慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科准教授 標葉隆馬氏に聞く
第1回 科学技術の課題を発見し、ルールを編む

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

科学技術をめぐる課題や不確実性を捉え、現場にフィードバックする──GMO(遺伝子組み換え食品)やBSE、再生医療、ニューロテクノロジーへと時代の最前線を歩みつつ、科学技術のELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)とRRI(Responsible Research and Innovation:責任ある研究・イノベーション)に取り組んでいる慶應義塾大学の標葉隆馬(しねは・りゅうま)准教授に話を聞いた。インタビュー第1回で語られる氏の歩みは、生命科学からSTSへと軸足を移し、科学技術を社会課題として考えつづける思考の軌跡でもある。

取材:2025年12月1日 慶應義塾大学日吉キャンパス標葉研究室

 

標葉隆馬(しねは・りゅうま)

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科・准教授。京都大学農学部応用生命科学科卒業、京都大学大学院生命科学研究科博士課程修了、博士(生命科学)。総合研究大学院大学助教、成城大学准教授、大阪大学准教授を経て、現職。先端科学技術をめぐるELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)の分析、メディア分析、コミュニケーションデザイン、政策分析などを組み合わせながらRRI(Responsible Research and Innovation: 責任ある研究・イノベーション)の視点を踏まえた科学技術ガバナンスに関わる研究を進行中。主著『責任ある科学技術ガバナンス概論』(ナカニシヤ出版 2020)。

 

目次

科学技術を社会学の見地から考える

生物と哲学への関心からSTS(科学技術社会論)の道へ

 

科学技術を社会学の見地から考える

都築 正明(IT批評編集部、以下―) 先生のご出身は、どちらでしょう。

標葉 隆馬氏(以下、標葉) 出身は宮城県仙台市です。祖父の家が福島の浜通りにあり、福島第一原子力発電所から10キロほどの浪江町にあったので、トータルで1年ほどそこに住んでいたこともあります。高校までのほとんどを仙台で過ごし、京都大学農学部に進学しました。

―京都大学ではなにを専攻されていたのですか。

標葉 応用生命科学科という、遺伝子組み替えなどのバイオテクノロジーを学ぶ学科にいました。進学当初は先端的な生命科学を専攻したいと考えていたほか、哲学にも関心を抱いていたので京都大学を志望しました。実際には、大学1年生のころに、自分がどちらにも向いてないと思うようになりました。学部生のころは文化人類学や宗教人類学に興味があってレヴィ=ストロースやミルチア・エリアーデ、ヴィクター・ターナーなどの古典を読み漁っていたのですが、次第に現代社会へと関心がシフトしてきました。そこから、科学技術が現代における典型的な社会現象であることに思い至り、大学院に進む際に科学技術をテーマに社会科学を行うSTS(Science, Technology and Society:科学技術社会論)の領域に進むことにしました。思想や哲学は自分に向いてないと思ったので、科学技術をめぐっていまどのような議論が行われているか、またどのような論争が起きてしまっているのかを、社会科学の見地から研究したいと考えました。

大学院に進学された当時には、どのようなトピックがありましたか。

標葉 大学院に進学したのが2006年4月でしたから、遺伝子組み換え食品(Genetically Modified Organism)をめぐる反対を含めた議論の過熱や、BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy:牛海綿状脳症)の世界的恐慌がピークアウトしたころです。再生医療が盛り上がりつつあるころで、私が修士1年生のときに、山中伸弥先生がマウスでiPS細胞を、翌年にヒトiPS細胞を樹立されました。博士論文自体は、GMOをめぐる社会的議論の分析で書きました。

京都大学で博士過程まで進まれたのですよね。

標葉 博士号を取る直前で、就職先も固まっていませんでしたが、結婚することは決まっていたので、専業主夫になろうと思っていました。ところが、総合研究大学院大学という大学院のみの国立大学の助教として運よく採用されました。最先端の研究者を養成することを目的とした大学ですが、私は社会的・倫理的な課題についての視点を指導する役割を持った形で仕事をしていました。葉山にある本部だけでなく、国内各所の研究所に大学院生を配属する大学だったので、私は日本中の研究所を訪問して教育プログラムをプレゼンしつつ設計し、実際に立ち上げて実施するところまでを行いました。

その後、成城大学に異動されるわけですね。

標葉 総合研究大学院大学は任期付きだったので、4年間在職したぐらいのときに、そろそろテニュア(終身在職権)のある教員になりたいと考え、成城大学に着任しました。当時よく読んでいた野村美月さんのライトノベル“文学少女”シリーズの舞台“聖条学園”のモデルとして知っていたので「聖地着任だ」と思いつつも、それまで理工系の世界にどっぷり浸かっていたなかから文系の学部・大学院しかない大学の文芸学部に飛び込み、専任講師と准教授になりました。そのころにはいまの仕事の雛形はほぼできていて、JST(科学技術振興機構)「人と情報のエコシステム(HITE)」のファンディングにプロジェクトを採択していただいたので、先端科学の社会的課題をリアルタイムに分析しつつ現場にフィードバックして、いっしょにルールメイキングをする大規模なプロジェクトを運営するようになりました。

