日本大学文理学部 情報科学科准教授・大澤 正彦氏に聞く
第1回 ドラえもん創造の哲学:擬人化と相互適応で立ち上がるAI

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

ドラえもんは一元的に定義できない

大澤先生がドラえもんをつくれるかもしれないという実感を伴って、外にも言えるようになったのはいつぐらいなんですか。

大澤 2014年にふたつの大きな出来事がありました。ひとつは大学4年生になって研究室に配属されて、今まで知らなかった研究という概念を知ったんですね。研究というのはロジックの力で世の中になかったものを出していく、示していくというものだと思うんです。そこで、研究の世界観というかお作法を知っていくなかで、このやり方でドラえもんがつくれるということを示せるな、と確信しました。

もうひとつの理由はなんでしょう。

大澤 大きかったのが、仲間に出会えたことです。研究をやりながら、人工知能を中心としたコミュニティーをつくっていって、そのときになんかこの人たちと一緒にやっていけばできるんじゃないかと思いました。夢を一緒に追いかけられるような仲間ができたんですね。

それが「全脳アーキテクチャ若手の会」1ですね。

大澤 そうです。これから30年かけてドラえもんをつくっていくぞと決心をしたのが2014年でした。

自分がつくりたかったものが何なのかという定義をこの時期にされたということですか。

大澤 まだそこまで行ってないですね。2014年に研究に飛び込んで、それから6年経って、2020年に出した博士論文でやっとドラえもんの定義を決めたんですよね。その間は試行錯誤で、最初は思い出を記憶ができたらいいのかとか、友達になれればいいのかとか、感情ができればいいのかとか、疑って振り返ることを繰り返しやってきたときに、ドラえもんは定義できないということに気がついたんです。

頭が硬い?耳をつける?──キャラクター像の多様性

定義できないとはどういうことですか。

大澤 例えば、ドラえもんの頭は硬いか柔らかいか聞くとみんな意見が分かれて、Twitterで訊いたら6割が硬い、4割が柔らかいって答えたりとか、アメリカにいるドラえもんをつくりたい小学生の女の子が会いに来てくれたことがあるんですけど、「ドラえもんに耳をつけてほしいの」って言われたんです。「だってかじられてなくなっちゃったんだからかわいそうじゃん」と。必ずしも耳がない姿だけがドラえもんではないわけです。

各人のなかでのドラえもん像が違うわけですね。

大澤 世界中のあらゆる世代からドラえもんは愛されているから、みんなの統一見解がないんですよ。ドラえもんであるものとドラえもんじゃないものの線を客観的に引くのは無理だと悟りました。

「みんなに認められる」こと自体がドラえもんの定義

そうなるとドラえもんを定義することができなくなる。

大澤 じゃあ、世界中のみんなに認めてもらえるドラえもんとはなんだろうと考えたときに、世界中に認めてもらえること自体が定義じゃないかというふうに発想を転換して、研究自体もどうすればみんなに認めてもらえる存在をつくれるのかを考えていくようになりました。

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