勅使川原 真衣氏に聞く
第1回 問いつづける子どもたちへ 教育社会学に魅せられた理由

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

適応は上手だけど問題提起ができないエリート

先生にはどういう質問をされていたんですか。

勅使川原 みんなでこれやりましょうって言われたときに、どうしてそれなんですか? 他の選択肢はなかったんですか?、とか。嫌ですよね、そういう子がいたら。

わたしも小さいときにエジソンの自伝を読んで、質問する子が天才だと思っていたから、質問をいっぱいしていたら、しまいにはあんまり相手にされなくなった経験があります。中学生ぐらいのときに寺山修司の「私は偉大な質問になりたい」(歌集『田園に死す』)というのを読んで多少すくいにはなりましたが。世の中には、それで苦しんでいる子どもたちってたくさんいますよね。何の悪意もないし、むしろ善意とか誠実さが問いになって表出されている。

勅使川原 今まさに自分の息子が小学6年生で、カエルの子はカエルなんで、息子もいらんこと聞いてくるって先生から電話が来るんですよね。12月に『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』という本が出るので、そこにいろいろ書きました。

問題を出されて、それについて答えるというコミュニケーションが、学校での基本スタイルだとすると、その基本に乗っからない問いがコミュニケーションを混乱させて、真面目な人ほど困るということなのかと思いました。

勅使川原 おっしゃる通りですね。今、学歴エリートと呼ばれる人って、問いを自分では持たなくて、与えられた問いに対して正確に早く答えることでのし上がってきた人たちなので、わたしは「これでいいのかな?」って思います。

解答欄つきの問題で世の中ができていると思う人がいるじゃないですか。企業の研修でよくケーススタディがあるんですが、「この会社の何が問題ですか? 課題を教えてもらったらやります」と言うんですね。ケーススタディから課題を発見するのがポイントだということには思い至らない。

勅使川原 本当にそうですね。適応は上手なんですけど、問題提起ができないという人、結構多いなっていう印象はあります。

先取りして言ってしまうと、世の中自体がある程度、解答欄を設けることで機能を高めようとしているから、そういう人たちは生きやすいようにできているかもしれません。

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