京都大学大学院経済学研究科教授 依田高典氏に聞く
(3)モラル・サイエンスを支える「エビデンス経済学」

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

“諦めムード”の中で精神主義に陥らない批判的思考を

学部生時代、依田先生もよく伊東先生に論争を挑まれていたそうですが。

依田 もともとは、目の前にあるものをぶち壊したい、批判したいという若者にありがちな反抗心や反権威精神だったと思いますよ。私の場合は、従来の経済学に対する反感が合理性批判となり、ケインズの不確実性の考え方を手掛かりにしながら主流派経済学を批判していくなかで行動経済学と出会った、というのが率直なところだと感じます。反抗反発していくなかで自分の方法論や手法を模索して、自分の考えをまとめることができるようになってきました。そこから学問成果として表現できるようになりましたね。

映画から階級闘争やレジスタンスに思いを馳せていた青年期のパッションが、いまも先生の奥底にあるようにもお見受けできます。

依田 若いころは経済学がどうしたという狭いことは考えていませんでしたし、いまでも考えていません。機械学習を通じて、他の学問分野から深く学ぶべきところが多々あります。もっといえば、古典ニュートン力学の完成した「ラプラスの悪魔」的な決定論が 19 世紀科学だとすると、それが破綻していくのが 20 世紀科学です。その時代精神を表現したのがケインズだとすると、21世紀の現在、ビッグデータに基づく実証的な学問が勃興していることも、人間の道徳科学の系譜に連なるものとして感じることができます。若いころから脚光を浴びたわけでもない私が、現在になって世界の主要経済誌に論文を発表できるのは、そういう大きな潮流のなかにいるからだと思います。逆に、早い段階からアメリカに留学して、行動経済学ブームのなかで論文を書いていたら、いまごろは疲弊していたと思います。

ここ数年、行動経済学やナッジを流行のマーケティング手法として切り抜いたビジネス書が数多く出版されています。こうした趨勢について、どう思われますか。

依田 他の経済学分野と同じく、行動経済学だけで独立した学問として捉えることはできません。これまでお話したように、私自身もケインズに依拠するかたちで行動経済学を用いています。そのケインズは、自分の師匠にあたるマーシャル1という経済学者を批判して自分の経済学をつくっていきました。行動経済学も同様で、サイモンは主流派経済学のすべてを否定して、経済学界から無視されてしまいますが、カーネマンは新古典派経済学を批判しつつ、行動経済学を使えば経済学をもっと使いこなせるのではないかと主流派に認めさせることに成功しました。ケインズにとってはマーシャル経済学、カーネマンにとっては新古典派経済学という批判対象があったから、自分たちの独自性を主張できたのです。行動経済学だけをもてはやして、体系としての経済学を軽視すると、経済学と行動経済学の双方の価値を見失ってしまいかねません。 

セイラーとともに『NUDGE─実践行動経済学』(日経BP、遠藤真美訳)を著したキャス・サンスティーンが最近になって、負のナッジを警告する『スラッジ─不合理をもたらすぬかるみ』(早川書房、土方奈美訳)を出版したり、カーネマンとの共著『NOISE─組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房、村井章子訳)で、バイアスだけでなくノイズが認知エラーを起こすことを強調したりしていることからも、ナッジとバイアスの考え方が広まりすぎたのを危惧しているように思えます。スティーブン・ピンカー1も『人はどこまで合理的か』(草思社、橘明美訳)ではバイアスに惑わされない統計学的な合理性の重要さを訴えています。

依田 私自身もナッジだけで人間のすべてを変えられるとは思っていません。たとえば労働者の待遇を考えるときには「やりがいの搾取」にならないよう、賃金を上げたり労働時間を見直したりすべきという伝統的経済学と同様の考え方をします。口先三寸で人が動かせるならば、精神主義に陥ってしまいます。ケインズであれ行動経済学の学者たちであれ、伝統的な経済学があまりにも合理性一辺倒だったところを批判して、 人間はそこまで完全に合理的ではないから合理的均衡の世界から少し一歩引いてみたほうがいいよということを言いたかったはずなのですが、経済的なリターンやインセンティブであるお金のことを抜きにして、人間の行動を言葉だけ変えられるとか、幸福はお金とは別の世界にあるとか言ってしまうと、かなり危険だと思うのです。

経済の合理性を信じるな。そう言っている自分の合理性を信じろというダブルバインドの典型ですね。

依田 これだけ 30 年間苦しんでも経済成長できず、失われた 10 年が 20 年になり、30 年になり……日本人はもう諦めムードでしょう。90 年代から日本政府は経済成長をひたすら言い続けてきましたが、結局何をやってもダメだったじゃないですか。黒田バズーカも、どの 3 本の矢も、日本が国際競争に負けてきたのを立て直すことはできないと思います。しかし、そこで経済成長を諦めてしまった時に、別の精神的・排他的な価値観に目標を置き換えてしまうと、それはとても怖いことになりますね。

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