私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い
第3回 デネットにおける明晰な意識と曖昧な自由意志
自由意志を語るデネットの歯切れの悪さ
快刀乱麻を断つようなデネットであるが、自由意志をめぐる見解になると途端に歯切れが悪くなる。
それは彼が、人間は物理的に設計されておりコントロールを超えた自由意志を持ち得ないとする決定論に基づく帰結主義と、人間が自分の行為を決めることができ、その自由意志に基づいてなされた行為については責任を負うべきだというリバタリアニズムとの双方が成立するという両立論のスタンスをとるからである。
人間において、物質的な存在としての側面は認めつつも、自由な行為者としての責任も求めるべきとする立場は、特に理系/文系という教育課程に慣れている私たちにとっては観点の違いとして受け入れやすいものではある。
しかし、意識を工学的に解説してみせたデネットが、こと自由意志については折衷的な態度をとるのは、どこか煮えきらない。
以下では、デネットの著作における自由意志の取り扱いについて整理してみたい。
『自由の余地』(戸田山和久訳/名古屋大学出版会)では、物理的な存在を超えたものは存在しないという世界観と、人間が自由意志を持ちうるという両者において、穏当な理路が描かれている。
それは、かつて人文科学的に論じられていた自由で合理的な人間観に、自然主義的展開に基づく前者の物理的存在としての人間という視点が付け加えられたとする通史的な観点である。
その上でデネットは、物理的次元から演繹的に合理的次元を導出するのではなく、両者の関係を理解することが哲学の仕事だとする。つまり両者のレベルは異なるのだから、どちらもリアルだということだ。
この2階建ての理論において、両立論については納得的な平定を得たようにみえる。
しかし、デネットは哲学者として、物理的な概念から合理的な概念を演繹的に導出することをナンセンスとしながらも、物理的な私たちがいかに合理的かつ自由な責任主体となったのかを理解することは必要だとして、帰結主義と非帰結主義との連関をさぐることとなる。
次節では、『自由は進化する』(山形浩生訳/NTT出版)と『自由意志対話:自由・責任・報い』(木島泰三訳/青土社)の2書における、デネットの自由意志の議論をまとめたうえで、次の話題へとスイッチしたい。
ダニエル・C・デネット (著)
戸田山 和久 (翻訳)
名古屋大学出版会
ISBN:978-4815809966
ダニエル・C・デネット (著)
山形 浩生 (翻訳)
NTT出版
ISBN:978-4757160125
ダニエル・C・デネット, グレッグ・D・カルーゾー (著)
木島泰三 (翻訳)
青土社
ISBN:978-47917752


