救命の現場が求めつづける先端テクノロジー
上尾中央総合病院心臓血管センター長・一色高明氏に聞く(1)
AIの爆発的な進化にともなって喧しいのはある種の脅威論である。メディアや教育の現場に長く従事してきた人たちほどそうしたことを口にする。一方で、医療の現場はどうであろうか。テクノロジーの進化はより多くの命を救ってきた。時間と闘いつづける循環器救急医療に詳しい一色高明博士に聞いた。
取材:2023年6月30日 上尾中央総合病院にて
一色 高明(いっしき・たかあき) 上尾中央総合病院心臓血管センター長。帝京大学医学部名誉教授。医学博士。 1975年東北大学医学部卒業。81年に東京大学医学部第一内科助手。86年から米国・Alton Ochsner Medical Foundation留学。88年に帰国後、三井記念病院循環器センター内科科長、99年、帝京大学内科学教室教授(循環器グループ)を経て現職。専門領域は循環器内科学で、カテーテル治療の権威として知られ、多くの学会で要職を務める。特に日本心血管インターベンション治療学会の初代理事長として我が国の心血管インターベンションの発展に寄与。その後、上尾中央総合病院にて、上尾市および埼玉県央地域の循環器救急体制強化の一環として、循環器ホットラインの導入、救急車からの12誘導心電図伝送体制確立、モービルCCU導入など、病院内にとどまらない最先端のプレホスピタル循環器救急体制強化に取り組む。著書に『プレホスピタル12誘導心電図読影講座』(近代消防社) |
目次
プレホスピタル心電図の利用と救命率の関連を調べた国内初の研究
救命率が上がった急性心筋梗塞
IT批評・桐原永叔(以下、桐原) 一色先生のご経歴や著書である『プレホスピタル12誘導心電図読影講座』(近代消防社)を拝見すると、救急医療の現場ではテクノロジーの進化を追うようにずっと変化が起き続けているんだなということを感じました。時間短縮や効率化というテクノロジーのポジティブな側面を強く感じました。
一色高明氏(以下、一色) そうですね。日本人の死因の15%を占めると言われる心疾患のなかでも急性心筋梗塞は初期対応の成否が生死を分ます。心筋梗塞の患者さんの救命には、発症から1時間以内に適切な処置を行うことのできる専門病院に搬送されることが何よりも重要とされているのです。プレホスピタル心電図は現場で心筋梗塞と診断すると同時に、搬送先の病院にその情報を伝達することによって、治療開始を早めることができる点で大きな意義を持っています。その意味で種々のインフラを含めたテクノロジーの進歩は循環器救急に大きく寄与していると思います。ただし、そのためには救急隊との連携体制が構築されていることが前提です。
*急性心筋梗塞:心臓の冠動脈と呼ばれる血管がつまることで心筋(心臓の筋肉)が壊死してしまう病気で、持続する強い胸の痛みやしめつけ感を主な症状とする。
桐原 救急隊との連携が重要とのことですが、心筋梗塞に対する救急体制は十分でなかったのですか。
一色 2018年に「脳卒中・循環器病対策基本法」ができました。がんに対しては「がん対策基本法」によってがん治療が大きく発展し、がんの予後が改善してきました。循環器疾患は日本人の死因の2番目であり、高齢者の健康寿命を損なう原因となることから、今度は循環器病に対する法律をつくってほしいという要望を政府に働きかけ続けて、やっと実現したんです。
桐原 割と最近の話なんですね。
一色 法律の中身はかなり幅広いのですが、そのなかの一つに循環器の救急体制について全国的に体制づくりをしていかなければいけないという項目が盛り込まれているわけです。
桐原 プレホスピタルを充実させていくということですね。これまでにどのような課題があったのでしょうか。
一色 そうですね。心筋梗塞の治療法の歴史を辿ると理解しやすいかと思います。急性心筋梗塞*の患者さんは、私が大学を卒業した1975年ごろは約3割の方が亡くなっていました。
桐原 自宅でということですか。
一色 自宅や出先で亡くなる患者さんもあったのですが、病院に入ってから亡くなる方も少なくありませんでした。40年以上も前の話ですが、その頃は心筋梗塞に対する直接の治療手段はありませんでしたので、集中治療室に収容されても血圧や心電図をモニターして見ているだけだったんです。心臓の負担を軽くするような薬や器械もありませんでしたし。
桐原 現在の治療法はどんなものがあるのでしょうか。
一色 その後、年々治療が進歩しました。革命的だったのは、心筋梗塞というのは冠動脈が詰まるわけですけが、その詰まった血管を元通りに流れるようにしたことですね。
桐原 「再灌流療法」と呼ばれているものですね。
一色 そうです。再灌流療法の発展は2段階になっていて、最初は血栓溶解療法がおこなわれるようになりました薬で血管を詰まらせていた血の塊を溶かしてしまおうという治療法で、一定の効果がありました。特に発症の早い時期の血栓は比較的高い確率で溶けます。溶けることで血液が流れて、命が助かる方がたくさん出てきました。そのうちに、バルーンカテーテルと呼ばれる風船のついた細い管を血管の中に入れて詰まった狭い箇所を広げる治療が行われるようになりました。は心筋梗塞のように血栓のあるところに異物を入れるのはNGといわれていたんですけども、やってみたら血栓溶解療法よりも成功率が高く、さらに救命率が上がりました。