その後、大阪大学に異動されます。

標葉 大阪大学社会技術共創研究センター(ELSIセンター)設立にあたって、当時大阪大学副学長だった小林傳司先生にお声がけいただきました。小林先生は、私が参加している科学技術社会論学会の初代会長でもあります。小林先生が東京にいらしたときにお話をいただいて、移籍することにしました。その時点で既に都内に家を買っていましたし、同業のパートナーも都内の大学でテニュアを取得することが決まっていましたので、東京を起点として大阪と東京都を行き来することにしました。2020年4月に着任して、ちょうどコロナの自粛期間がはじまるころとタイミングが重なったので、結果的にはリモートワークで東京から仕事をすることが多くなりました。

 

生物と哲学への関心からSTS(科学技術社会論)の道へ

生物や哲学に関心を抱かれていたとのことですが、影響を受けたものはありますか。

標葉 小説や漫画、それにゲームなどは小学校のころから好きでした。生物に興味を抱いたきっかけで覚えているのは、小学校のころにプレイしていた』ファイナルファンタジーIII』のラストダンジョンに敵キャラ「まおうザンデ」のクローンである「ザンデクローン」が登場したことです。小学生のころはクローンといってもピンとこなかったのですが、中学校の理科かなにかで、クローンというのが同一の遺伝情報を持つ生物のことだとわかるわけです。そこで、漫画やゲームのなかで触れていたものが現実の世界で動いていることに感じて、生物学に強い魅力を感じました。ヒトゲノム計画が進行していたり、クローン羊がニュースになったりと、同時代に見ていたニュースとリンクしたことも大きかったです。

そのなかで、哲学などの人文科学にも興味を抱かれたのは、どうしてでしょう。

標葉 人文的なことに興味を抱いたのも、RPGにおけるトールキン『指輪物語』のように、元ネタがあることに気づいたのがきっかけです。妖精や怪物などの元ネタを実際に読んでみることが好きになって、聖書を含めてさまざまなものを読んでました。一種の教養主義のような感じでしょうか。そうすると哲学にも関心が向いてきて、高校に入ったころから哲学書を読むようになりました。仙台にいたころによく行っていた喫茶店があって、カウンターでカントを読もうとしていたりしていたのですが、1行を理解するのにすごく時間がかかるわけです。すると、偶然そこでアルバイトをしていた東北大学の大学院で哲学を専攻していた大学院生の方が声をかけてくれて、入門書(石川文康『カント入門』)を紹介してくれたりしました。その後も次に読む本を教えてくれたりして、順を追って読んでいくと、理解できた気になりました。その院生さんと話すのが楽しかったですね。哲学も勉強したいと思うようになりました。

とてもよい話ですね。

標葉 そうした高校生活を送るなかで、生物と哲学のどちらかの研究者になりたいと思うようになりました。朝起きるのが苦手だったので、会社勤めには向いていないと思っていました。それでは医師や会計士などの士業に就こうかとも考えたのですが、資格試験のような勉強が嫌いだったので、好きなことを生かせるとなると、消去法で研究者になるしかないだろうと思いました。

いま東北大学は国際卓越研究大学に認定されていますが、当時から東北大学のバイオ分野は注目されていましたね。

標葉 東北大へは周りがやたら進学していましたが、進学のタイミングで地元を出ておきたかったんですよね。しかも、当時は京都大学に生命科学研究所ができて勢いもありましたし、日本の哲学といえば京都大学という憧れもありました。また東京大学だと進振りなる期末テストで進路が決まる制度があると聞いて、それは性格的にマジで無理だと思いました。あと当時は実家が色々と揉めていて、ある種の現実逃避もあったと思うんですが、遠くへ行きたいという内心の事情もありました。そうしたいくつかの条件が重なったので、京都大学に進学するという選択をしました。

先生の「標葉」という姓は、ご出身地に由縁があるのでしょうか。

標葉 福島県の浪江町周辺の昔の地名が標葉郡です。当時の武家で、東北の中世史に登場します。戦国時代の初期に相馬氏の傘下になったらしいです。地元では名家の類で、親族には旧制中学の校長を務めた人なんかもいます。祖父が医師をはじめて、父をはじめその子どもの多くが医師になっています。私自身は、父親が行く先々でやんちゃとすると、まあおよそ尊敬できない面をよくみていたので、医学には興味を抱くことができませんでした。いま考えると、生物学に興味があったのだから選択肢としてはあったのかもしれませんが「医学部や薬学部には誰が行くか」といった気持ちの方が大きかったのです。当時は、京都大学農学部の学科再編で応用生命科学科ができたばかりでしたから、その名前に惹かれて進学することにしました。

第2回につづく