「沈黙」を知らないChatGPT
紋切り型と記号接地問題

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

意味の発見

怒りの言葉をChatGPTが吐くことできるか?

カール・クラウスや宮武外骨の代わりをAIが担える期待は現状ではまったく薄い。なんとなれば、ここ数回、繰り返してのべてきたようにChatGPTを代表とする自然言語処理AIは主にネット上にあふれる言葉の集合を収集して学習しているからだ。ネット上にあふれる言葉の集合に果たしてカール・クラウスや宮武外骨の舌鋒などみつかりようもないだろう。ネットにあふれているのはむしろ安っぽい言論のほうだ。そうなれば、自然言語処理AIは表すのは煎じ詰めた紋切り型でしかない。紋切り型を操ればあやつるほど、ChatGPTは人間っぽく見えるだろう。

もうひとつ、言葉と身体性の問題も思い出しておきたい。怒りや笑いは、身体的な──言い換えれば生理的な──現象であり、身体のない怒りや笑いにはとうぜん“中身”がない。

言葉の身体性について話題の本がある。ベストセラーの予感をさせるそれは『

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したのか』(今井むつみ、秋田喜美著/中公新書)だ。言語学者と認知学者の共著である。

私の興味はもちろん言語にあったのだが、現代においてこの分野を論じるとすれば、やはりAIの問題を避けられない。それどころか、本書は「記号接地問題」を通じてAIと人間の言語取得についてページを割いている。AIに興味の薄い読者であってもオノマトペがいかに言語取得に大きな意義があるかは知的な興奮を誘う。

さて、では記号接地問題とはなにか? それは認知科学における最大の未解決問題とされる。言葉という記号が意味をもつのは個々の経験や知覚を通じた“発見”からである。とすれば、経験や知覚という身体性がなければ記号(言葉)は意味(身体)に接地しない。

ある単語の意味を調べる。辞書にある単語の意味を説明するのは、また別の単語だ。じゃあ、その単語の意味は?……。言葉の意味を追求すれば、どこまでも記号で記号を説明するような事態に陥る。認知科学者スティーブン・ハルナッドはこうした事態を「記号のメリーゴーラウンド」と呼んだ。

例のジョン・サールの「中国語の部屋」を想起したら、記号接地問題がAIにとってどんなに重要なのかがわかる。小部屋のなかのイギリス人は与えられた札に書かれた中国語を意味する英単語をマニュアルに従って選び取るだけで、中国語そのものを理解しているわけではないというあれだ。中国語の部屋では単語が意味に接地しないのだ。

著者たちは、AIの自然言語処理につらなる認知科学の歴史を大きく三つのムーブメントに分けている。

ひとつはアメリカのAI学者が行ったプロジェクトだ。人間の知識をすべて記録、分類するデータベースを構築することで言語を操るAIをつくりだそうとした。しかし、人間のように言語を操る機械は誕生しなかった。

つぎに起きたのが、「昆虫ロボット」プロジェクトだ。これは最初の巨大なデータベース構築へのアンチテーゼとして、AIに身体を与えるというコンセプトである。言語に身体性をもたせる。ロボットをつくるというわけだ。自然言語処理にとって大きな前進であったこのプロジェクトも結局のところ、人間のような言語能力の取得には発展しなかった。

そしてその後、認知科学の分野で提唱されたのが「PDP(Parallel Distributed Processing)モデル」だ。人間の脳細胞(ニューラル)を再現することで、AIによる自然な言語処理を実現しようとした。ニューラルをモチーフにした点では「昆虫ロボット」プロジェクトの身体性を引き継いだものといえる。このプロジェクトは1980年代後半にスタートしたが、長らくの停滞の後、前々回の記事にも登場したジェフリー・ヒントンがディープラーニングを生み出したことで、今日のChatGPTに連なる発展を遂げた。

言葉はどこまでも身体性から分離することはできない。そして言葉に身体を得るとは前回でも述べたようにアスペクト変化を起こすこと、つまり“発見”することだ。ここで問題なのが、ChatGPTはこうした“発見”なしに、つまりは「記号のメリーゴーラウンド」に乗ったままにして、知識を拡大している点だ。ChatGPTは発見なしに学習をつづける。著者たちも指摘しているように、この学習はデータの質に左右されてしまう。発見がないからだ。自立して意味を生み出すことができないのだから、与えられるものを無作為に扱うことしかできないのだ。

人とAIの違いは身体性であるが、その最も重要なのが発見という体験なのだと考える。

著者たちは子どもたちの言語習得に絡めて次のようにいう。

子供が言語を学ぶということは、単に単語の音とその単語が表す対象の対応づけを覚えるということではない。言語を成り立たせているさまざまな仕組みを自分で発見し、発見したことを使って自分で意味を作っていく方法を覚えることである。

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したのか』

本書の重要なモチーフであるオノマトペはここで言語習得と連携してくる。体感的で身体的な言葉であるオノマトペこそ意味の発見を促すものだし、言語取得の重要な契機になっている。さらに著者たちは「ブートストラッピング・サイクル」という仮説推論の積み重ねによる意味の発見(記号接地)を論じている。誤りを踏まえ、論理的には粗雑なアブダクション推論という人間ならではの知的な能力が、動物にはできない意味の発見、取得の源であるというのだ。

子どもにとって言語がそういうものであるなら、それは大人たち、言論人、インテリにとっても言語を操るとは、意味の発見と発明であるはずだ。それは詩的な行為でなければならない。

優れた文学が私たちを救いうるのは意味の発見と発明が私たちの足元を照らすからだ。この閉塞感から抜け出すには怒りの言葉をもう一度、発見、発明せねばならない。

このどうしようもない現実に、ちゃんと怒れるように。

そして世界をつくり直せるように。

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