日本大学文理学部 情報科学科准教授・大澤 正彦氏に聞く
第1回 ドラえもん創造の哲学:擬人化と相互適応で立ち上がるAI

「ドラえもんが嫌いだった」。そう語る大澤氏の胸の内には、幼い頃から抱きつづけた“本気でドラえもんをつくりたい”という切実な願いがあった。やがて人工知能研究の世界へと進み「ドラえもんをつくる」という夢は現実味を帯びはじめるが、その過程で大澤氏が辿り着いたのは、「ドラえもんは一元的に定義できない」という答えだった。

大澤 正彦(おおさわ まさひこ)
日本大学 文理学部 情報科学科准教授。次世代社会研究センター(RINGS)センター長。博士(工学)。
1993年生まれ。東京工業大学附属高校、慶應義塾大学理工学部をいずれも首席で卒業。学部時代に設立した「全脳アーキテクチャ若手の会」が2,600人規模に成長し、日本最大級の人工知能コミュニティに発展。IEEE CIS-JP Young Researcher Award (最年少記録)をはじめ受賞歴多数。新聞、webを中心にメディア掲載多数。孫正義氏により選ばれた異能をもつ若手として孫正義育英財団会員に選抜。認知科学会にて認知科学若手の会を設立、2020年3月まで代表。著書に『ドラえもんを本気でつくる(PHP新書)』。
目次
- 切実だったドラえもんへの思い
- 幼少期からの“嫌い”と“つくりたい”という二律背反
- 工業高校からコンピュータへ──つくりたいを追う道
- ドラえもんは一元的に定義できない
- 頭が硬い?耳をつける?──キャラクター像の多様性
- 「みんなに認められる」こと自体がドラえもんの定義
- 人とAIが互いに歩み寄る「相互適応」という考え方
- 対話ではなく“横の関係”から生まれる心のかたち
- 歩み寄りの先に立ち上がる、新しいヒューマンエージェント像
切実だったドラえもんへの思い
幼少期からの“嫌い”と“つくりたい”という二律背反
桐原永叔(IT批評編集長、以下――)大澤先生はいつぐらいからドラえもんをつくろうと思いはじめたのですか。
大澤正彦氏(以下大澤)物心ついたときには、もうドラえもんが嫌いだったんですよ。なぜかというと、自分でドラえもんをつくりたいという思いが強すぎたからです。自分がそれをできるという実力を示す術もないし、誰かに喋っても本気にしてもらえないことが続いて、ドラえもんは僕にとって長いあいだ、劣等感の象徴みたいな感じだったんですね。ドラえもんを見るとお前は無力だっていうのを言われているような感じがしていました。映画もしばらく見ていませんでした。
それは本気さがうかがえるエピソードですね。切実な思いを感じます。
大澤 本気でつくりたかったせいで、逆に酸っぱいブドウじゃないですけど、嫌いになってしまった。母のメモでは2歳のときには「ドラえもん」って言っていたらしいです。小学生のときにはもうロボットはつくったりしていました。小学校4年生のときに、母に勧められて、大学が主催しているロボットセミナーとかに通いはじめたんです。
工業高校からコンピュータへ──つくりたいを追う道
高校は工業高校に進まれますが、進路の選び方として、ドラえもんをつくることが念頭にあったのですか。
大澤 そうです。勉強しにいくというよりは、ドラえもんづくりがやりたいという理由で工業高校を選びました。
高校のときにプログラムに出会われると。
大澤 機械工学のクラスがあったので、そこに行こうと思っていたんですけど、体験入学の抽選でロボットの枠がいっぱいで、コンピュータのクラスの体験授業に行ったら、つくりたいドラえもんのイメージは、むしろこっちに近いかもしれないと思って、シフトしました。体験授業自体はプログラミングではなく電子回路の作成だったのですが、そのときに先生が、コンピュータと聞いてパソコンを思い浮かべるかもしれないけど、みんなが持っている携帯だってコンピュータだし、あれもこれも全部コンピュータなんだよ、ロボットにもコンピュータが入っているんだよという話をされていて、そこで自分はロボットの体以上に、頭の部分に興味があるなと気がついたんですね。
なるほど。ロボットづくりからコンピュータへと転換したんですね。
大澤 僕自身は、小学生のときからロボットをつくっていたのですが、父に秋葉原に連れていってもらって、電子工作キットとかを買ってもらってつくりはじめたら、ロボットの筐体をつくるよりも、そっちのほうが楽しくて、高校に入ったら全然知らなかったプログラミングという概念を突きつけられて、やらなきゃみたいな感じになりました。