新しい「大きな物語」のために
ヒューマニズムを更新する試み

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著者 桐原 永叔
IT批評編集長

テクノロジーの生態系

ビッグヒストリーと言った。近年、よく耳にするようになったワードに「人新世」というものがある。これは、生態学者らが2000年代初頭から提唱しはじめた概念で地質学の知見に由来するが、学術的に十分な根拠のある概念ではない。その証拠に、人新世の開始年代についても数千年の開きがあり諸説あるのだ。産業革命とする説ならまだしも理解しやすいのだが、新石器革命まで遡る説や人口が爆発的に拡大した第二次世界大戦後とする説まであるとやや混乱する。

説明が遅れたが人新世とは完新世という氷河期後1万7000年にわたった地質時代につづく、人類が地球の地質や天候に大きな爪痕を残すようになった時代を指している。わたしたち人類が「大いなる加速」を遂げながら自然環境を変質させ、生態系を変化させてしまった、その多大な影響は数千年後でさえ地質に表れるものだ。たとえば放射能の半減期はセシウム137でやっと30年ほどだが、プルトニウム239で2万4000年、ウラン235で7億年かかる。核分裂を起こし原子力発電の燃料として使用されるのがプルトニウム239やウラン235である。このプルトニウム239などは人工由来の元素で、人類がいなければ存在しない、人新世を象徴する元素だ。

これらの元素の半減期をみれば、原子力爆弾、核実験、原子力発電所事故の爪痕は地質年代でさえ短く感じるほど残る。とても人類史で扱えるものでさえない。

無論、原子力だけではない。大量生産、大量消費を促し爆発的に人口が増加し、それぞれが消費に励む高度な資本主義社会の爪痕は、CO₂が増大し海面温度を上昇させ天候を変えていき地球環境に大きな影響を与える。資本主義の目的である成長は、環境から資源を吸いあげることで実現されるからだ。

人新世を検討するうえで持ち出されるのはもちろん地質学が多いのだが、自然と人間との関係という意味では生態学からの論点も多く、これが非常に面白い。『人新世の科学?ニュー・エコロジーがひらく地平』(オズワルド・シュミッツ著/日浦勉訳/岩波新書)では、「自然を飼い馴らす」という表現がでてくるがまさに生態系を改変しながら人が自然を取り入れっていった様こそ人新世を表す出来事だろう。

人新世では、同時に社会経済的な論点が多く論じられる。当然だ。先にみたように高度に発達する資本主義社会の影響力が最も大きく地球環境を改変しているからだ。

『人新世の科学』には次のような一節がある。

産業生態学は、社会が過去の技術基盤の上に構築され、新しい技術を進歩させているという単純な事実から始まる。それは、社会が技術に頼らず自己を維持したり、向上させたりすることはできないことを示している。〈中略〉基本的には、産業と社会が、生産者、消費者、分解者の連鎖を含む循環型経済の不可欠な役者であることを新しく定義することを意味するのだ。

『人新世の科学』

生産者、消費者につづいて分解者が登場するのがいかにも生態学だ。たとえば食物連鎖を考えれば、草食動物を食べる肉食動物がおり、その肉食動物の死骸を分解する微生物がおりその分解された死骸を栄養に植物が育ち、植物は日光とCO₂で光合成して酸素を生むという循環こそ生態系の代表だ。

これが産業生態学になると、生産者がいて消費者がいて、資源採取や生産物活用のための環境がある。この場合、分解とは大義ではリサイクルを指す。こうした循環可能な社会をつくろうというのがエコロジーの目的である。

産業に生態系があるように、テクノロジーにも生態系がある。たとえば、前回の記事で取り上げたようにムーアの法則に代表されるハードウェアの進化なくしてAIの進化はなかったというのもそうだ。第3次AIブームの発現を例にとっても、多様な環境変化がみてとれる。ニューラルネットワークのコンセプト(情報)そのものは、1980年代にはあったものだがこれを実現するにはコンピューティングのパワーがなかった。ムーアの法則に従って半導体が進化すると、ようやくニューラルネットワークは実態をもちはじめる。同時にインターネットの長足の発達と、スマートフォンの爆発的な普及によって、プロシューマーと化した人類は画像などのデータを消費しながら同時にせっせと生産する。ほかにも各種のセンサーが社会に浸透してさまざまなデータを収集し、それをクラウドの普及によって簡易に収集蓄積できるような環境ができ、指数関数的な発達を遂げたコンピューティングパワーが揃ったことで、AIは大いなる加速をみせた。この総体はAIの進化にとって快適な環境であり、テクノロジーの生態系(エコシステム)と考えるのがわかりやすい。

進化と生態学的プロセスは相互に強化された(別個のものではない)過程である。その全体を考慮して、生態進化ゲームとみなすことができる。

『人新世の科学』

こう『人新世の科学』にもあるが、わたしはこの「生態進化ゲーム」が梅棹のいう遷移に相当するものだと考えている。

ひとつ重要なのは、80年代に登場していたニューラルネットワークのコンセプトが廃れずに保たれていたことだ。実現しないコンセプトは一見すると無駄なものとして排除されそうだが、そうではなくて細々とでもコンセプト(情報)を伝達しつづけたことで、主役として登場しなおすことができたのだ。生物の生態学においても、こうした多様性(あるいは冗長性)は非常に重要なものである。個体の違いを補い異なる環境変化に対応できるようになるからだ。進化とはこのようにして機能的な多様性を維持させる方向に遷移する。

だから、生物学では人類に有害とされるウィルスでも撲滅は目指さない。人間からみて有害だからと排除すれば、自然界から選択肢がひとつ失われ、それがどのような影響をもつかは私たちにはわからないからだ。人類が撲滅したのは天然痘ウィルスだけだが、これについても多くの反省が聞かれる。

余談だが、生成AIの発達のトリガーとなったGAN(敵対的生成ネットワーク)という、生成AIと識別AIを競わせることで教師なしで精度を向上させる手法なども、生態学でいうところの二項対立的な相補性による環境変化への対応力のプロセスに似ているように感じている。

人新世の科学 ニュー・エコロジーがひらく地平
オズワルド・シュミッツ 著 , 日浦 勉 訳
岩波新書
ISBN9784004319221


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