桐原 「カテーテル治療」と呼ばれるものですね。
一色 現在は「ステント」という筒状の金網を用いて血管壁を押さえ込む治療が主流になっています。このように20年、30年かけて治療法が進歩してきて、最近では、これらの治療ができる環境にあれば死亡率は5-6%にまで下がっています。
桐原 ずいぶん救命率が上がったのですね。
一色 症状が出てからすぐにカテーテル治療ができる病院に運ばれれば、そのぐらい助かるんです。太い血管が詰まったような重症の方でなければ亡くならずに退院できるところまできています。
桐原 それは30年前であれば助からなかった命ですね。
一色 何もしなければいまでも3割ぐらいの方は亡くなるかもしれません。例えば血管が詰まって苦しかったのにすぐに病院に来ないで何時間も我慢してしまうと詰まった部分の心筋が全部壊死してしまいますから、あとから血流を再開させても助かる心筋が残っていません。そうなると、入院してから心不全になりやすく、それを乗り越えてなんとか退院できても心臓の機能が落ちたまま生活していくことになります。
桐原 治療の早い遅いが予後にもかかわるのですね。
1秒を削る努力が救命につながる
一色 現在は、心筋梗塞とわかったらできるだけ早く病院に運んで、できるだけ早く詰まった箇所を広げるというのが最善の医療になっています。そこで、Door To Balloon Timeという指標が重要視されているのです。病院に到着してから治療まで、どのくらいのスピードで血流が再開できるかのことを指しています。
桐原 Doorは病院の入り口を指しているのですね。
一色 もう一つOnset to Balloon Timeという、心筋梗塞が発症したときから再灌流するまでの指標もあるのですが、救急車を呼ぶまでの時間がいろんな事情でまちまちですから、なかなか指標にしにくいところです。
桐原 医療でどうにかできる部分ではありませんね。
一色 すぐに救急車を呼んだ人ほど助かるわけですから、社会的な啓蒙が必要な部分と言えるでしょう。Door To Balloon Timeが注目されるのは、病院のレベルを表す可能性があるからです。病院に運ばれてから、心筋梗塞であると診断して、血管造影を行う部屋を用意して、血管造影して開く術者、それから技師さん、看護師さんたちが集まって、病院の救急の部屋からアンギオルーム(血管造影室)に人を運んで、手技を始めて、ワイヤーを血管に通して開くまでの時間がどのくらいかかるかが問われます。そこをできるだけ短くしようと各病院が努力をしてきているわけです。
桐原 これは1秒を削っていく感覚ですか。
一色 そうですね。時間を無駄にしないようにするという意味では、1秒を削るという話だと思います。
桐原 ここで救急現場から心電図を転送する話につながるのですね。
一色 その通りです。そこで冒頭に申し上げた救急体制の整備という話が出てきます。これは病院のなかの問題ではありません。プレホスピタルですから、病院に到着する前に何ができるかが重要になります。患者さんのところに救急隊が行って、そこで心電図をとって病院に連絡して届けることができたら、病院側ではすぐに準備の体制に入ることができます。心電図を見て心筋梗塞だということがわかれば、患者さんが来る前に血管造影室の用意ができます。到着してから準備を始めるのとでは、圧倒的に時間の差が大きくなります。そこにプレホスピタル心電図の意義があるのです。
桐原 1秒を短縮する意味の大きさがよくわかります。
プレホスピタル心電図の伝送を可能にしたSCUNA
一色 もうだいぶ前から海外ではプレホスピタル心電図の伝送が重要だと言われていたのですが、なかなか日本の救急隊に配備されてこなかった。それはいくつか理由があるのですが、そこをブレイクスルーして出てきたのがメハーゲンさんのSCUNA*のシステムです。
*SCUNA 藤田英雄氏(自治医科大学附属さいたま医療センター循環器内科主任教授)と株式会社メハーゲンが共同開発した12誘導心電図伝送システム。高精細なモバイル12誘導心電計とクラウドサーバーを活用することで、これまで難しいとされていた救急車から病院への心電図の伝送を実現した。
桐原 SCUNAはそれまでのシステムとどこが違っていたのでしょうか。
一色 これまでも救急車から心電図を送るシステムはいくつかありましたが、画像の質に問題がありました。画像が鮮明でないと診断能力が激減します。心電図は少し揺れただけで波形が大きくブレてしまいます。患者さんが苦しくて息をしただけでもブレるんです。物理的な動きだけではなくて電子的な動きにも弱くて、いろいろな外部の電波にも影響されてノイズが入ってしまいます。また、伝送速度も遅かったですし、特定の回線を使うので特定のシステムを持っている人しか見られなかったという問題もありました。
