少しだけ先取りすれば、サピア=ウォーフ仮説の観点から、西洋思想と東洋思想における認識の違いを述べようとしていたのだ。
ここでの記事でなんども述べてきたように、西洋思想と東洋思想の違いはAIを代表とするテクノロジーという現代的なテーマとも深く響き合い、多様な世界観が共存する社会への考えを深めてくれる。
多様な認識と世界観は、もうすこしミクロななかにも織り込まれている。あたかも余剰次元のように、わたしたちの多くには見えない多様性が日常のなかに織り込まれている。
その多様性を知ることが、もっとも早くわたしたちの認識を進化させるものかもしれない。(了)

