玉川大学文学部名誉教授 岡本裕一朗氏に聞く
(3)本当のポスト・モダンはこれから到来する
「道徳的に正しい」が正しくなくなる?
桐原 「IT批評」の連載に書いたのですが、サッカーワールドカップの「三苫の 1 ミリ」のVAR判定が勝敗を分けたようなことが多方面で行われると、人間の判断よりAIの判断を重視する傾向も高まると考えられます。そのなかで、実存主義的なヒューマニズムの立場はどうなるとお考えですか。
岡本 知性への信頼がAIに委ねられるようになると、残り得るのはこれまで哲学が重視してこなかった感性や身体についての思想になります。
桐原 ワールドカップのVAR判定は、数学的に正しいジャッジを私たちにもたらしました。しかし多くのサッカーファンが、それでは面白くないと言っています。スポーツの美学が損なわれるというロマン主義な批判については私も理解できます。一方、機械のほうが間違っているという主張もあり、そこには違和感をおぼえました。
岡本 それは「正しい/間違い」の定義が違うのだと思います。
桐原 元サッカー選手が「道徳的に正しくない」と主張していたのが印象的でした。
岡本 その意味での正しさは懐古的なものとしては成立します。ただし「道徳的」や「倫理的」とはなにかを定義するのは難しい。さきほどの遺伝子操作ベビーについても、専門家は「倫理的に正しくない」と非難します。しかし倫理的ということの定義はされていない。どうして倫理的なのか、なにが道徳的なのかという定義がされていない曖昧な概念を合理的根拠に持ち込むのは不適切だと思います。
桐原 1977年に起きた日本赤軍によるダッカハイジャック事件のときに、当時の福田赳夫総理が「人命は地球より重い」と超法規的措置としてテロリストの釈放を受け入れました。当時は道徳的な、ヒューマニズムに基づいた言葉として受け入れられましたが、今の私たちからするとテロリストの要求を無批判に受け入れることが正しいとは思えません。
岡本 だれもが共有する情緒として、そこに訴えれば解決するという図式も残っています。味方の人質 10 人を救出するために、200 人以上の犠牲をはらうような物語を映画化すると感動的名作として称賛されるというのは、そのような部分かもしれません。
桐原 「トロッコ問題」そのものですね。