桐原 機能の問題とネットワークの問題があったのですね。
一色 ところがこのSCUNAの心電計は、そういうノイズがないきれいな心電図がとれます。これは画期的でした。きれいな波形で、かつ、クラウドでどこからでもすぐに見ることができるという、2つのポイントが決め手になって成功したんだと思います。
SCUNAの仕組み図(株式会社メハーゲン提供)
桐原 SCUNAの利用状況をおしえていただけますか。
一色 上尾中央総合病院では、SCUNAを導入する2年前の2015年に循環器ホットラインを開設しました。救急隊から病院の救急部ではなく循環器内科の専門医に直接電話が入るというシステムです。専門医は救急隊と患者さんの状態を直接やりとりするわけですが、そこで心電図の画像が重要になる。ホットラインで現場の隊員と話をしながら心電図を確認して心筋梗塞だと判明したら、すぐに病院に搬送するように指示をして、直ちに血管造影室の準備に入ることができます。心電図の画像を確認できるかできないかの違いがたいへん大きいわけです。上尾市消防本部では2017年からSCUNAを2台導入して、その後に埼玉県央広域消防本部にも導入していただき、現在は全部で8台が稼働しています。
桐原 現在までにどのくらいの件数に利用されていますか。
一色 2023年3月に総件数が1000件を超え、この6月で1,057件になりました。すべての心電図の記録を残しています。
プレホスピタル心電図の利用と救命率の関連を調べた国内初の研究
一色 実はこの7月に論文を出しました。心筋梗塞の患者さんでプレホスピタル心電図をとった方ととっていない方を比較して、Door To Balloon Timeなども調べて、その方がどういう転帰をたどったかをまとめたものです。実はこのような研究は都市部では差が出にくいと思っていたので結果が出るまで不安でした。
桐原 どうしてなのでしょうか。
一色 大きな病院が複数ある都市部では救急現場から病院までの距離が近いと、プレホスピタル心電図で診断してもすぐに病院まで到着してしまいます。例えば東京都内はCCUネットワークがあって、カテーテル治療ができる病院がたくさんあり、すっと運べて収容されて治療される。それで、すごくいい成績なんですね。逆に埼玉は、地域によりますが結構医療過疎なんですよ。そこに期待していました。
桐原 意外ですね。
一色 埼玉でも南にあるさいたま市までは病院も多く東京に近い感じですが、そこを離れると途端に病院の数が少なくなり、24時間体制で心筋梗塞の治療ができる病院は、ぽつんぽつんとしかありません。当院は上尾市を中心に県央地域(上尾、桶川、北本、鴻巣)を医療圏としていて、50万人が住んでいますが、そのなかで24時間365日やっているのはうちだけなんですよ。
桐原 エリアによって医療格差が激しいのですね。
一色 上尾市内であれば近いですからそれほど問題になりませんが、北本市や鴻巣市あたりだと30分ほどかかりますから、そうなると事前に心筋梗塞を知る、知らないの差が大きくなります。血管造影室がまだ準備できていないうちに患者さんが運ばれてくるのと、準備完了しているのでは、Door To Balloon Timeに差が出てきます。
桐原 どのぐらい差が出るものですか。
一色 私たちの検討では平均で6分の差があることがわかりました。この6分の差がどのような意味があるかというと、なんと30日後の死亡率にも差があることが示されたのです。プレホスピタル心電図の有無で死亡率の差が出たというのは、国内では初めてではないかと思います。
桐原 すごいデータですね。
一色 細かく解析したところ、軽症の人は、病院収容までに時間がかかったとしてもほとんど亡くなっていませんでした。だから、軽症の人も合わせてデータをとると差が出にくいんです。
桐原 平均化されてしまうのですね。
一色 ある程度以上の重症の方だけでカウントしたら、プレホスピタル心電図の有無が死亡率に影響することがわかりました。そのことを明らかにできただけでも非常に大きいことかなと思っています。
桐原 それはプレホスピタル心電図の普及にとって意義のあるデータになりますね。日本全国で考えると埼玉よりも医療状況が悪い地方はたくさんあるはずですから。
一色 普及の後押しになるといいなと思っています。
桐原 日本で初めてのデータ研究成果ということですが、それが実現したポイントはどこにあるのでしょうか。
一色 一つの病院でこれだけ大量のデータを救急隊へのフィードバックコメントともに収集して、分析し管理できているところはないと思います。SCUNAはすでに多くの医療施設でも運用されていますが、割と広域的に複数の病院で活用されるケースが多く、そうなるとデータを収集することも大変ですし、Door To Balloon Timeの定義もきちんとなされていないとデータとして活用しにくいというということがあります。
桐原 学術的に有意なデータを揃えるのが大変だということですね。