マルクス・ガブリエルと小沢健二
ニヒリズム/メランコラリズムを超えて響く「新実在主義」とポジティヴィティ
意識、心は脳に還元できない
とはいえ、マルクス・ガブリエルの言説には哲学者からさまざまな批判にさらされる。マルクス・ガブリエルの論文を新書にした『新実存主義』(廣瀬覚訳/岩波新書)では、チャールズ・テイラー、ジョスラン・ブノア、アンドレーア・ケルン、本書の編者であるジョスラン・マクリュールが疑問を呈する。
疑問の根幹はジョスラン・マクリュールによる序章に集約されている。
哲学が扱ってきた「心」の問題を、自然科学が脳科学によって心と意識を還元的に捉えようとすることを拒否する一方で、脳は心の必要条件にはなるというガブリエルに対し、次のように述べる。
彼は、科学的な自然主義をより豊かな哲学的見解に含めることと、自然主義を全否定することとのあいだで、態度を決めかねているようだ。
この問題が重要なのは、AIが脳のニューロンを模して進化した反面で、脳そのものもある種の計算機として解明できると思われているからだ。議論を端折ってしまえば、AIが人の脳のようになれば、おのずと「心」も「意識」も生まれる。還元主義とは、そういう考え方なのだ。
「心や意識は計算できないが、まったく計算できないともいえない」
今はまだそんなふうにしか言うことができない。
マルクス・ガブリエルの新実存主義はまだまだ議論の余地を多く残しているし、それはとりもなおさず発展の余地でもある。ガブリエル自身も自然主義との折り合いをつけかねているとみてもいいのだろう。自然科学がもととなる真理に対し、哲学者としてどう向き合うのか。そのことによって人々の生をどう取り戻すのか。
実存主義の始祖たるサルトルは「実存主義はヒューマニズムである」と言った。その後の思想家たちは、これを相対化した。
ヒューマニズムはそんなに普遍的ではないですよね? 普遍的なヒューマニズムなど終焉(人間の死)しましたよね?というわけだ。
面白いのは、この時代、どういうわけか、哲学者もいなくなった。彼らはみずからを哲学者とは呼ばなくなっていったのだ。
停滞したヒューマニズムと、停止した哲学を、私たちの生のために呼び戻そうとしている人こそ、マルクス・ガブリエルなのかもしれない。
マルクス・ガブリエル (著)
廣瀬 覚 (翻訳)
岩波新書
ISBN:9784004318224
サッカーW杯でのVARについて、コリモアが求めたのはある種のヒューマニズムと言えるだろう。機械的な正確さよりも人の目によって事実とみえるものでゲームを成立させるべきだということだ。しかし、VAR導入以降、私たちはもはや人によるジャッジのみを額面通りに受け入れられない。同じように、自然科学によって立脚している生活のなかで、それを疑うことは、カルトやら陰謀論やらにのみこまれてしまうに等しい。私たちはもはやただ反自然主義だけを選ぶことができない。
私はガブリエルが進む困難な道を追うことにしよう。
