科学者たちの複雑な心理を考える
映画『オッペンハイマー』をめぐって
日本の原爆研究と国際的な競争の歴史
『原子爆弾の誕生』を日本人が読んで面白いのは、量子力学の発展時期、原爆の開発競争の時期など、折にふれて日本の研究について詳細に論じられるところだ。ドイツは量子力学のひとつの中心地であったし、アメリカやイギリスが恐れたように原子爆弾開発の可能性が非常に高かったから、それなりにページを割かれるのは当然かもしれないが、日本の状況は当時、それほど注目されていなかった。戦後は原子爆弾の被害を受けた国としての認識が強すぎて、世界でももっとも早い段階で原子爆弾の研究開発に臨んでいたことは日本人ですら忘れている。
量子力学の入門書や研究にまつわる歴史書でもさほど触れられることがないとはいえ、土星型の原子モデルをボーア以前に提唱した東京帝国大学教授・長岡半太郎や戦時中の原子爆弾研究で言及される理化学研究所の仁科芳雄は『原子爆弾の誕生』を読む以前からわたしも知っていた。しかし水爆の原理を発案していた京大の萩原篤太郎についてはこの本で初めて知った──のちに著者のローズの誤認であることが指摘されている──。
戦中の日本の原爆研究については、陸軍航空本部が主導した理研の仁科研究所の「二号研究」と、海軍艦政本部が指揮した京大の荒勝文策の研究室のものがある。リードしていたのは、理研の仁科研究所でサイクロトロンを建造し粒子を加速し核反応実験を行なっていたが、ルメイが指揮した東京大空襲で焼失した。当時、反目していた陸軍と海軍の原爆開発のそれぞれの動きはノンフィクション作家の保阪正康が書いた『衝撃の戦時秘話 原子爆弾完成を急げ』(朝日ソノラマ)で丁寧に描かれる。原子爆弾の完成は、ヨーロッパの名だたる物理学者たちも簡単ではないと認識しており、それは日本でも同様であった。ボーアも当初は国をまるごと工場にしても完成には数年かかると述べたとされている。仁科ら日本の研究者はいくらアメリカでも第二次世界大戦中に原子爆弾を開発することはできないと考えていた。
ところがアメリカはそれこそ国をひとつの工場にするかのような実行力で、短期間で完成させてしまう──もっともトリニティ実験が成功したのは広島への投下の10日ほど前だが──。
広島への原爆投下を目の当たりにした軍部は本書のタイトルのとおり仁科に原子爆弾を急いでつくるように指示したが、すべてを失った日本の研究者にはどうあっても不可能なことだった。
もうひとつ面白い史実を知れるのは五島勉の『究極の終戦秘史日本・原爆開発の真実: その戦慄の破壊力と昭和天皇の決断』(祥伝社)だ。日本ではウラン(U-238)さえ採掘できず、核分裂を起こすウラン235(U-235)はさらに貴重な物資であった。これをナチスドイツからUボートを使って持ち込む計画があった。この計画はアメリカ軍が傍受するところとなり、シンガポール沖でウラン235(U-235)運搬中のUボートは捕獲されてしまう。アメリカ軍の最上層部は日本宛の積荷がウラン235(U-235)であることを知って驚愕する。日本でも原爆開発が行われていることを知ったからだ。アメリカ軍は詳細に日本の開発状況をつかみ、日本がウランの代わりに使用を考えていたトリウムの採掘場である福島県石川町を爆撃している。東京大空襲で理研が狙われたのと同じ時期だと、五島勉はこの本で述べる。このあたりの諜報活動についても興味深いのだが、史実としてどこまで信頼に足るかはわからない。
保阪 正康 (著)
朝日ソノラマ
ISBN:978-4257050353
究極の終戦秘史日本・原爆開発の真実: その戦慄の破壊力と昭和天皇の決断
五島 勉 (著)
祥伝社
ISBN:978-4396104214

