iU(情報経営イノベーション専門職大学)学長・中村伊知哉氏に聞く
第1回 成功体験が生んだ停滞──テレビはネット時代に適応できるか
道を分けた時代の読み方
──2010年頃の政策として考えられていたのは、プラットフォームを含めてグローバル化しようということだったんですか。
中村 まだその頃は、どうやって海外に出ていったらいいのか、どうやってネットに移行すればいいのかという戦術すらなかったです。なかったけれど、もうそこしかないよねというのは共通理解としてあったと思います。
──今でもネット展開というと、具体論になると意見は分かれてしまっています。
中村 つまり、既存のプラットフォームに乗るのか、自分たちでプラットフォームをつくるのかの両方あって、決まっているわけじゃないんだけど、今はその両睨みで、いずれにしろ、これまでのやり方じゃない、ネットでの世界展開しかないんじゃないかっていうコンセンサスは大体得られた感じです。
──1990年代に、中村さんが郵政省にいらした時に、テレビ側がテレビビジネスを壊さない方向を向いていたというのは、ネット側を脅威にかんじていたということですか。
中村 最初、脅威は全然かんじていなかったですね。そんなことができるわけがないと思っていた。なんでそんなのに協力をしなきゃいけないのかとか、乗らなきゃいけないのかっていう感覚だったと思うんですね。その当時のテレビ側から見て、ネットのテクノロジーが広がってくるのが必然と見るか、そうじゃないかといったら、後者だったんです。それはテレビだけではなくて、通信会社もそうで、NTTなんかネットなんて大反対していましたからね。それまでの電話網をひっくり返すような革命的なテクノロジーという見方をとらなかった。通信にしろ、放送にしろ、当時の日本の真ん中にいた方々は成功体験も強く、ネットが根こそぎ持っていくとは思っていなかったってことです。僕自身は半信半疑だけど、これはかなり高い確率で来るビッグウエーブだぞと思っていました。乗っておかないとまずいよねという立場だったんですが、93年頃にそれは少数派でしたね。
──自分たちのルールでまだ戦える、自分たちのルールが永続的にあるだろうっていう感覚だったんですね。
中村 どの時代でもそうですけど、いろんなテクノロジーが出てくるわけで、そのなかでも、本当にでかくなって広がるものと、出たはいいけど、時間とともに消えていくものがある。テクノロジーの読み方なんですけど、インターネットが出てきて、それまでの情報を伝送するためのコストが、圧倒的に下がるというか、ほぼゼロになりうるテクノロジーだとわかった時に、判断しなければいけなかった。その時に、それを信頼して乗るか、反るか、なんにもしないか、道は分かれました。海外のテレビ局は、けっこう早い段階でそれを読み切っていたと思います。
──今のお話を伺って、レンタルビデオ業界と映画のことを思いました。対立するかのようで結託するところもあったわけじゃないですか。劇場公開する映画のバジェットをレンタルビデオの売上見込みで確保するみたいな。テレビから見たネットはそうした協力関係みたいな位置づけとは捉えていなかったわけですね。
中村 ごく一部の現場の人たちはやっていましたけれども、どの会社も経営戦略レベルまでには至りませんでした。
──それはまだテレビ業界がうまくいっていたから、ネットが破壊的なものだと予想できなかった。
中村 そうですね。いかにこれまでのビジネスを守るかのほうが、当時のアジェンダとしては優先されたと思うんです。それは経営判断として僕は間違いではなかったと思っているんですけど、そうは言っても、大きな節目が来るんだったら自分たちも変わらなければいけなかった。そのタイミングをずっと日本の場合は逃してしまったし、逃すことができたんだと思うんですね。