脳の可塑性と自然の可塑性、または落語に救われた話
猪牙で小便千両
「猪牙(ちょき)で小便千両」という。これは、「猪牙で小便千両も捨てたやつ」という都々逸からきている。
江戸の昔、主要な交通機関といえば渡し船だった。「東洋のヴェニス」といわれたのもさもありなんというわけだが、じつは「××のヴェニス」といわれるところは世界中にごまんとある。日本国内にさえ数ヵ所あるので、言葉なんてものはずいぶんといい加減に流布することが知れる。
江戸の渡し船といえば、猪牙船である。舳先がちょうど猪の牙のように上を向いて尖っていえる小型船を指す。これを船頭が竹棹と櫓で操る。不安定なうえに人目もある猪牙船のうえで排尿するのは難しい。普通の人間なら、まず苦労するはずだ。ちょうど、ベッドのうえでボール紙製の使い捨てをあそこへ押し当てている私と同じように。
猪牙船が別名「山谷船」といわれたのは山谷にある吉原遊廓に通うのに使われたからだ。千両の意味もここでわかる。千両つかいきるほど遊び倒し、つまり猪牙船に飽きるほど乗って、やっと不安定な猪牙船のうえでも悠々と排尿ができるというわけだ。
都々逸のほうは悠々と猪牙船で排尿する客を指して「ずいぶんお大尽をしたろうね」という皮肉が効いている。
4年半前、ベッドのうえで私は「猪牙で小便千両」の言葉を思い出していた。猪牙船ならまだしも向こう岸に着くまで我慢するって法もあるが、こちとら出なきゃ出るまで間抜けなツラを晒してなきゃならない。まったくもって往生だ。だいたいが、こんなボール紙製の使い捨てを放り渡して「小便としけ」とは看護師の野郎、ふてぇ野郎だなどと江戸弁を頭ん中で呟いていたら、そのうちに腰の前あたりが温かくなって、無事に初めての尿瓶はなんとかなった。心配性の私はしかし、看護師にちょっと重くなったそれを返した後、こいつは次からが思いやられるぞと気を重くしたのだった。
「猪牙で小便千両」を知ったのは落語のマクラだ。今回、誰のなんという噺だったか思い出そうと、DVDやらCDを探してみた。マクラといや、先年亡くなった柳家小三治。渡し船といえば「船徳」かというわけで聴いたが、そこにはない。こうなると気になるので、渡し船の出る噺をあたってみる。「岸柳島」。いや、こっちのマクラは「さあ事だ、馬のしょんべん渡し船」だな。これは渡し船に乗り合わせた馬が小便を垂れて往生するという都々逸で、まったく獣ってやつはときところを選ばないから羨ましい……いや、情けない。
小三治やじゃくて古今亭志ん朝だったかな。というわけで、志ん朝のCDをだして「夢金」なんて聴いてみる。あれ、違う。寒い冬に船のうえで尿意ってわけかと思ったが、そうではない。ここまでくると噺を聴くのが楽しくなってしまうから、初期の目的を忘れて聴きあさる。なんてしているうちに志ん朝の「船徳」を小三治と聴き比べておこうなんてCDをプレーヤーのトレイに載せる。そうしたらなんと、マクラで「猪牙で小便千両」という。見事に発見した! あとで思い出したが、今をときめく春風亭一之輔の「船徳」のマクラでもこれを言っていた。どこかの落語会で聴いている。
古今亭志ん朝の「船徳」は『落語名人会 (1) 古今亭志ん朝(1)』(ソニー・ミュージックレコーズ)などに収められている。
落語名人会1 古今亭志ん朝1 「明烏」「船徳」
Sony Music
