プラットフォームクロニクル OS戦記〜70年代から熾烈につづく攻防戦の行方②
林 信行
プラットフォームを制した者だけが時代の覇者となる。主戦場を次々にかえながら、覇者がめまぐるしく交代し続けるデジタルプラットフォームの世界。しかし、覇者の座を常に狙える企業はいくつかしかない。
まだ、本記事の前編を読まれていない方は、こちらから。
スマートフォンへとつながるPDA戦争
Windows95の登場で、パソコンが薄利多売のビジネスに陥っていた間、市場ではもう1つのプラットフォーム競争が激化していた。
アップル社はパソコンに代わる、よりパーソナルなデバイス、PDAを提唱し、自らそれを体現した製品、Newtonシリーズを1993年に発表した。それによりやがてスマートフォンへとつながるPDAプラットフォームの戦争が勃発したのだ。
Newtonはスタイラスペンで操作するペン操作型デバイスで、ユーザーが手書きした文字を認識し、書き込んだ文意を解釈し、スケジュール帳や電話機能を呼び出すことが可能だった。
しかし、革新的であるとは認められつつも、初期モデルの手書き認識精度が低かったり、メモリ不足で動作が不安定なことばかりが取り上げられ、それほどの商業的成功には結びつかなかった。
Newtonは、シャープが製造を行っていたが、そのシャープは自社ブランドNewtonに加え、自社独自ソフトを組み込んだ電子手帳、そしてザウルスというシリーズを発売。
Newtonでは日本語入力ができなかったことや、日本の通信事情、ビジネス事情にあっていなかったことから、日本ではこちらの方が人気があった。
1996年、モデムメーカーのUS Robotics社のいち事業部から、Palmと呼ばれる安価なPDA端末が登場する。Newtonが高い理想を中途半端な形で実装したのに対して、Palmは手頃な価格を実現するハードと、その上で動作する現実的な割り切りを行ったソフトが特徴だった。例えばNewtonは、筆記体、ブロック体などあらゆる手書き文字の認識を試みたが、PalmではGraffitiと呼ばれるアルファベットに似た独自の文字を、指定のエリアに書き込ませることで、より素早く効率的な文字認識をした。また、PDA側にあまり機能を持たせず、パソコンとつないだクレードルに置いて同期をするスタイルを特徴としていた。さらにPalm社がMS-DOSやWindowsのようなOSライセンス型ビジネス
を展開したので、IBM社やソニー、PDA専業ベンチャーのVisorなど多彩なメーカーからPalm系PDAが発売された。
やがて、このPalm系PDAには電話機能が搭載され、スマートフォンへと発展していく。
一方、マイクロソフト社も、そうした状況を見過ごしていたわけではない。最初はパソコン用のWindowsをベースにノートパソコンサイズのペン操作コンピューターで、Newtonや新興のGO社のPenPointというペン操作コンピューターと競っていた。
しかし、1996年にPalmも登場するとWindows CEと呼ばれるPDA用の簡易版Windowsを開発。キーボード内蔵型のミニパソコンやペン操作型のPDAに提供を始めた。
小型画面用のOSでありながら、ペンを使ってメニューを選ばせるなど操作しづらいところも多かったが、マイクロソフト社のブランドも手伝い、カーエレクトロニクスなどを含む組み込み分野でも広く使われるようになった。
やがて、このWindows CEを進化させたWindows Mobileが、スマートフォンのOSとしても採用され始める。
リビングルーム市場での攻防
脱パソコンの動きはPDAだけではなかった。アップル社はNewtonに1年遅れて1995年、MacのOSを搭載したゲーム機、Pippinをバンダイと共同で開発。成功した任天堂のファミリーコンピューターの後追いをするだけに止まらず、安価なモデムを使いテレビを使って簡単にインターネット接続できることを目指したが、5万台も売れない大失敗の製品となった。
同じ頃、アップル出身のエンジニアが集まりテレビから簡単にウェブブラウジングができるWeb TVを開発。1997年春時点では5万6000ユーザーほどだったが、その後、マイクロソフトが同社を買収するとユーザーは急激に増え始め、1998年までに32万5000人、1999年には80万ユーザーにまで利用者が増えた。
しかし、2001年になると、マイクロソフト社はWebTVをMSN TVと改称。Web TVのエンジニア達も散り散りとなり、一部は2001年11月に発売されたマイクロソフト製ゲーム機、Xboxのチームで働くことになった。
Xboxは、マイクロソフト社が、ソニーのプレイステーション対抗を狙って商品化したWindowsの技術をベースにしたゲーム機だ。
プレイステーションは、家庭用ゲーム機市場で、まだ任天堂とセガ、3DO社らが熾烈な争いを繰り広げていた1994年に突如現れた。その後のプレイステーション2は、いち早くDVD-ROMドライブを搭載したことで、当時まだ高価だったDVDプレーヤーをリビングルームに広げる起爆剤となった。
やがて、3DOとセガが競争から脱落し、家庭用ゲーム機市場は、任天堂とソニーの一騎打ちの時代に突入するが、そこへマイクロソフト社がパソコン用ゲームの技術を持つXboxで参入した形だ。Xboxは、日本では、ほとんど見向きもされないものの、欧米市場ではじわじわと人気をあげた。
任天堂とソニーの2社は、やがて携帯型ゲーム機市場にも熱い視線を注ぎ始める。ゲームボーイなどで既に実績をあげていた任天堂に対抗して、ソニーは2004年にPSP(プレイステーションポータブル)をリリース、これを任天堂はデュアルスクリーンが特徴のNintendo DS(2004年)で迎え撃った。