創造主なき世界の私たちと延長された表現型としてのAI
第5回 “遺伝子死者の書”から未来を繙く

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

ドーキンスは『延長された表現型』で遺伝子の作用が環境や他の種にまで及ぶことを示し、遺伝子中心主義を補強した。人工物もその例外ではない。最新刊『遺伝子は不滅である』では遺伝子をパリンプセストに喩え、過去の痕跡を保持する重層的存在として描く。未知のカオスを抱えたAIもまた“延長された表現型”である。それならば、トランスヒューマニストのように超越論や神秘主義に飛びつくことなく、進化の連続性のなかでその理解を試みることが、真に科学的な態度ではないだろうか。

目次

延長された表現型としてのコンピュータそしてAI

盲目の時計職人』においてドーキンスは、しばしばデイヴィッド・ヒュームの懐疑論がダーウィンに先んじて創造説を否定したとされることを挙げて、それに反論する。ヒュームのしたことは、神の実在を示す証拠として自然界においてデザインされているものを援用する論理について批判しただけであり、代替説明を棚上げしたというわけだ。ダーウィンはヒュームがかつて在籍していたエディンバラ大学に入学するが、それはヒュームの没後40年後のことだった。ドーキンスは、ダーウィン以前に無神論者がいたことを仮定して、彼にこう言わしめている。「生物の複雑なデザインについての説明を私は持ち合わせていない。私にわかっているのは、神を持ち出してもそれをうまく説明できないということだけだ。そういうわけで我々は、誰かがよりうまい説明を携えて現れるのを待ち望むほかない」。

利己的な遺伝子』初版刊行から6年後の1982年にドーキンスは『延長された表現型: 自然淘汰の単位としての遺伝子』(日高敏隆他訳/紀伊國屋書店)を刊行する。“表現型”とは遺伝子が個体の体や行動に与える影響を指すが、ドーキンスはこれを拡張して遺伝子の効果がその個体の体の外にまで及ぶことを主張した。たとえばビーバーがつくるダムは、ビーバーの遺伝子がもたらした表現型とみなすことができ、ダムは水流環境を変えることで遺伝子の適応度に影響をおよぼすほか、寄生虫は宿主に行動変化を与えることで、遺伝子の影響が別種にまで及ぶ。この主張により遺伝子の影響範囲が個体のレベルではなく、環境や他の生物にまで広がることが論じられ、遺伝子中心主義の理論的補強がなされることとなる。

盲目の時計職人』の冒頭で、ドーキンスは自分の使っているPCのスペックとして64キロバイトの記憶容量を持っていることを示し、脳が約1000万キロニューロンの神経細胞を持ち、それぞれが1000を超える神経回路が他のニューロンと接続していることを示しつつ、生物の複雑さの謎に目を向けるよう促す。ドーキンスのPCのスペックは1986年当時のもので、現在私たちが使っているPCは少なくとも数ギガバイトのメモリを搭載しているだろう。加えてクラウドの容量を考えればもはや個々のPCのスペックを比較することに、さほど意味はない。接続については言わずもがなで、手元の端末から膨大な容量を有するデータセンターから生成AIのサービスに接続することが可能である。もちろん、PCやネットワークが意図的に設計されたものであることは言うまでもない。たとえ作動原理の詳細は不明でも、AIが延長された表現型の一類であることは間違いない。慶應義塾大学の栗原聡教授の言を借りれば「量が指数関数的に増えることでフェーズや質が大きく変化することは自然界では当たり前」なのだ。

進化について、進歩のもとで考えること

本連載では、AIがカオスを内包していることについて幾度か言及してきた。カオスとは、おそらく私たちにはまだ秩序づけられないという意味での無秩序であり、不可知ではなく未知なものとして捉えるべきではないだろうか。カオスの縁では、科学も哲学もアートも、そこからなにかを得ようとして観察し、耳を澄ませ、思考しそして応答する営為なのだろう。

未知なカオスに接したとき、私たちはそこに神秘性を感じるものの、その謎をいかにして読み解こうとするか、不価値なものとして留め置くかということが、カオスへの接しかたを決定づけるように思われる。

ユヴァル・ノア・ハラリはAIにユダヤ-キリスト教的な一神教的な斉一性をみて人類の恐怖を言い立てるし、ユク・ホイはそこに東洋思想を対置しようとする。またカーツワイルをはじめとするトランスヒューマニストたちは、表面的には合理主義を装いつつ、マインドアップロードやナノ医療による不死や終末論的な来世感、超越的存在の実在性など、きわめて宗教的なナラティブのもとで人類の進化を語りたがる。

ドーキンスの最新刊『遺伝子は不滅である』では、遺伝子を“パリンプセスト”に準え、過去の記憶がいくつも積み重なったものとして捉えている。パリンプセストとは、古代や中世の時代に高価だった羊皮紙を削り取って再利用した写本のことで、完全な上書きではなく、過去の痕跡を残したまま重層的なテキストの比喩として用いられる。その意味において、遺伝子は過去の記憶をある程度残したまま現在の姿にある。ここでもPCの比喩を用いるとわかりやすいが、あるデータを消去すると、そのデータはディスクから抹消されるわけでなく、ディスクが満杯にならないかぎりは記録されたまま参照されない状態になる。消去データを修復することができるように、遺伝子もリバースエンジニアリングによって、過去の姿を推測することが可能である。ドーキンスはこの性質を指して、遺伝子を古代エジプトで棺のなかに納められた死後世界への案内書“死者の書”にも例えており、同書の原題は“The Genetic Book of DEAD――A DAREINIAN REVERIE(遺伝子死者の書――あるダーウィン主義者の夢想)”である。

本連載前々回「サイケデリック/アシッド・サイエンス」では、AIの抱える無秩序がハルシネーションとしてカオスの縁に現れ出ていることを示唆した。ドーキンスが最新刊で示すように、AIのカオスに対峙する私たちも、神秘主義の蠱惑に飛びついて超越論的なものを見出そうとするのではなく、バックミラーを振り返りつつ、足場から連続的(アナログ)に思考することが重要ではないだろうか――進化ではなく進歩を踏みしめるように。

今回はドーキンスを論じつつ、遺伝子のアルゴリズムには触れず周縁的な話題に終始した。進化論そのものについては、自己組織化や複雑系にも触れつつ筆を改めたいと思う。本稿については、遺伝子が自己複製のために個体を形成する迂回のようなものとしてご笑覧いただけると幸甚である。<了>


延長された表現型: 自然淘汰の単位としての遺伝子

リチャード・ドーキンス (著)

日高 敏隆, 遠藤 知二, 遠藤 彰 (翻訳)

紀伊國屋書店

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盲目の時計職人

リチャード・ドーキンス (著)

日高 敏隆 (監修)

中島 康裕, 遠藤 彰, 遠藤 知二, 疋田 努 (翻訳)

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日髙敏隆, 岸 由二, 羽田節子, 垂水雄二 (翻訳)

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リチャード ドーキンス (著)

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大田 直子 (翻訳)

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