iU(情報経営イノベーション専門職大学)学長・中村伊知哉氏に聞く
第4回 コンテンツから見た日本の大学の課題

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

通信放送行政を守って郵政省を去る

郵政省の後、1998年にMITのメディアラボに行かれます。どのような経緯だったのでしょうか。

中村 橋本龍太郎内閣のいわゆる行革(行政改革)の省庁再編で辞めました。97年に行革会議がありまして、そこで出てきたのは郵政省つぶしなんです。いろんな省庁を再編して、大蔵省を財務省と金融庁にしましょうとか、建設省と運輸省を一緒にして国交省つくりましょうとか、労働省と厚生省一緒にして厚労省をつくりましょうとなったのですが、結局郵政省だけは潰そうと。つまり郵便、貯金、保険を政府の外に出す。通信放送も独立委員会として政府の外に出すという話なんです。そのアイデアが官邸から出てきた時に、僕は担当補佐をやっていたのですが、郵便局はともかく、通信放送行政を政府の外に出すのはやばいと思ったので、反旗を翻したというか反対運動を起こしました。



反対された理由は何だったのですか。

中村 通信放送行政って、要するに電波を認可するとかNTTを監督するとか、そういう仕事です。それを政府の外に出すと勝手なことをするのは目に見えているわけです。これで政治家に何の根回しもいらなくなって、勝手に規制できてしまう。フランスでは、テレビ局が政治的に公平ではない番組をやったら即打ち切りです。日本ではそんなことはできないし、やったことがない。だけど、政府の外に出したらできるようになります。何の根回しもいらないし、これって憲法違反じゃないですよねって、内閣法制局に問い合わせる必要もなくなります。例えば、オウム事件の時にTBSがオウムに取材ビデオを見せたということで大問題になりました。放送法違反で電波差し止めじゃないかみたいな議論になったんですけど、結局、憲法が保障する報道の自由や表現の自由とリンクするから、放送法や電波法で決められる話ではなくて、憲法との関係でどうなのか整理しなければいけない。内閣法制局に行って憲法担当者と議論して、郵政省にできるのは厳重注意までとなりました。

独立したら、たがが外れてしまうということですね。

中村 憲法解釈とは関係なく電波の打ち切りができてしまうのはダメだろうというのが僕の心配していたことで、外に出すのはやめて政府のなかに入れましょうという運動をやって、最後は野中広務さんと橋本龍太郎さんが談判して、総務省のなかに残すことで決着したんです。結局、官僚のくせに政権に楯突いたわけだから、誰かが責任取らなきゃいけないので、僕が辞めましたという話です。

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